⇒最初にクリックお願いします
■つき崩された「命令説」、仲程昌徳琉球大学教授
曽野綾子著『ある神話の背景』が出版され、仲程昌徳琉球大学教授が、沖縄タイムスの軍命論を真っ向から批判し『鉄の暴風』の書き直しが必要とのべた。
仲程教授は、曽野氏の著書について「この著書は公平な視点でルポルタージュされた「本土の作家の沖縄戦記」である。曽野の調査が進んでいくにしたがって集団自決は疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「軍命説」はよりどころを失ってしまう。これまで集団自決のあらゆる著書で引用された『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、は重大な改定を迫られた」と評価した。
そして仲程教授の軍命批判に追従する「識者」が続出した。
作家で沖縄戦の研究家の「軍命派」の大城将保氏は意見が二転三転し、結局元の「軍命派」に立ち戻った。それだけ『ある神話の背景』の衝撃が大きかった証拠である。
■大城将保氏の「転向」強弁の本■
大城氏は原告弁護団が氏の著書『沖縄戦を考える』を原告側証拠品として提出したことに対して、その後証言を翻した。
更にそれをネタに『沖縄集団自決の真実と歪曲』を出版した。
沖縄戦記なら何でも出版のネタにするところは、流石は作家と恐れ入るが、その研究者らしからぬ強弁ぶりは、作家の大先輩大江健三郎氏を見習ったのか。
原告側徳永弁護士は雑誌「正論」の論文で、大城氏の『沖縄戦を考える』から次の部分を引用して、大城氏は「軍命を否定した」と主張している。
<曽野綾子氏は、それまで流布してきた赤松事件の神話に対して初めて怜悧な資料批判を加えて従来の説をくつがえした。『鉄の暴風』や『戦闘概要』などの誤記や矛盾点などを丹念に指摘し、赤松元隊長以下元隊員たちの証言をつきあわせて、自決命令はなかったこと、集団自決の実態がかなり誇張されている点などを立証した。 この事実関係について今のところ曽野説をくつがえすだけの反証は出来ていない。>(『沖縄戦を考える』)
大城氏がこれに反論している章に「木を見て森を見ず」という見出しをつけているが、
ある著書を引用する場合、本全体(森)は引用するのは不可能なので、重要な結論部分(木の幹)を引用するのは議論の常套手段である。
よくあるパターンの「○○著の『○○』を読め」では、反論はおろか議論にもならない。
核心を突かれて「木を見て森を見ず」と逃げるのは、林教授の「抗弁」に負けない詭弁である。
何しろ自分の「転向」の強弁を出版して金儲けするくらいだから、流石は作家と感心してしまう。
大城氏は、上記引用の自己の文章に続いて、次のような「強弁」を続ける。
<いま読み返すと『ある神話の背景』に随分甘い点数をつけたものだと我ながら恥ずかしくなるのが、しかし右(上記引用文:引用者注)に引用された文章を評価する場合は、当時の沖縄戦研究をめぐる状況を考慮に入れていただく必要がある。 『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。同書の巻末の参考文献一覧に示してあるように、『青い海』(77年5月号)に掲載された「慶良間島の惨劇」それである。 この文章を書いた1977年は復帰後5年、『ある神話の背景』が発行されて4年後、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』が刊行されてから3年という時期である。沖縄戦に関する記録・調査・研究に立って、「慶良間島の惨劇」の文中で私はこう書いている。
「慶良間島の戦争体験の全体像をゆかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか」
じっさい私自身、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』の編集を終えて3年経っていたが、調べれば調べるほどいまだ道遠しという感は深まるばかりで、県史の沖縄戦関係3巻で終わらせることに不満が残っていたのである。>(『沖縄集団自決の真実と歪曲』高文研)
大城氏は「『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。」と強弁しているが、本の出版はその本に記載されている文章から読者が受け取るものこそ著者の主張であり、その他の巻末掲載の参考文献などは著者の主張を証拠立てる参考資料に過ぎない。
それを、後になって「実はもとになる論文がある」なんて言われても読者にとっては知ったことではない。
これは『沖縄ノート』の読者に対して「『罪の巨塊』とは、実はもとになるラテン語の単語があり、辞書の二番目の訳語の他殺体という意味云々」と、恥もなく言い訳するノーベル賞作家と同じ論法である。
それで、その論文にはどのように書いてあるかというと、ますます自身の「転向」を証明する記述になっているので呆れてしまう。
本人が言う論文「慶良間島の惨劇」には、引用をあえて繰り返すと、こうある。
<慶良間島の戦争体験の全体像をつかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか>
これはどう読んでみても、従来の(『ある神話の背景』発刊以前の)沖縄戦記録のズサンさに対する大城氏を含む沖縄の研究者の反省と懺悔の言葉である。
このように『ある神話の背景』に対して全面降伏ともいえる文章を書いておきながら、「集団自決訴訟」が始まるや瞬時に「転向」して被告側応援に加わる変わり身の早さには脱帽するしかない。
しかも、自著が原告側の証拠者類として提出されるや、それに対する反論の本を出版し、その反論と称する内容が反論どころか転向の証明だとしたら呆れて言葉を失ってしまう。
これを更に批判したら更に、再反論の出版を続けるのだろうか。
金儲けのネタは何処にも転がっているものである。
大城氏は自分の「転向」の弁明を活字にすると、更なる墓穴に繋がるとでも思ったのか2007年10月に東京で行った講演会で、次のような愚にもつかない弁明をしたらしい。
●裁判の原告は、大城氏が、自ら執筆した「沖縄県史」において隊長命令のことを覆したと主張している。そんなことはありえない。単に主張だけなら自由だから、「研究紀要」に掲載されただけだった。(沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回)
「単に主張だけなら自由」だとか、「掲載されただけ」とか、このお方本当に研究者なのだろうか。
被告側応援団である大城氏の弁明の出版は、法廷の証言の一か月前に「転向」し、その転向の弁明本を出版した宮城晴美氏とも相通ずるものがある。
曽野綾子著『ある神話の背景』が出版され、仲程昌徳琉球大学教授が、沖縄タイムスの軍命論を真っ向から批判し『鉄の暴風』の書き直しが必要とのべた。
そして仲程教授の軍命批判に追従する「識者」が続出した。
作家で沖縄戦の研究家である「軍命派」の大城将保氏は意見が二転三転し、結局元の「軍命派」に立ち戻った。それだけ『ある神話の背景』の衝撃が大きかった証拠である。
■大城将保氏の「転向」強弁の本■
大城氏は原告弁護団が氏の著書『沖縄戦を考える』を原告側証拠品として提出したことに対して、その後証言を翻した。
更にそれをネタに『沖縄集団自決の真実と歪曲』を出版した。
沖縄戦記なら何でも出版のネタにするところは、流石は作家と恐れ入るが、その研究者らしからぬ強弁ぶりは、作家の大先輩大江健三郎氏を見習ったのか。
原告側徳永弁護士は雑誌「正論」の論文で、大城氏の『沖縄戦を考える』から次の部分を引用して、大城氏は「軍命を否定した」と主張している。
<曽野綾子氏は、それまで流布してきた赤松事件の神話に対して初めて怜悧な資料批判を加えて従来の説をくつがえした。『鉄の暴風』や『戦闘概要』などの誤記や矛盾点などを丹念に指摘し、赤松元隊長以下元隊員たちの証言をつきあわせて、自決命令はなかったこと、集団自決の実態がかなり誇張されている点などを立証した。 この事実関係について今のところ曽野説をくつがえすだけの反証は出来ていない。>(『沖縄戦を考える』)
大城氏がこれに反論している章に「木を見て森を見ず」という見出しをつけているが、
ある著書を引用する場合、本全体(森)は引用するのは不可能なので、重要な結論部分(木の幹)を引用するのは議論の常套手段である。
よくあるパターンの「○○著の『○○』を読め」では、反論はおろか議論にもならない。
核心を突かれて「木を見て森を見ず」と逃げるのは、林教授の「抗弁」に負けない詭弁である。
