狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

大臣:「原爆投下、しょうがない」 教授:「よくぞ落としてくれた」

2007-07-01 06:42:32 | 県知事選

原爆投下「しょうがない」久間発言、野党が辞任求める構え
 久間防衛相が30日、米国の原爆投下に関し「しょうがない」と発言したことに対し、広島県被団協(坪井直理事長)の畠山裕子事務局次長(68)は「原爆で亡くなった人々は仕方なく死んだのか。被爆者の気持ちが日本政府に伝わっていなかったと思うと、悲しくて言葉が出ない」と述べた。

 こうした声を受けて社民党の福島党首は久間防衛相の辞任を求める談話を発表した。

 民主党の菅代表代行も島根県出雲市で、国民新党の亀井久興幹事長と共に記者会見し、「防衛相として全くふさわしくない」と述べた。

 これに対し、自民党の中川幹事長は遊説先の奈良市内などで、記者団に、「原爆投下とソ連参戦の関係などは、歴史観の問題で、一個人の意見だ。久間氏も(補足の)コメントをしたようなので、これで誤解が解けると思う」と述べた。

(2007年7月1日1時2分  読売新聞)

                    ◇

「久間発言」に琉球新報が、“時間差ギレ”したようだ。

昨日の夕刊ではチャイコフスキーコンクールより小さい扱いだったが、一夜明けて今朝の朝刊でやっと怒りがに滲みだしてきた感じ。

尊敬する大江健三郎先生の「怒りのお言葉」を一面の見出しに使い、1,3,30,31面の四面を使う大盤振る舞い。

 

それにしても、この久間という男、自分が閣僚の一員であり、しかも防衛庁のトップである認識が有っての発言なのか。

過去にも数々の失言で知られるダメ大臣。

今年初頭、「イラク進攻を決定した米政府の判断は間違い」と語り、

「航空自衛隊のイラク駐留は自動的には延長されない可能性もある」と警告して物議をかもしていた

ところが政府は3月、航空自衛隊のイラク駐留を2年間延長することを閣議決定している。

2月に来日したチェイニー米副大統領は、久間防衛相とは会談を拒否し、防衛大臣としての醜態を晒している。

柳沢厚労大臣の「子供を生む機械・失言」で辞任騒動がおきたが、失言の質、内容から言ったら久間防衛大臣こそ即時辞任すべきだ。

加藤紘一や山崎拓のように、敵か味方か訳のわからない人物を閣僚には入れるべきではない。

 

「原爆投下はしょうがない」と講演する大臣がいる一方、

よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てた」

と仰る国立大学教授もいる。

高嶋琉球大学教授のトンデモ講演会。

JANJAN
消せるものか沖縄戦「集団自決」 高嶋琉球大教授が講演 2007/06/12
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阿佐ヶ谷市民講座で6月8日、高嶋伸欣・琉球大教授(以下「私」)の講演がありました。一部ですがメモを元に報告します。


沖縄では憲法をゼロから勝ち取った

 文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除された問題について、検定意見の撤回を求める意見書が、沖縄の41市町村のうち38で議決されています。県議会では、公明党は先に決議しており、自民党だけが拒否していますが、会期末ぎりぎりに可決するのかどうか、沖縄タイムスは「流動的」としていますが、琉球新報は「確定的」としています。沖縄にはこの意見書に反対だと沖縄県民でない、「非国民」みたいな雰囲気があります。

 日本軍関与は直接でなくても、下っ端の兵隊が村民に手榴弾を2個配ったなどという証言はたくさんあり、当時は「自決」とは言わず、「玉砕」でしたが、「玉砕」するようにと指示したのです。下手に生き残ったらスパイと言われるとか足手まといになるとか言われ「玉砕」したので、遺族が強く反発しています。

 ここ(壁)に新聞を貼っておきましたが、沖縄の報道は他府県とは温度差があります。みなさんは国民投票法案の全文を読んだことがありますか? 読売はこのように少しですが、沖縄タイムスは国民投票法案全文を3ページに渡って載せました。広告代を犠牲にしてです。しかも5月15日(沖縄返還の日)付です。ジャーナリストの気概というものでしょう。

 沖縄はアメリカ軍占領下で、日本国憲法もアメリカ憲法も認められず、人権がありませんでした。ベトナム戦争の時に、嘉手納基地のゲートを封鎖してB29が出撃できないようにし、アメリカ軍によって社会大衆党の幹部が負傷させられました。沖縄の運動の盛り上がりがあったので、アメリカは基地だけにして施政権は帰そうということになったのです。沖縄に「押し付け憲法」は当てはまらず、最後はアメリカ軍に譲歩させて、ゼロから勝ち取ったものです。

