狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

速報【動画】怪人・上原正稔 太田知事との大乱闘!

2009-07-30 13:10:35 | ★集団自決

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 2/2【沖縄集団自決】「1フィート運動」創始者 上原正稔氏 単独インタビュー[桜 H21/7/29]

 

以下は怪人・上原正稔氏について触れたハーバービューホテルの決闘!太田元知事vs上原正稔を一部加筆したものです。

                   ◆

佐野眞一著の『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』に登場する殆どの人物は、新聞等でお馴染みの名前なので、その「書かれたくなかった」実像に触れると、下手なコントよりよっぽど笑を誘う。

筆者が個人的に知る人物も複数登場する。 中には共に酒を酌み交わした人物も登場して笑いを誘ってくれる。

だが、夥しい数の登場人物の中でも、太田元知事と上原氏という特にキャラの立った怪人の乱闘場面は圧巻だ。 チャップリンもステッキを担いで逃げ出すほどの大喜劇である。

というわけで、二人の怪人の絡んだ場面を抜粋引用しし、同書読破の手引きとする。

<太田に会った目的は、米留体験を聞く以外にもう一つあった。太田の知事時代の業績に、沖縄戦最大の激戦地の摩文仁の丘に「平和の礎」を建てたことがあげられている。
その「平和の礎」と、やはり琉球大学教授時代の太田が、アメリカの国立公文書館に出向き、同館に所蔵されていた沖縄戦の未公開フィルムを調査、発見したことから大きな記録運動のうねりとなった「沖縄記録フィルム1フィート運動」の二つのアイディアは、自分のアイディアが盗まれたものだと、抗議する男がいる。
この人物は上原正稔(まさとし)という1943年(昭和18年)生まれのドキュメンタリー作家である。 上原には太田に会うだいぶ前に会った。 上原を人目見て、この男は現代のキジムナーだな、と思った。 キジムナーとは、沖縄の人々に昔から愛される伝説の妖怪である。
黄色のシャツにピンクと紫というちぐはぐな靴下を履いたファッションの配色感覚だけでも、この世のものとは思えなかった。 その奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な出で立ちに小さな体を包んで登場したときは、立派な髭をたくわえた顔とも相まって、愛玩用の犬が二本足で立って現れたかと思った。 若者が被るようなキャップ、首のスカーフや茶色のサングラス、ポパイのようなパイプも、どこか現実離れしていた。
「1フィート運動も、“平和の礎”のアイディアも、最初に発案したのは僕です。 それを太田昌秀に盗まれた。 それ以来、太田とはケンカです。 僕は太田に首を絞められたこともある。 彼は知事失格というより、人間失格の酒乱男です。 売名欲の塊です」

ーー首を締められた? 穏やかじゃないですね。 どこで首を絞められたんですか。

「ハーバービューホテルです。 その件で僕は太田を告訴しました。
初めて聞く話だった。 後で入手した告訴状には、こう書かれていた。

〈被告人(引用者注・太田)は、告訴人(引用者注・上原)に対し、平成4年9月13日、午後9時頃、那覇市泉崎2-46の沖縄ハーバービューホテル二階「鳳凰の間」において、右手拳で告訴人の左わき腹を一回強く突き、さらにたじろぐ告訴人の左上腕部を痛みを感じるほど強く握り締めて、3メートルひきずるなどして暴行を加えた〉

告訴状に付随した陳述書には「太田氏が顔を上気させ、目を吊り上げ、恐ろしい形相で私に駆け寄り」といった、さすがはドキュメンタリー映像作家らしい臨場感あふれる記述もあった。>

 

著者の佐野氏が描く上原氏の描写が秀逸で思わず笑ってしまったが、対する太田知事もこれに決して引けをとらない。

筑紫哲也氏が「沖縄の良心」だと「大文字言葉」で紹介する太田元知事の素顔の怪人ぶりは、上原氏がキジムナーなら、太田氏は脂塗れのアンダケーボージャー(脂食い坊主)とでも言うべきか。

アンダケーボージャーとは沖縄の伝説の怪盗ウンタマギルの子分のこと。 

元知事のことを怪盗の子分に例えるの礼を失するとも思えるが、上原氏のアイディアを盗んだというのなら怪盗の子分程度に例えられても仕方がないだろう。

それにしてもかつて今上陛下もご宿泊したことのある沖縄の最高級ホテルの宴会場で、満座注目の中現役の知事が上原氏の首を絞め3メートルも引きずる暴挙にでたとは通常では到底信じられることではない。

まさに『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』に登場する人物の中でも際立つ千両役者である。

太田氏は琉球大学教授から県知事、そして参議院議員とエリートコースを歩む人物だが、一方の上原氏は組織に属しない一匹狼で、その名は知る人ぞ知る怪人である。

まるで接点のないように見えるご両人だが、沖縄戦記を発掘してそれを出版するという分野においてはご両人の活動分野は重なっている。

ここで佐野氏は上原氏が言う「乱闘劇」について裏付けのため再度太田氏にインタビューするのであるが、その部分を紹介する前にキジムナーこと上原氏について少し触れておきたい。

太田氏については「大文字言葉」のみで沖縄を語る筑紫哲也氏などによって「沖縄の良心」のように描かれているので、当日記の読者ならよく承知のことと思う。

沖縄タイムスに取り込まれた大江氏と筑紫氏

一方、上原氏については沖縄人でも知る人は少数派であろうが、古くからの当日記の読者なら、琉球新報に連載中の沖縄戦記を前日になって異例の突然中止という言論封殺を被ったドキュメンタリー作家として、また係争中の集団自決訴訟でも原告側の証拠となった『沖縄戦ショウダウン』の著者として記憶に新しいだろう。

 

