公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

12月8日の『大量落車』

2008-12-08 19:31:50 | オートレース

伊勢崎9レース

http://autorace.jp/netstadium/ns/RaceResult/Display/?p=3&d=2008-12-08&r=9

3名(2、3、4)他落。

http://autorace.jp/netstadium/ns/Ondemand/asx/?d=20081208&p=3&r=9

3周回2角付近で、4がまず転倒し、2、3が乗り上げ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月8日の大量落車

2008-12-08 16:33:15 | 競輪

全日本選抜・西武園7レース

http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/raceresult?KCD=26&KBI=20081208&RNO=7

1名(3 <14・1>)失格、2名(6、4)滑入、1名(9)棄権。

mms://202.210.162.33/keirin/IMC_26/20081208/VOD/26_zikkyo_vod2_07.wmv

最終4角、9がバランスを崩し転倒。ゴール直前、3が6を押圧し、6、4が転倒。


今日、綿貫弘さんを初めて見た。面白い顔してるな。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屈腱炎からの復活処方

2008-12-08 10:50:16 | 競馬

カネヒキリの復活Vにかかる話として、日刊スポーツにこのような記事が掲載されていた。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20081208-437893.html

細胞注入手術と言われるもの。

馬の一部の幹細胞を取り出して培養させ、それを改めて患部に注入するといったバイオテクノロジー手法。これにより、全身麻酔をすることがないため、競走能力をそれほど損なわせることなく、あとは屈腱炎の回復を待つのみ。

カネヒキリの他にも、このような形で施されている馬が30例ほどあるようだが、カネヒキリの今回の勝利により、こうした手法で再生を図る競走馬が増えてくるかもしれない。

もっとも、バイオテクノロジーの力を借りたからといって、競走能力が元に復元するとはいまだ必ずしもいえない。何せ、再発するケースが多いため、業半ばにして引退させたほうが賢明といまだ言われる病であることには変わりがない。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本経済衰退の危機か

2008-12-08 06:31:20 | 政治経済問題

しばし、A3相当の競輪選手を全部切れ!といっているけど、これには訳がある。要はA3が出ている開催は入場、売り上げも少ないため、おしなべて赤字だし、またそれを垂れ流し続けているから。これが黄金時代と呼ばれた時代のように、下位の選手のレースであっても黒字が出ていたら、何も切れとは言わない。

ところで、製造業における、いわゆる「派遣切り」だが、都合が悪くなるとズバッと切ってしまうのか!という批判の声が強い。曲がりなりにも彼らがいたからこそ、いざなぎ景気を超える景気拡大局面を支えたといっても過言ではないし、さらにいえば、トヨタやキャノンあたりの巨大企業については、景気が急減速した現在においても、彼らを雇える余力は十分ある。

もっとも、一方で今、彼らに与える仕事がないのも確か。というか、一部の正社員にさえ与える仕事がない部署もあるかもしれない。

アメリカのビッグスリー問題は今、アメリカ国内のみならず、全世界で連日のように配信されているが、ビッグスリーといえば、それこそ、好景気局面では大量に雇用した一方、景気後退局面になると、とたんに大量のレイオフを行った。また、そうしたことを何度も繰り返した。むろん、1960年代あたりまでのビッグスリーならば、少々景気後退局面となったところで、すぐさまレイオフなどしなくとも十分体力に余力はあった。

ところが1970年代に日本車の台頭が著しくなると、にわかにビッグスリーの業績に暗雲が立ち込めるようになった。にもかかわらず、ビッグスリーの手法は従来と変わらず。結果、人材流出が激しいことが仇となり、日本車に対抗するための研究開発をおろそかにしてしまった。

一方で、そんなビッグスリーであっても、経営を多少なりとも持ち直した頃もあったわけだが、その局面で儲けたカネは、株主への配当分配と、経営陣の多額の報酬に消えた。で結局、従業員の処遇については、大量雇用、大量切りの繰り返し。アメリカの場合、労働者の賃金については3年に1回の賃金見直しが行われるだけの、いわゆる「フラット制」を導入しているため、多少好景気となったところで、その局面において従業員の賃金が上がるわけではない。

というわけで、従業員の賃金は低く押さえ込むことができ、経営陣は経営不振であっても濡れ手に粟。ましてやアメリカの場合、経営陣については、退陣しても「ゴールデンパラシュート」という、ほっといても報酬が得られるという奇怪なシステムがあるため、はっきりいえば、経営に失敗してクビを切られても、多額の報酬を得られる。確か、ゴールデンパラシュートという言葉を最初に目にしたのは、20年前に発刊された、「Noといえる日本」という本だったと思う。

したがって、今や破産寸前のGMなのに、トップの年収は約15億円。経営の建て直しすらできなくとも、自家用ジェット機でワシントンの公聴会へと赴くことができる。加えてGMの稼ぎ頭は、自動車ではとっくになくなっていて、金融業がそれに置き換わっていた。

人材というものは、モノとは違い、いらなくなったから単純に捨て去っていいというものではない。逆に言えば、経営にまだ余力があるときだからこそ、従前の業務では確かに与えられる仕事はないかもしれないが、別の角度において使える道を用意しておくのが、大企業であれば当然のことだと思うし、また資本が莫大な大企業ならば、そうしたことはやろうと思えば十分可能だ。

カネは天下の回り者。今まだ、4割の上場企業は事実上の無借金経営ができているといわれるが、そのカネがいつなくなるか分からない。思えばビッグスリーとて、健全な経営体質だった時代はあったはず。

Noといえる日本という本では、当時の日本企業の強さは、いわゆるボトム層の意識が高かったらだという見方もしている。管理職層が思いつきもしなかった発想を、当時18歳の女子工員が考え出し、ひいてはそのことにより、半導体の歩留まりが急激に上がり、結果、業績が急上昇したというケースも述べられていた。

ヒトには意思がある。それをモノのごとく扱うとやがて痛い目に遭う。アメリカが日本の官僚組織を盛んに非難する一方で、大企業における天下り人事や「民僚」と言われる、官僚的な考え方を持つ人間や組織があることを一切非難しないのは、要は自分のところもやっているからに他ならず、ひいてはそれにより、自身と同じく、日本企業もやがて衰退への道を歩むということ密かに期待しているのかもしれない。

そう考えると、今まさしく、No!といえる日本であるべきなんだが、政府も官僚も財界も、アメリカのこうした謀略にだれも気づいていない・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする