公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

元旦の波乱レース

2009-01-02 14:33:10 | 競艇

丸亀2レース

3名フライング。

http://cgi.kyotei.or.jp/race/kekka.php?day=20090101&jyo=15&race=02

1 +.05秒、3 +.01秒、4 +.06秒。

http://210.148.108.173/bb_top/new_bb/txt/15/rep/rep2009010102.asx

丸亀10レース

http://cgi.kyotei.or.jp/race/kekka.php?day=20090101&jyo=15&race=10

1名(6)妨害、1名(2)転覆。

http://210.148.108.173/bb_top/new_bb/txt/15/rep/rep2009010110.asx

1周2マーク、先頭を走る4の内懐から差しに回った6が転覆。ついて回っていた2が乗り上げ。

唐津6レース

http://cgi.kyotei.or.jp/race/kekka.php?day=20090101&jyo=23&race=06

1名(4)妨害、1名(6)エンスト。

http://www3.infoworld.co.jp/karatsu/ondemand/meta/karatsu20090101-06_509K.asx

1周2マーク、全速で回ろうとした4の舳先がターンマークに衝突し、4は落水。1が絡まれたが、その後完走。しかし、続いて絡まれた6がエンストした。


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元旦のビックリレース

2009-01-02 13:59:03 | 競輪

岸和田5レース

http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/raceresult?KCD=56&KBI=20090101&RNO=5

1着同着(2、3)。3着同着(4、9)。

mms://wm6.digi-c.com/kishiwada/h090101_05.wmv

観音寺10レース

http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/raceresult?KCD=72&KBI=20090101&RNO=10

2着同着(6、9)。6着同着(2、8)。

http://www.shikoku-keirin.jp/liveset_kanonji/replay.php?day=1&race=10


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山口健治引退

2009-01-02 08:10:15 | 競輪

1979年の立川・日本選手権で、断然人気の中野浩一を破って、弱冠22歳のダービー王に輝き、1986年の競輪祭では、中野浩一、井上茂徳のタイトルたらいまわしを打ち砕き、また雹が降る中行われた1988年の競輪祭を制した山口健治が引退を表明。

http://hochi.yomiuri.co.jp/gamble/keirin/news/20081231-OHT1T00199.htm

私が山口の思い出として興味深いのは、1984年の高松宮杯決勝だ。残りあと1周付近で、正攻法の片岡克己の後ろを、内に佐々木昭彦-中野-井上-藤巻昇、外に国松利全-健治-山口国男-佐藤彰一という形で併走状態だったところ、丁度横にいた中野に強烈にボディアタックを見舞って、中野を転倒させたばかりか、井上、藤巻も乗り上げ転倒させてしまった一戦。

これにより、中野は鎖骨を骨折。全治2ヶ月と診断され、一時は、8連覇をかけた世界選手権出場が危ぶまれた。このとき、山口のことを、

『馬鹿野郎な奴だ!』

と思ったもので、さらに山口の行為は悪質だとして、2ヶ月の出場停止処分が言い渡された。しかも山口は、始末書扱いの反省文まで書かされたけど、その文章には、ところどころに、

「オレがやった行為は、マーク選手として当然至極なことで、落ちた中野、井上、藤巻が悪い」

といったニュアンスも含まれていた。その文章を見て思うに、山口健治とは、実に勝負根性が座っているというのか、まさしく、『勝負師』という部分が垣間見えたりもしたわけだが。

ところで、意外かもしれないが、中野は競りも強く、マーク屋として鳴らした選手でさえも幾度となく競り落とした経験を持っているが、山口健治にだけは通用しなかった。というか、山口には絶対に競るようなことはしなかったといっても過言ではないな。

1980年の高松宮杯決勝で、吉井秀仁の番手を、山口は、中野と競った。当時、吉井にことごとく敗戦を喫し、『顔を見るのもイヤ!』と言っていた中野は、ならば吉井の番手を取りきって、最後はズブリと差す算段だったのだろう。しかし、それを許さなかったのが山口。吉井がペースを上げて先行体勢に入って以降、2センター付近まで、中野と山口の激しい競りが続いたが、2センターで双方外に膨らみ、結果、双方失格。この一戦以降、中野は、山口にだけは競るようなことをしなくなった。

ま、顔を見る限り、『怖~い』お方であり、近寄りがたい雰囲気も持っていたが、ファンの人気は高かったな。それは、妥協を許さない、まさしく勝負師としての存在をアピールし続けたからに他ならない。

お疲れ様。

コメント (3)
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