「沖縄集団自決冤罪訴訟」の原告側の準備書面に出てくる上原氏に関連するくだりを抜粋すると次の通りである。

≪さて、今回新たに提出した重要な証拠のなかに、沖縄出身の作家上原正稔氏が記述した『沖縄戦ショウダウン』があります。上原氏は、琉球新報に「沖縄戦ショウダウン」を連載中、当時の集団自決の生き残りである金城武徳氏らを調査した結果、渡嘉敷村民の自決について、
「国のために死ぬのだ。だれも疑問はなかった。村長が立ち上がり音頭をとり、『天皇陛下万歳』と皆、両手を上げて斉唱した」ことを確認しています。

(2)続いて、被告らが依拠する富山証言の信用性を弾劾しています。被告らは富山証言をもとに米軍が上陸する直前の昭和20年3月20日、手榴弾を村民に配ったといいます。富山証言は第3次家永訴訟において、沖縄国際大学の安仁屋政昭氏が公に持ち出したものでありますが、日本軍の第32軍も渡嘉敷島の第3戦隊である赤松部隊も米軍が慶良間諸島を最初に攻撃することはないと考えていました。だから地上戦も予定していませんでした。安仁屋氏もそのことを明確に認めています。3月25日8時海上に敵機動部隊船影を確認するまで米軍の渡嘉敷島への上陸を全く予想していなかった赤松部隊が3月20日に米軍の上陸した場合の戦闘に備えて村の少年や役場職員に手榴弾を配布することはありえません。富山証言はデッチアゲそのものです。

(略)

(4)太田氏(「鉄の暴風の筆者」ー引用者)は沖縄タイムス上での論戦において、「あの玉砕は軍が強制したにおいがある。アメリカ兵が目撃した集団自決の資料の発見者で翻訳者である上原正稔は、近く渡米して目撃者を探すそうである」と記載しています。その上原正稔氏こそ、先に紹介した『沖縄戦ショウダウン』の著者でした
原氏は、『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない金城武則氏、大城良平氏、安里喜順氏、そして知念朝睦氏といった集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく真実に気がつきました。そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、「筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」と告白しているのです。 さらに、「国の援護法が『住民の自決者』に適用されるためには『軍の自決命令』が不可欠であり、自分の身の証(あかし)を立てることは渡嘉敷村民に迷惑をかけることになることを赤松さんは知っていた。だからこそ一切の釈明をせず、赤松嘉次さんは世を去った」「一人の人間をスケープゴート(いけにえ)にして『集団自決』の責任をその人間に負わせて来た沖縄の人々の責任は限りなく重い」と結論しています。
『沖縄戦ショウダウン』の記事が沖縄の有力紙琉球新報に掲載されている意味は重大です。そのことは、沖縄の言論人にも事実を調査し、真実を見極めようという誠実な人がいること、そしてそうした沖縄でも赤松隊長命令説の虚偽が自明なものとして知られていたことを意味しているからです。
(沖縄集団自決冤罪訴訟・準備書面)

これに対する被告側は、

「『沖縄戦ショーダウン』は、赤松氏を一方的に評価する人物だけからの証言によって執筆されたもので信用性がない」と客観的反論を放棄し、「信用性がない」といった極めて情緒的文言で終わっている。

被告側は上原氏の著書は信用できないというが、上原氏は被告側のバイブルともいうべき『鉄の暴風』を出版した沖縄タイムス刊で、同じ沖縄戦を扱った 『沖縄戦トップシークレット』『1995年3月刊)を出版している。

同じ沖縄戦関連で同じ沖縄タイムスが出版した『鉄の暴風』はバイブル扱いして、他方では同じ沖縄タイムス刊で沖縄戦を出版する上原氏を自分の都合の悪い記述だから信用できないという。

これが「集団自決」訴訟を通じて被告側弁護団が取ってきたダブルスタンダード手法である。
 

■「一フィート運動」を始めたのは上原氏■

沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会

上原氏は、独自のルートで、アメリカで眠っている「沖縄戦映像」を取り寄せて、記録フィルムに残されている「場所と、人物を特定したい」と沖縄各地を調査し、証言を集めてきた。

上原氏は従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題に摩り替える手法をとらなかった。

上原氏は、当初は『鉄の暴風』等によって沖縄のマスコミがつくりあげた虚偽の神話に対する怒りを隠さない多くの集団自決当事者たちの証言に出会い、ようやく沖縄戦の真実に気がついた

そして、「われわれが真相を知ることが『人間の尊厳』を取り戻す、すなわち『おとな』になることだと信じる」と断ったうえで、

筆者も長い間『赤松は赤鬼だ』との先入観を拭いさることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。」と告白している。

彼は言う。

「反戦平和なんてボクには関係ない!」

「大切なことは、沖縄戦を撮影したフィルムに、無数の沖縄住民の姿が映っているということだ。ボクは、フィルムの中の『主人公』たちに、この映像を届けたいんだ!」

そう、沖縄戦を記録した映像の中には、悲惨な戦闘シーンだけではなく、生き残った沖縄の人々の、驚くほどの「笑顔」が残されていた。

そして彼はフィルムに封印されていた沖縄戦の真実の物語を追求している異色の沖縄戦研究家でもある。

「1フィード運動」は、その後同運動に大田昌秀元知事や、新崎盛暉、安仁屋政昭、石原昌家等のサヨク学者が運営委員として加わり、運動がイデオロギー化していく。

創始者の上原氏は「一フィート運動」がイデオロギー化するのを嫌ったのか、組織を離れて独自の活動をするようになる。

上原氏の沖縄戦の記録発掘に対する姿勢がどのようなものかは、次の沖縄テレビ・サイトから垣間見ることが出来る。


第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/14th/05-330.html
『むかし むかし この島で』(沖縄テレビ制作)

 続く
 
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