狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

教育基本法 全国五紙の社説

2006-12-16 07:25:11 | 教科書

今朝の琉球新報の各面はまるで開戦前を連想する思わせぶりな太い文字の見出しが躍っている。

一面トップは

「愛国心」全面に

防衛省法が成立

 二面にはご丁寧に「防衛省なら『軍事大国』  中国新華社が批判」という共同電までおまけをつけている。

三面には「識者評論」として西原博史・早稲田大学教授の

放たれた危険な法律」という評論。

社会面になると見出し活字がさらに大きくなる。

よぎる戦前の記憶

教育基本法が制定されたのは敗戦直後の昭和22年。

以後60年間、不磨の大典として議論を封印されて来た。

その敗戦直後の古い法律を改正するのだから、別の意味で「戦前の記憶」がよぎって当然だろう。

だが、琉球新報が改正基本法の成立で「いつか来た道」に直結するといいたいのだろう。 このような使い古された表現は若者には通用しないと思うのだが。

教育現場に憤り

今こそ「命どぅ宝」を ー 平和学習現場の声

日教組の先生方が地団太踏んで憤るのはよく分かるが、・・・

教育基本法の改正と「命どぅ宝」の関係はどうも判らない。

これらの見出しを見る限り、琉球新報が社民党、共産党の機関紙と間違われても異論は無いだろう。

社説でも「教育基本法改正 懸念は残されたままだ」として勿論反対の立場。

 

全国五紙の教育基本法改正についての今朝(16日)の社説を俯瞰してみよう。

賛成は読売、産経の2紙で、

反対は当然朝日新聞、・・・ん?・・・一紙だけ?

日経は「洞ヶ峠を決め込んだ」のか玉虫色。

毎日は「敵前逃亡をはかった」のか今日の社説では棄権。

朝日は教育基本法改正だけで「軍靴の響き」を煽るのはもはや無理があると見たのか「防衛省昇格」を抱き合わせて、かろうじて「キナ臭い」感じを作文している。

朝日は改正教育基本基本法成立がよっぽど悔しかったのか、あれほど小沢民社党党首にてこ入れしていたのに、二つ目の社説で、同法成立を阻止できなかった民社党への八つ当たりしている。

当日記が述べたいことを全て代弁してくれた読売社説を下記に転載。

因みに社説とコラムで同時に「教育基本法」を扱ったのは読売と朝日の2紙のみ。(コラムは文末に転載)

                      ◇

 

読売新聞・社説http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061215ig90.htm

 [教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」

 教育基本法が一新された。1947年(昭和22年)の制定から60年、初めての改正だ。

 「教育の憲法」の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する。この歴史的転換点を、国民全体で教育のあり方を考えるきっかけとしたい。

 見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長く続いた。

 流れを変えた要因の一つは、近年の教育の荒廃だった。いじめや校内暴力で学校が荒れ、子どもたちが学ぶ意欲を失いかけている。地域や家庭の教育力も低下している。

 現行基本法が個人・個性重視に偏りすぎているため、「公共の精神」や「規律」「道徳心」が軽視されて自己中心的な考え方が広まったのではないか。新たに家庭教育や幼児期教育、生涯教育などについて時代に合った理念を条文に盛り込む必要があるのではないか。そうした指摘が説得力を持つようになってきた。

 改正論議に道筋をつけたのは2000年末、首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が出した報告書だった。基本法見直しが初めて、正式に提言された。

 これを受け、中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい」基本法の在り方などを答申。与党内でも改正に向けた検討が本格化し、ようやく今年4月、政府の全面的な改正案が国会に提出された。

 ◆6年にわたる改正論議

 この6年、基本法改正については様々な角度から検討され、十分な論議が続けられてきたと言っていいだろう。

 その中には「愛国心」をめぐる、不毛な論争もあった。

 条文に愛国心を盛り込むことに、左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国を支える日本人をつくる」などと反対してきた。

 平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛し、大切に思う気持ちが、どうして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう。

 基本法の改正を「改悪」と罵(ののし)り、阻止するための道具に使ったにすぎない。

 この問題は、民主党が独自の日本国教育基本法案の前文に「日本を愛する心を涵養(かんよう)し」と明記したことで決着した感がある。政府法案は「教育の目標」の条文中に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養う」と入れた。むしろ民主党案の方が直接的で素直な表現だった。

 ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい。その精神にのっとって、日本の歴史や伝統、文化を尊重し、国を愛する心を育てるような教育が行われることが期待される。さらに家庭、地域での教育も充実されて、次代を担う子どもや若者たちが、日本人として誇りを持って育っていってほしい。

 ◆関連する課題は多い

 そのために文部科学省など政府が取り組むべき課題は山積している。

 まずは学習指導要領や学校教育法など関係法規の見直しである。

 指導要領は、改正基本法に愛国心や伝統・文化の尊重、公共の精神などが盛られたことで、社会科や道徳の指導内容が変わってくる可能性がある。愛国心などの諸価値は、どれも国民として大切なものだ。子どもたちの白紙の心に、正しくしっかりと教えてもらいたい。