 辺野古のことや自衛隊のことは「言ってもだめさ」という諦めムードになっていますが、今回の教科書のことは私が「ひっくり返せる」と話したので「やりがいがあるね」と元気付いています。東京のメディアも入っているので6月23日の慰霊の日頃に取り上げてもらえれば、沖縄に関心を持ってもらうきっかけになると思います。


海外から日本はどう見られているか

 レジュメを用意しました。全部はとてもできませんが、まず、海外から日本はどう見られているかを見てみましょう。

 最近のアジアの人は日本に警戒していますが、レジュメの1ページにあるのはフランス人が「3発目の原爆も日本に落とされるだろう」と言ったという1989年の朝日ジャーナルの記事です。日本は世界では異質で何かやらかすのでは? と見られています。エコノミックアニマルで、世界共通の倫理観が日本にはない、アジアに対する差別を戦後も総括していないと思われています。福沢諭吉を1万円札に使っていいのかという議論も、前のお札の切り替えの時はまだ少しありましたが、今回は全くありませんでした。筑紫哲也でさえが「小泉の大学の創設者だから?」などと言ってごまかしていました。

 90年5月のシンガポールの中国語紙にリー・クアンユー首相が「日本の60歳代の戦争体験世代は保革に関係なく、戦争はもうこりごりと思っているので、2度とあのようなバカなことはしないだろうが、『侵略』を『進出』と言い換えるような歴史教育で事実を学んでいない戦後世代は、軍事力の増大と共に何をするかわからない。彼らはやがて日米同盟をやめて、米国に押さえられることなく、軍事力を海外で自由に行使できることを目指す可能性さえある」と述べています。安保は日本の軍隊をびんの中に閉じ込めふたをしている役目で、安保を破棄して独自の軍隊を持つことを恐れているのです。今、この予想通りになっていますね。野中(広務)や後藤田(正晴)が戦争はダメと言っていたのに、戦後生まれの世代が権力を握るようになってきました。この90年5月というのは盧泰愚(ノ・テウ)大統領が訪日し、天皇に謝罪してほしいと申し入れて、小沢が「何度土下座すればいいんだ」と言った時です。この記事は日本でも大きく扱われていい記事でしたが、そうはなりませんでした。

 91年5月5日の朝日新聞には同じリー・クアンユー前首相がヘラルドトリビューンに語った記事が載っています。この時は1・2月に湾岸戦争があって、地雷が残っていて自衛隊が地雷の処理のためペルシャ湾に派遣された時で、自衛隊が初めて本来業務で海外に出るようになった時です。クアンユーさんは「多くのアジア人は日本が平和維持に軍事的に参加することを望んでいない、なぜならアルコール中毒者にウィスキー入りのチョコレートを与えるようなものだからだ」と述べています。アルコール中毒者とは何を指すのか、と生徒に聞くところです。つまり日本には軍国主義が残っているという意味ですね。天皇がいるということです。占領軍は日本統治のために天皇制を残しましたが、アジアの人は納得していません。アジアは日本の経済援助や日本企業に遠慮して物が言えないでいるところ、この人が代表して言ったと考えていいでしょう。

 2002年4月の東京新聞に、「有事法制関連3法案の閣議決定を受けて、与党3党が早期成立に向けて走り出す」とあり、かつては自民党の「ハト派」が一定の歯止め役となってきたが、「ハト派」は衰退し、「待った」が効かなくなったことが取り上げられています。

 (教科書を開いて見せ)これはシンガポールの小学校4年生の社会科後期用の教科書です。「The Dark Years」とあります。日本占領時代です。シンガポールの社会科は丸暗記で、小学生にはむずかしいので去年12月に打ち切りになったそうです。90年代まではこの内容は中学校でやっていました。なぜ小学校になったのかと質問したら、「言えない」という答えだったので、「日本の政治動向が気になるのですか?」と聞いたら「半分はそうだ」と言っていました。おそらくそうなのでしょう。

