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プーチンと会談してるのに「アメリカ様のご機嫌が第一」では・・・

2016-12-28 14:01:08 | 政治経済問題
だから、余計にプーチンは、この間の日露会談で「腹を立てた」んだろう。

ダレスの恫喝、なんて、よほどのことがない限り持ち出さないだろ。


プーチン会談裏、安倍首相が外務省との暗闘に屈服…現実路線=北方2島返還を断念(Business Journal) 赤かぶ

2016.12.28 文=深笛義也/ライター、取材協力=石郷岡建/ジャーナリスト Business Journal


 安倍晋三首相が地元・山口の温泉旅館「大谷山荘」にプーチン露大統領を招き、地元の食材を使った和食でもてなした、日露首脳会談。北方領土での共同経済活動を行うための特別な制度を設ける交渉を開始することで合意したが、北方領土返還についての進展はなかった。

「平和条約締結に向けての大きな一歩をしるした」との声もあるが、どうだろうか。ロシアの前身であるソビエト連邦との平和条項妥結に向けての交渉は、1956年から行われている。60年もたって「大きな一歩」といえるのか。

■“ダレスの脅し”

 北方領土問題をめぐっては、歯舞・色丹の2島返還か、国後・択捉を含めた4島返還かということが、たびたび議論になる。それを理解するためには、60年前まで遡らなければならない。日ソ共同宣言に向かうプロセスで、ソ連は歯舞・色丹は返してもいいという意思を示してきた。そこに割って入ったのが、アメリカだ。当時、ダレス米国務長官は重光葵外相に、ロンドンでの会談でこう言い渡した。

「日本が国後・択捉両島をソ連領として認めることはサンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになる。そのような場合、米国は条約第26条により沖縄を永久に保有する立場に立つ」

 サンフランシスコ条約で、南千島の領有をソ連に認めたが、歯舞・色丹・国後・択捉は北海道の一部であるというのが、日米の見解だった。敗戦後、沖縄は米軍の施政下に置かれていた。歯舞・色丹2島返還で合意するなら、アメリカは沖縄を返さないというわけだ。

 1956年10月19日、鳩山一郎、ブルガーニン両首相は、日ソ共同宣言に署名した。その第9条に歯舞・色丹の返還は書かれている。

「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」

 だが57年5月16日、岸信介首相は「ソ連が南千島を返還しない限り、平和条約は結ばない」と発言。ソ連のほうは60年、歯舞、色丹の返還は、米軍の日本からの撤退が条件と主張し、日ソ共同宣言は凍結された。72年に沖縄は日本に返還。91年にソ連は崩壊したが、4島か2島かという問題は、今でも引きずられてきている。

 永田町や霞ヶ関では、2島返還を言う者は「国賊」と罵倒される風潮さえある。国賊というが、要するに“ダレスの脅し”がいまだに効いているのだ。4島返還を頑なに主張するのは、親米派。2島返還を言う者は、対米自主派だということができる。

■「日本固有の領土」は通用しない

 日本ではよく「日本固有の領土」という言い方がされる。北方領土に関しては、1644年に江戸幕府がつくった「正保国絵図」などが持ち出され、松前藩が4島のみならず樺太、千島列島まで支配していた史実が示される。

 だが、ロシアだけでなく、欧米ではそのような考え方は通用しない。世界史の授業を思い出せばわかるように、その時代によって地図に占める国の面積は変わり、消滅した国もあれば、新たに誕生した国もある。

 少なくとも第二次世界大戦が終わるまでは、戦争で勝ち取った領土はその国のものとなるという考え方で国境は決まってきた。古来からほぼ同じ地域で国が続いてきたのは、世界を見渡しても日本くらいで、「日本固有の領土」というのは、世界標準の考えではない。

 戦争で勝ったから自分のものというロシアと、古来からの日本の領土という、真っ向から対立する主張。落としどころを見つける努力はたびたび行われてきた。

 もっとも象徴的なのは2001年、シベリアのイルクーツクで行われた、プーチン大統領と森喜朗首相による非公式会談である。歯舞・色丹の2島は引き渡しの手続きを話し合い、国後・択捉についてはその帰属について話し合いを続けるという並行協議が、森首相から提案された。