 「学力低下」の懸念から、授業時間数や教える内容を増やす必要性も叫ばれている。高校の「必修逃れ」問題では、指導要領の必修科目の設定が今のままで良いのか、といった議論も起きている。

 小学校の英語「必修化」論議など暫時“保留”になっていた指導要領絡みの施策の検討が一斉に動き出すだろう。

 学校制度の基準を定めた学校教育法の改正、教育委員会について定めた地方教育行政組織運営法、教員の免許法などの見直しも必要だ。安倍首相直属の「教育再生会議」でも検討している。

 もう一つの課題は、国と地方が役割分担を明確にし、計画的に教育施策を進めていくための「教育振興基本計画」の策定である。

 ◆国と地方の役割示せ

 「全国学力テストを実施し、指導要領改善を図る」「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』を目指す」「司法教育を充実させ、子どもを自由で公正な社会の責任ある形成者に育てる」――計画に盛り込む政策目標案を、中教審もすでに、いくつか具体的に例示している。

 国が大枠の方針を示すことは公教育の底上げの意味でも必要だ。同時に、学校や地域の創意工夫の芽が摘まれることのないよう、現場の裁量の範囲を広げる施策も充実させてほしい。

 焦る必要はないだろう。教育は「国家百年の計」である。国民の教育への関心もかつてないほどに高い。教育再生会議などの提言も聞きながら、じっくりと新しい日本の教育の将来像を練り上げてもらいたい。

(2006年12月16日1時52分  読売新聞)

 

◆朝日新聞・社説 http://www.asahi.com/paper/editorial.html
教育と防衛、「戦後」がまた変わった

◆産経新聞・主張http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061216/shc061216001
.htm

教育基本法改正、「脱戦後」へ大きな一歩だ

◆日本経済新聞・社説http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20061215MS3M1500
J15122006.html

改正教育基本法をどう受け止めるか

 

                  ◆

おまけ 読売VS朝日 コラム対決!

◆12月16日付・編集手帳
 戦時中、黒沢明監督がシナリオを書き、映画化されなかった作品に「サンパギタの花」がある。内務省の検閲に引っかかった。自伝「蝦蟇(がま)の油」に書いている◆登場人物が誕生日を祝うシーンがあり、「米英的で、けしからん」と検閲官に難詰された。天皇陛下の誕生日をお祝いする天長節も米英的ですか? 反論したが、「不可」の決定は覆らなかったという◆この頑迷な検閲官氏を、戦後の日本人が笑えるかどうかは分からない。かつて米英的なにおいのするものを十把(じっぱ)ひとからげに忌避したように、わずかでも戦前のにおいのするものを自己検閲によって封印してきた戦後の歩みがある◆「終戦の日の青空のなかに私たちは忘れ物をした」と語ったのは作家の久世光彦さんだった。忘れ物――「国を愛する心」や「国を守る備え」を説く声が、軍国主義の復活だ、戦前回帰だ、という批判にかき消された61年間である◆戦後の日本は平和のおかげで復興し、いまの繁栄を手にした。誰よりも平和のありがたみを知り、かつての軍国主義が二度と手にしてはならぬ危険な廃棄物であることを知っている。忘れ物探しの旅に出て、廃棄物と忘れ物を混同することはもはやあり得ない◆教育基本法の改正も、防衛庁の「省」昇格も、自己検閲に別れを告げる一歩だろう。旅の始まりである。

(2006年12月16日1時53分  読売新聞)

 

◆【天声人語】2006年12月16日(土曜日)付

 フランスの作家で啓蒙(けいもう)思想家のルソーは、著書『エミール』で理想的な教育のあり方を熱っぽく語った。自然を偉大な教師とし、子どもの本性を尊重することを説く。

 そして最もよく教育された者とは、人生のよいこと悪いことに最もよく耐えられる者だと述べる。「だからほんとうの教育とは、教訓をあたえることではなく、訓練させることにある」(岩波文庫・今野一雄訳)。

 従って、教える側に対しては厳しい。「一人の人間をつくることをあえてくわだてるには、その人自身が人間として完成していなければならない」という。これでは、資格のある人はまず居ないのではないかと考えてしまう。しかし、教育の根本を、それほどまでに厳粛なものととらえていた姿勢は、胸を打つ。

 教育基本法の改正を巡る国会の動きを見ていると、残念ながら、教育の根本を扱っているのだという厳粛さが伝わってこない。審議の質は、これまでにかけた時間だけでは測れないはずだ。

 ましてや、この改正と密接に関係する政府主催の教育改革のタウンミーティングには「世論誘導」が指摘され、そのあきれた実態が明らかになったばかりだ。首相や文部科学相が報酬を返納し、文科省の幹部職員ら多数が処分されたことを軽く見過ぎてはいないか。

 処分が出たからといって、あの「世論誘導」の集まりそのものが消滅したわけでもない。教育の現場や子どもたちに、国会の動きはどう映っただろうか。子どもたちや、そのまた子どもたちの未来にかかわる法案にふさわしくない、性急な採決だった。

 



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