小田原市長に復帰することが決まった加藤憲一
覚悟を決められるか?首長!2020年版!
— bod (@bod91313247) May 20, 2024
最終更新日:2020-05-18 11:54:31 https://t.co/Ge09yaOXwL #gooblog
公営競技場の廃止を決断した当時の首長が、後に落選や、任期半ばで辞任、というケースが少なくない。
・主な例
=== 落選により失職 ===
・左藤義詮・・・1964年、大阪住之江競輪を事実上廃止(休止扱い)。また、1974年に実施されることになる春木競馬の廃止も1968年に言明。1971年の大阪府知事選で、黒田了一に敗れ失職。
・諸谷義武・・・1967年、長崎競輪を廃止。1979年の長崎市長選で、本島等に敗れ失職。
・鈴木一郎・・・2001年、中津競馬を廃止。2003年の中津市長選で、新貝正勝に敗れ失職。
・福田昭夫・・・2003年に足利競馬を廃止(また、宇都宮競馬は2005年3月の廃止だが、同知事が廃止することを決めていた)。2004年の栃木県知事選で、福田富一に敗れ失職。
・大澤善隆・・・笹川一族との長年に亘る怨念が遠因で2003年、桐生市として桐生競艇から撤退。2007年の市長選で、亀山豊文に敗れ失職。
・小寺弘之・・・2004年に高崎競馬を廃止。2007年の群馬県知事選で、大沢正明に敗れ失職。
・神田孝次・・・2006年、北見競馬を休止(実質廃止)。2008年の北見市長選で、小谷毎彦に敗れ失職。
・目片信・・・2011年、大津びわこ競輪を廃止。2012年の大津市長選挙で、越直美に敗れ失職。
・前畑淳治・・・2011年、荒尾競馬を廃止。2014年の荒尾市長選挙で、山下慶一郎に敗れ失職。
=== 任期途中で退任 ===
・佐藤善一郎・・・1963年に会津競輪を事実上廃止(休止扱い)。1964年3月23日死亡のため、福島県知事を退任(任期は1965年8月まで残っていた)。
・山田知・・・2002年に西宮競輪及び甲子園競輪を廃止。2010年4月1日、健康上の問題を理由に西宮市長を退任(任期は2012年12月まで残っていた)。
=== 特殊ケース===
・阪本勝・・・兵庫県知事時代、1955年に甲子園オートレース、1961年に明石競輪を廃止。1962年に任期満了のため同知事を退任し、1963年、東京都知事選挙に立候補したが、東龍太郎に敗れ落選。
・美濃部亮吉・・・東京都知事在任時代に、後楽園競輪、大井オートレース、大井競馬、京王閣競輪、江戸川競艇からの撤退、つまり、都営ギャンブルの廃止を実現。1979年に知事を退任。翌1980年に参議院選挙で当選を果たしたが、任期途中の1984年に死去。
・阿部實・・・2007年まで上山市長。2003年に上山競馬を廃止。しかし後に競馬場跡地問題がネックとなって、当初予定されていた山形市との合併がご破算になってしまった。また、山形市と上山市の合併を推進していた当時の山形県知事・高橋和雄は、2005年の同県知事選で、齋藤弘に敗れ失職。
・松沢成文・・・神奈川県知事時代の2009年、花月園競輪を廃止。2011年3月1日、石原慎太郎の勧めに従い、当時現職だった県知事を辞した上で、同年4月執行の東京都知事選出馬をほのめかすも、その2週間後に石原が前言を撤回して都知事選立候補を表明したことから、この時点で立候補を断念せざるを得なくなった。結果、神奈川県知事の職だけ、予定通り任期満了退任する羽目に。2012年、12月16日執行の東京都知事選に立候補したが、猪瀬直樹に敗れ落選。その後2013年の参院選にみんなの党から立候補し当選するも、同党解党に伴い、次世代の党に移籍。同党幹事長を歴任するも、路線対立が原因で同党も離党。2024年5月20日現在、日本維新の会 所属。
松沢の変遷は下記の通り。政界屈指の「渡り鳥」である。
(無所属→)
(新生党→)
(新進党→)
(国民の声→)
(民政党→)
(民主党→)
(無所属→)
(みんなの党→)
(次世代の党→)
(無所属→)
(旧希望の党→)
(希望の党→)
(日本維新の会→)
(無所属→)
日本維新の会
=== 廃止したかったが、できなかったケース ===
・早川勝・・・2002年10月、豊橋競輪廃止を表明。しかしその直後、豊橋市議会の最大会派に阻止され頓挫。2008年の同市市長選で、佐原光一に敗れ失職。
・梶原拓・・・2004年に笠松競馬廃止表明をするも、当時・ライブドア社長の堀江貴文が経営参画に名乗りを挙げたことで、その動きに乗じた笠松町らに廃止を阻止された。また、2005年の岐阜県知事任期満了退任後に発覚した県庁裏金問題の責任者として、連日その対応に追われる羽目に。
・藤沢純一・・・長らく、笹川一族の息がかかった市長が続いていた箕面市長選を制するため、住之江競艇からの撤退などを盛り込んだ公約を掲げ、2004年に当選を果たしたものの、撤退できず。2008年の同市市長選で、倉田哲郎に敗れ失職。
・加藤憲一・・・施設の耐震補強工事費用が巨額なこともあり、2018年11月5日に小田原競輪廃止へ向けての検討を開始するも、2019年2月21日に当面は存続と態度を一転。2020年5月17日に行われた小田原市長選で、守屋輝彦に敗れ失職。
=== 廃止したかったが、できずに落選 → 後に首長復帰 ===
・加藤憲一・・・施設の耐震補強工事費用が巨額なこともあり、2018年11月5日に小田原競輪廃止へ向けての検討を開始するも、2019年2月21日に当面は存続と態度を一転。2020年5月17日に行われた小田原市長選で、守屋輝彦に敗れ失職。2024年5月19日に行われた小田原市長選で守屋輝彦を破り、小田原市長に復帰することが決まった。