 レジュメ3ページ目は原爆投下についての教科書の記述です。「The End of the War」というタイトルで2つの原爆の絵が大きく載っており、焼け野原となった広島ときのこ雲の絵があります。よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、被爆者にとっては大変な説明です。シンガポールでは「No More Hiroshima」ではないのです。シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです。広島の人にそう言ったら、「やっぱりそうですか」と言っていました。広島の慰霊祭でアジア代表団は「No More Hiroshima」に拍手しないそうです。自分たちは被害ばかり言っているが、本当にそれでいいのかと内々に議論していたそうです。マレーシアの戦争記念館で戦争の最後の説明が広島でした。どうして広島なのかと質問したら、ガイドさんが逃げてしまいました。次に行った時には絶対に答えてもらおうと、ガイドさんをみんなで取り囲んで質問したら、日本のみなさんは気を悪くすると思うが、と前置きして、上記のようなことを話してくれました。学校でそう教えているそうで、みんなそういう考えだということでした。これはシンガポールだけではなく、日本に侵略された国はどこでもそうなのです。このことを被爆者に言わなければと思い、言いました。冷静な受け止めもありましたが、家族の死などを思い出すと、やはり抵抗感があるようでした。個々の被爆者の捉え方と社会全体の捉え方とは違って当然だと思います。

 私はマレーシアで住民虐殺について調べています。林博史さんが日本側の資料に裏づけがあるかを調べていて、防衛庁の資料館で42年3月16日に駐屯地のそばの村で160人を刺殺したという記録を見つけました。具体的事実が出てきたということで、資料はコピーサービスで手に入りました。このことについて横浜でしゃべっていたら、共同通信の記者が特ダネにしたいということで、12.8にちなんで87年12月8日に公式記録として出しました。広島中国新聞に載ったので大騒ぎになりました。それは広島の第5師団第11連隊という歴戦の部隊で、広島に碑もあります。シンガポール陥落の後、ゴム園に1軒ずつ離れてあった家をゲリラと思い込み、刺殺したのです。「すべて殺せ」という文書が残っています。

 南京事件が組織的かどうかは不明ですが、マレーシアははっきりしています。戦友会に聞こうと思うのですが「高嶋」という名前を出すと断られてしまいます。広島の部隊なので、広島は原爆の被害者だと言ってもマレーシアの人たちには納得してもらえないでしょう。アジアが日本の経済力に遠慮しなくなって本音を言うようになってから、初めて「そうだったんですか」というのでは恥です。議論の必要があると思います。私は憎まれ役になってもいいと思っています。 (以下略)  (渡辺容子)

 

>沖縄にはこの意見書に反対だと沖縄県民でない、「非国民」みたいな雰囲気があります。

記者の渡辺容子さん、

沖縄のメディアの異常な雰囲気を良く見ている。

沖縄タイムス、琉球新報の意見に反対するものは「裏切り者」扱いだ。

その裏切り者扱いをされているのが上原正稔さん。

琉球新報に長期連載中の「パンドラのはこは沖縄の戦争」が、理由を読者に説明も無く中断させられている。

 

それにしてもこの高嶋伸欣・琉球大教授、平気でこんな恥ずかしい内容の講演を良くぞネットに晒してくれますね。

この先生、よっぽど日本人が憎いようで大学教授なら知っているはずの事実も日本攻撃の為なら全て頬被り。

一々突っ込むのもバカバカしいが、これ本当に信じているの?

『侵略』を『進出』と言い換えるような歴史教育・・・

まともな人なら、この講演を聴いて、納得する人はいないと思うがね。

最後に一つだけ。

よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、・・・・シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです

朝日新聞にはこんな記事もあるんですがね。
 
朝日新聞
インドネシア残留日本兵が死去 対蘭独立戦争を戦う

 日本の敗戦後、インドネシアに残って対オランダ独立戦争を戦った元残留日本兵の藤山秀雄さんが11日、ジャカルタ市内の病院で85歳で亡くなった。元兵士の互助会「福祉友の会」によると、同国で生存する残留日本兵はこれで6人になった。

 戦後、インドネシアの独立闘争に共感して義勇軍に加わった元日本兵は約1000人いたとされるが、多くがゲリラ戦で死亡した。佐賀県の出身の藤山さんは独立戦争後、インドネシア人女性と結婚。整備兵だった知識を生かして自動車整備で生計をたてた。葬儀は13日午前、カリバタ国立英雄墓地で執り行われる。

 

◆【久間氏の発言要旨】 朝日新聞7月1日より抜粋

 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。

 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。

 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

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1 コメント

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Unknown (知足)
2007-07-04 11:02:22
こういう人が国立大学教授でおられる国・日本につくづく嫌気がさします。
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