何しろ自分の「転向」の強弁を出版して金儲けするくらいだから、流石は作家と感心してしまう。
大城氏は、上記引用の自己の文章に続いて、次のような「強弁」を続ける。
<いま読み返すと『ある神話の背景』に随分甘い点数をつけたものだと我ながら恥ずかしくなるのが、しかし右(上記引用文:引用者注)に引用された文章を評価する場合は、当時の沖縄戦研究をめぐる状況を考慮に入れていただく必要がある。 『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。同書の巻末の参考文献一覧に示してあるように、『青い海』(77年5月号)に掲載された「慶良間島の惨劇」それである。 この文章を書いた1977年は復帰後5年、『ある神話の背景』が発行されて4年後、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』が刊行されてから3年という時期である。沖縄戦に関する記録・調査・研究に立って、「慶良間島の惨劇」の文中で私はこう書いている。
「慶良間島の戦争体験の全体像をゆかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか」
じっさい私自身、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』の編集を終えて3年経っていたが、調べれば調べるほどいまだ道遠しという感は深まるばかりで、県史の沖縄戦関係3巻で終わらせることに不満が残っていたのである。>(『沖縄集団自決の真実と歪曲』高文研)
>『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。
本の出版はその本に記載されている文章から読者が受け取るものこそ著者の主張であり、その他の巻末掲載の参考文献などは著者の主張を証拠立てる参考資料に過ぎない。
それを、後になって「実はもとになる論文がある」なんて言われても読者にとっては知ったことではない。
これは『沖縄ノート』の読者に対して「『罪の巨塊』とは、実はもとになるラテン語の単語があり、辞書の二番目の訳語の他殺体という意味云々」と、恥もなく言い訳するノーベル賞作家と同じ論法である。
それで、その論文にはどのように書いてあるかというと、ますます自身の「転向」を証明する記述になっているので呆れてしまう。
本人が言う論文「慶良間島の惨劇」には、引用をあえて繰り返すと、こうある。
<慶良間島の戦争体験の全体像をつかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか>
これはどう読んでみても、従来の(『ある神話の背景』発刊以前の)沖縄戦記録のズサンさに対する大城氏を含む沖縄の研究者の反省と懺悔の言葉ではないか。
このように『ある神話の背景』に対して全面降伏ともいえる文章を書いておきながら、「集団自決訴訟」が始まるや瞬時に「転向」して被告側応援に加わる変わり身の早さには脱帽するしかない。
しかも、自著が原告側の証拠者類として提出されるや、それに対する反論の本を出版し、その反論と称する内容が反論どころか転向の証明だとしたら呆れて言葉を失ってしまう。
これを更に批判したら更に、再反論の出版を続けるのだろうか。
金儲けのネタは何処にも転がっているものである。
大城氏は自分の「転向」の弁明を活字にすると、更なる墓穴に繋がるとでも思ったのか2007年10月に東京で行った講演会で、次のような愚にもつかない弁明をしたらしい。
≪●裁判の原告は、大城氏が、自ら執筆した「沖縄県史」において隊長命令のことを覆したと主張している。そんなことはありえない。単に主張だけなら自由だから、「研究紀要」に掲載されただけだった。(沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回)≫
「単に主張だけなら自由」だとか、「掲載されただけ」とか、このお方本当に研究者なのだろうか。
被告側応援団である大城氏の弁明の出版は、法廷の証言の一か月前に「転向」し、その転向の弁明本を出版した宮城晴美氏とも相通ずるものがある。
■もう一人の「最強転向者」■
既に亡くなった方なので失念していたが、
もう一人強力な「転向者」がいた!
元座間味村遺族会会長宮村幸延氏は、座間味島の自分が経営するペンションに訪ねてきた梅澤元戦隊長に「軍命を出した」と濡れ衣を着せたことを謝罪し、次のような自筆の「詫び状」を梅澤氏に書いていながら、突然「転向」し、「梅沢氏に無理やり泥酔させられて書いた)として前言を翻した。
< 証言 座間味村遺族会長
昭和20年3月26日の集団自決は梅澤隊長の命令ではなく当時兵事主任(兼)村役場助役の宮里盛秀の命令で行われた。之は弟の宮村幸延が遺族補償のためやむを得ず隊長命令として申請した、ためのものであります
右 当時援護係 宮村幸延 捺印
梅澤裕 殿
昭和62年3月28日 >
『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編著 PHP研究所)より
「集団自決」問題では「転向」する人物が多いと縷々書いてきたが、自筆捺印の「詫び状」まで書いていながら、「泥酔していたから」という子どもでも使わない言い訳で「転向」した当時座間味村援護係の宮村幸延氏も「最強の転向者」の一人に加えてよいだろう。
それにしても、裁判長がこんなミエミエの言い訳を信じたことも、「集団自決訴訟」七不思議の一つである。
沖縄戦「集団自決」の謎と真実 秦 郁彦 PHP研究所 このアイテムの詳細を見る |
人気blogランキングへ クリックお願いします
「判官贔屓」という言葉があります。
昭和30年代、沖縄の高校が甲子園に初出場した時、甲子園は観客から審判(裁判官と考えていいでしょう。)まで、沖縄一色でした。「判官贔屓」を辞書で調べますと、弱者に対する同情。とあります。もし、裁判官がそんな気持ちで、真実を見る眼が曇ったとしたら狼魔人様が仰るように、歴史に残る司法の汚点となります。
基地問題や、日本軍悪や、少女を晒し者にする。
「米軍基地の78パーセントが沖縄に集中」や「唯一の地上戦」、「集団自決は軍の命令」などと、嘘ばかり言っている連中が、とても弱者などとは思えません。しいて言えば詐欺師です。最近の国民は沖縄のマスコミの詐欺に気が付いています。11万集会も少女暴行も、世論は沖縄に批判的でした。
日本の司法も詐欺に嵌った。としか思えません。「沖縄ノート」が発行され続けることは、沖縄の左翼団体と大江健三郎の欺瞞を、日本中に晒しつづけるだけです。左翼が日本軍攻撃の拠りどころにする、「南京虐殺」「従軍慰安婦」そして「沖縄の集団自決」と3点セットは完全に崩壊しています。
「慰安婦」に関しては日本人の慰安婦も居たのに、その人達からは「金よこせ。」は聞こえません。
「集団自決」も、グアム、サイパン、満州、北方領土とあったのに、左翼団体はそのことは何故問題にしないのでしょう。結局「沖縄問題」は自分達のイデオロギーに最大限利用できるからでしょう。他の集団自決を問題にしても、当事者から「軍の命令なんかで愛する人を殺せるか。」と反論が出るのは目に見えています。「座間味」「渡嘉敷」の人達も同じ気持ちなんでしょう。そうでなかったら、詫び状など書かないでしょうし、自決命令を出した元日本兵と、自決者の人数の打ち合わせなど、とても出来ないことです。
かなり、厳しいことを書きましたので、厳しいついでに、書きます。
「集団自決者」の数は沖縄に援護法が適用される昭和27年までに亡くなった方にも、軍の命令を理解できるはずもない、0歳児にも適用されています。何故でしょう。
仮に、被告側いう「軍の構造」の問題だとしても、すでに昭和27年には日本軍という存在は無かったと思います。昭和27年に亡くなった方も「軍の命令で自決した。」とは、訳がわかりません。
国も、随分甘やかしたものです。
「あばかれた神話の背景」の中で、鴨野さんは、「英霊に感謝しよう。」と書いています。それには深い意味があって、グアム、サイパン、沖縄での当時の日本軍、民間人一体となった戦いにアメリカは脅威を持った。「今時こんな民族が居るのか。」と。ゆえに、アメリカは日本を永久に占領することを諦めています。「こんな誇り高い民族をアメリカが占領しきれるわけが無い。」がその理由です。やはり、日本人としては英霊達に感謝すべきだと思います。