 だが、この案には自民党内部、日本の外務省内部から強い反発が湧き起こった。親米派と自主派のぶつかり合いの末、国策捜査と批判される手法で、鈴木宗男・自民党衆議院議員と佐藤優・外務省主任分析官が逮捕されたのは、彼らが2島先行返還の提案者だったからだといわれている。この時、鈴木議員は「国賊」と罵られた。

 09年には、ウィン・ウィン方式の解決が日露の間で浮上。北方領土を50%ずつの面積で分けるという案に、プーチン大統領も積極的だった。

 09年2月18日、麻生太郎首相はプーチンに代わって大統領になっていたメドヴェージェフとサハリンの州都ユージュノ・サハリンスクで会談した後、記者団に語った。

「向こうは2島、こっちは4島では、まったく進展はしない。役人に任せているだけではダメ。政治家が決断する以外の方法はない」

 ウィン・ウィン方式を支持する発言である。ところが同年5月21日、衆院予算委員会で、麻生首相はこう発言した。

「北方領土はいまだかつて一度として、外国の領土となったことがない、わが国の領土であります。戦後60年以上を経て、今現在もなおロシアの不法占拠が続いているということは極めて遺憾なことだと、これは基本的に思っている」

 ウィン・ウィン方式の否定のみならず「不法占拠」の言葉は、メドヴェージェフ大統領を激怒させた。この180度の転換は、親米派と自主派の暗闘で、麻生首相が屈服したという以外に、解釈のしようがあるだろうか。


■親米派と自主派の暗闘

 今回の安倍・プーチン会談に向けても、親米派と自主派の暗闘があったと見るのが自然だ。

 今年、鈴木宗男氏の娘、鈴木貴子氏が民主党から自民党に鞍替えした。貴子氏が議員になったのは、逮捕に伴う公民権停止で立候補できない宗男氏の意を継いでのことである。4月の北海道5区の補選では、宗男氏と貴子氏が揃って自民党候補を応援した。

 鈴木親子の自民党への鞍替えを要請したのは、安倍首相と森元首相である。会談に向けて、2島先行返還が安倍首相の腹にあったのは間違いない。これまでの経緯から見て、状況は醸成されている。安倍首相とプーチン大統領は、今回以前に16回も会談している。

 昨年12月に安倍首相と会談した鈴木宗男氏は、「来年はやる。歴史をつくる」という首相の言葉を紹介している。今回の首脳会談で2島先行返還を合意する心づもりであったことがうかがえる。

 霞ヶ関の事情に詳しいジャーナリストによれば、経産大臣でロシア経済分野協力担当大臣である世耕弘成氏のグループが2島先行返還を押し進めていたが、外務省内部の4島返還論者たちに押し切られたという。暗闘の末、安倍首相は親米派に屈した結果になった。

 4島一括返還を主張する人々は、何を考えているのだろうか。ロシアがウィン・ウィンと言っているのだから、あくまで4島にこだわったら、交渉は妥結しない。島が返ってくることなど望んでおらず、それでもアメリカの歓心を買いたいということなのだろうか。そうだとしたら、どちらが国賊だろう。


(文=深笛義也/ライター、取材協力=石郷岡建/ジャーナリスト)



もっとも、この文章は、

「暗闘の末、安倍首相は親米派に屈した結果」

てな表現を使っているところを踏まえると、安倍に同情的と思われる。


先週、

直前まで続いた安倍晋三と谷内正太郎の「言い合い」

という記事を取り上げたけど、12月20日付の読売新聞ではこう記していた。


「 首相側近の谷内正太郎 国家安全保障局長や外務省は「4島を対象とすれば、プーチン氏が怒る のではないか」として、2島での実施を進言した。

 首相は「いや、4島で突っ込もう。プーチン氏ならわかってくれるはずだ」と譲らなかった。 」


要するに、4島返還を主張していたのは安倍のほうだ、と言っているんだが。


一体、どっちが本当なのか?

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