「木○ジョッキー」としてもいまだ知られる?後藤浩輝騎手が向こう1ヶ月間、栗東を拠点に活動するとか。
後藤は、今、栗東は「一軍」、美浦は「二軍」などと言われている現状を探るべく、栗東での活動へと踏み切ったという。
ま、しかしながら、昨日フジのアナ氏が、「関東馬は一体どうしていたんだろう?と思った矢先のスクリーンヒーローの勝利でしたねぇ。」と言っていた。確かに、美浦の馬、というか、関東馬が活躍するケースは今やほとんどないな。
しかしながら、私が競馬に興味を持った30年前といえば、事情は全く逆。
杉本節と言われる、杉本清アナの名調子にしたって、要は関西馬がはっきりいって弱すぎたからこそ、
「無冠の貴公子に春が訪れます!」
「これが関西の期待!テンポイントだ!」
「テンポイントはこれで十分だ!」
「これが夢に見た栄光のゴールだ!」
「あなたの、そして私の夢が走っています!」
といった名文句が生まれたんだろうと思う。
そもそも、例えば関西馬がダービーでも勝とうものなら、栗東の競馬サークルは1週間、その歓喜のニュースに包まれていたものだからなぁ。
関西馬が関東馬をはるかに凌駕するきっかけとなったのは、テンポイントがダービーのレース中に骨折し、まさかの7着に終わったことだといわれている。
テンポイントの小川佐助調教師は、
「関西には直線に坂のある競馬場がないから、テンポイントは骨折した。だったらせめて栗東のトレセン内に坂のある馬場を作ったらどうだろう。」
と提言し、ひいては後に、今やどの馬もごく当たり前に使用している「坂路馬場」が誕生したわけだが、できた当初ははっきりいって、「負け犬根性」がしみついていた関西の調教師の中にはその効果を疑問視する声も出ていた。
ところが、「戸山流」と言われるハード調教で、関東でもその名を轟かせていた戸山為夫調教師が、
「これは面白い。是非ともここを使わせてもらうわ。」
ということで、管理馬をどんどん使わせたところ、関東の重賞はもちろん、平場レースでも勝つようになった。やがて、ミホノブルボンという、典型的なマイラー血統の馬が皐月賞、ダービーを勝つことになったが、なぜ勝てたのか?という訳を探ったところ、ブルボンは基本的に坂路でしか調教していなかったことが分かった。
すると、美浦でも漸く坂路馬場ができるようになったが、既に昔とは違って、西が断然優勢の時代となっていた。
ま、私が競馬を知り始めた頃の中央競馬は本当につまらなかった印象がある。それは、やはり普段見ている関西馬が勝てないから。特に、春の天皇賞や菊花賞なんて、京都でやっているのに、毎回毎回関東馬に勝たれていたからなぁ。だからまだ、この両レースについては、関東のほうがかなり勝ち越しているんじゃないか。東西の勢力図が20年近くも逆転状態が続いているにもかかわらず。
しかしながら関東のお方といえば、関西のお方よりも、「対抗意識」という面からすると薄いのかもしれない。フジテレビの解説者として出演した際、
「いやぁ、私は関西馬のことはよく知らないんですが・・・(裏を返せば、関西馬のことなんか知らなくても、G1などの予想は十分可能だということの意味。)」
というのが口癖だった大川慶次郎さんあたりが漸く晩年になって、
「ここままの状態だと、私自身、栗東に居を構えなければならない」
と言って、強く美浦の復権を訴えたものの、 「業半ば」にして大川さんは急死してしまった。
ところで、大川さんは後藤のことをかなり高く買っていた。例の○刀事件があった直後、大川さんが後藤に電話し、
「将来のある君がこんなことをするとは信じられない。もっと大人になりなさい!」
と一喝したとか。
それから約10年経ち、ついに後藤が立ち上がった。でもまさか、木●持って暴れに来るんじゃないだろうな?