そんな誇り高い民族論も「集団自決は軍の命令」の一言で吹っ飛んでしまいます。こんな歴史観では、もし今後、日本が亡国の危機になったとき、日本はどうなるのでしょう。早い話「援護法」と言う金が歴史を変えただけです。そんな事実を、空襲などで散々な目にあった、日本人が知ったら(すでに知れ渡りつつありますが。)本当に沖縄差別論にまで、発展します。それは日本人が悪いわけでもなんでもないです。沖縄自らが蒔いた種です。今はそこまでエスカレートしないことを祈るだけです。何故なら沖縄には、大事な友人達も、その家族も生活していますから。
例の、集団自決者の人数を決める会議に、曽野綾子さんも出席しています。でも、曽野さんはどんな本にもそのことは書いていない。
そのことは、赤松さんの気持ちと通じるところがあります。そんな事情を全て承知の上で曽野さんは
「軍の命令があったとの証言も、無かったとの証言も無かった。」と終始一貫ぼかしています。
「島の人の立場を考えると、私の口からそれ以上のことは言えない。」と。
それに比べ、その時々で証言を変える人達もいる。
色々な、人間模様の見える今回の裁判です。
「転向者」が次々出てきますが、その全てが「軍命なし⇒あり」の転向であり、その全ては転向後に出版、講演会などで経済的、社会的にプラスになった人たちです。
その逆はほとんど居ませんが、元極左活動家でそれをネタに十数点の沖縄本を出版し、沖縄マスコミにもチヤホヤされるという安逸な生活を捨てるのを覚悟で、従来の「軍命あり」から「なし」に変えたばかりに経済的、社会的に抹殺されただけでなく左翼の襲撃を受けて半身不随にさせられ、車椅子生活をさせられている大阪在住の富村順一氏こそ、知られざる最大の「転向者」だといえます。
同氏については近くエントリーしたいと思います。
>続々・出てくる「転向者」達ー大城将保・宮城晴美・宮村幸延
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
富村順一氏も知りたい人物のひとりですが
●「母の遺言をもコケにした」宮城晴美って方も???・最も理解しがたい人物です。なんでまた、そーなってしまったのか?、、、泉崎の古本屋「ちはや書房」へでも行って「初版・母の遺したもの」を漁ってみるか、、、ついでに改訂版も、、も」、、そーそー真栄原の「ロマン書房」もありかな?
オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。
「ミサイル戦 逃げ場ない沖縄」の那覇市・當間孝太郎さん(88)は、7月11日に続き今年2回目の掲載。
「悪意に満ちた現状に不安大」の八重瀬町・幸地忍さん(77)は、3月6日、4月20日、8月23日に続き今年4回目の掲載。
「和田氏著『80歳の壁』読んで」の那覇市・下地安さん(89)は、1月5日、2月23日、5月17日、7月5日、8月19日、11月20日に続き今年7回目の掲載。
「味わい深い手書きの年賀状」の南風原町・国吉真永さん(87)は、1月4、18日、2月12、25日、3月31日、4月25日、5月21日、6月16、28日、7月30日、8月25日、9月3日、10月15日、11月2、21日に続き今年16回目の掲載。
「賞金王比嘉さんは沖縄の星」の鳥取県・服部直記さん(75)は、2月2日に続き今年2回目の掲載。
「台湾有事と沖縄戦 再び捨て石にされるのか」の東京都・仲嵩達也さん(71)は、1月16日、2月8日、3月2、9日、4月1、8、23日、5月6、21日、6月4日、7月7、21日、9月2、16日、10月1日、11月1日に続き今年17回目の掲載。
「『門』に行って来ました」の浦添市・當山清宏さん(81)は、2019年12月2日以来の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
.