公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

余命幾ばく?

2007-04-19 15:59:13 | 競輪

コンドル日記より

日本一ヤバイ場である観音寺競輪、ふるさとダービーも3度目、何とかしないとで上げた目標額は昨年4月小松島ふるさとの125億5500万を上回る126億、到達して欲しいのが施行者・競技会の願いでも、立川・平・千葉・花月園に富山まで重なるとは、併売でしょうけど、売れない場の救済なら協力させるべきだったのでは。


そうだなぁ。2年前の記念でもそうだったが、観音寺は舐められているような気がする。


そんな仕事をやるのが日自振に全輪協では。昨日までに駆け込みで開催したFⅡの悲惨さは目を覆うばかり。凄い赤字なのでは。そんな中で北京オリンピック派遣選手団の費用協賛を京王閣でやってました。名古屋万博の時と同じで経済産業省の面子もあっての事でしょうが、実際やってる施行者はそれこそ開催毎に身を削る思いでやってるし、それでも場外や年一の記念(特別)では間に合わない場が続出するのは必至。そう成れば赤字を理由にバッサリ斬り捨てられる運命に。


F2がダメなことは既に分かりきっていることだが・・・

だったら切るしかないが、開催削減は必定とはいえ、「実験台」としての役割(例えば、ツイントーナメント)もあるから?とりあえずは年間6節程度は残し、徐々になくしていけばいいのではないか。あと、F2を全廃してFはF1だけにすると、F1のF2化が生じるような気がするし。

ともかく、少なくとも現在の年間開催日数64日はまだまだ多いので、最低でも48日ぐらいにまで減らすことが必定。ま、それでも1000人規模での選手の削減は必要になろう(F2は9車だろうが8車だろうが売上げ的に大差がない気がするで、とりあえずはF2を試験的に8車立てにしたほうがいいかも。そうすれば、F2の赤字幅の改善にも繋がる。そして試験的役割を終えた時点で、F2には引き取ってもらおうか。)


そんな状況でも策はゼロに等しいのが現実。机上の空論だけではダメなんです。その証拠に年金支給直後に売上が少しだけアップする現象がこゝ5年ぐらい続いてるんですよ。競輪中毒にかかった人達も年々減少してます。年金も競輪じゃなく違う方向に行ってしまう日がすぐ来るんですよ。もっと早く60~75歳の人達の事を考えて遊べるギャンブルにしたらどうでしょうか。


そうなってるだろ。そうなっているから競輪はヤバイんだって。

競輪中毒者、年々減少。うーん、入場者だけみればピークの75年と比較して何と8割減!今や全体平均で3000人も行かない入場者数だからなぁ・・・

しかもその中毒者の大半は60~75歳。そのあとの世代ははっきりいってそうした中毒者はほとんどいない。

たまにG1あたりで若い客の光景が見られるとかいっても、所詮はその開催限り。

にもかかわらず、あと何年やれるかわからない60~75歳の客にばかり構っていられない。もし構いすぎると本当に競輪はあと10年で死亡。


公営である以上は創成期からずっと7割5分、それ以下しか払い戻ししてないんですから、楽しんで負けても又来たいとなる競輪に戻すべき。そうしないと遅かれ早かれ「競輪」と云うギャンブルはこの世界から消えて行く様な気がします。


そうなるかもしれない・・・

だって、競輪はせっかく世界選、五輪という頂点を目指せる機会がありながら、ほとんど活用していない。

スポーツの趨勢は今や「世界最高峰」へと向いてしまっている。野球だって、この間の日経新聞に出てたが、大リーグのほうがプロ野球よりも興味がある人間は何と全体の4割ぐらいいるらしい。

一方、つい15年ほど前までは、世界自転車選手権で何とか勝つ、といったことを目標としていた競輪選手がいた。引退した吉岡だって、日本の競輪王としてのプライドをかけて、世界選・「ケイリン」でも勝つと明言していた頃もあった。

それが今やそんな選手はほとんどいない。しかも、現在のトップクラスに限って言えば皆無同然。

先月行われた世界選だって、同じ世界選手権でも、フィギュアや水泳が大々的にマスコミが取り上げているのとは裏腹に、スポーツ紙でさえ取り上げているところはごくわずか。

今や、どんなマイナー競技であっても、「強ければ(活躍できてさえいれば)」、テレビの衛星生中継だってやってくれる時代。なのに競輪はそれを全く生かせていない。いや、生かそうという気さえない。

競輪とケイリンは違うっていうけれど、「多少」、ルールが違う程度であって、確か競輪マガジンに以前書いてあったが、順天堂大学の形本静夫先生はトレーニングのやり方そのものは競輪とケイリンではほとんど大差がないと述べていた。

強いて言える違いとは、ケイリンのほうが自転車競技としての基本を要求されるプレーが多いということ。道中踏みなおしを要求されるし、また道中の並びだって、ケイリンのほうが虚々実々の駆け引きが要求される。競輪のように地域ラインで決まっているからといって、ダラダラと動くことなどない。それとケイリンの基本は自分で活路を切り開くこと。確かに同国ラインというのも存在するが、それで決まったケースはほとんどない。

柔道もかつて、柔道とは「格技」として行われている講道館柔道が源であり、五輪・世界選などで行われている「スポーツ柔道」とは「違う」と言い張っていた時期があった。その結果どうなったかといえば、例えばソウル五輪では金わずか1つだけ。世界選でも惨敗続きとなり、柔道ニッポンは完全に地に堕ちたといわれたもの。

その後、柔道はやはり、世界100カ国をゆうに超える国で行われている「世界のスポーツ」だとやっと「本家」日本が認識して漸く3年前のアテネでは男子3・女子5の金メダルが取れるようになった。

競輪とケイリンは「違う」なんていつまで言っているんだろう。少なくとも、ジャンが鳴ってもダラダラと相手の出方の様子をうかがってペースが上がらない競技って果たして他にあるのだろうか?

そんなわけで、今のままの「競輪」だと、それこそ今60~75歳のファン層がいなくなれば「終わる」のがオチ。残念だけど仕方ない?


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