狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

大江よ。お前はもう死んでいる 独断と推論の判決・最終章

2008-06-15 08:56:26 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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「集団自決訴訟」の原告側弁護団の徳永弁護士の講演会の報告、

①「独断と推論の判決 大江健三郎の世迷い言

独断と推論の判決② 真実相当性

の続編です。

                      *

「集団自決」の控訴審を直前にして、地裁判決の内容をクドクド繰り返すより、控訴審に向けての対策の方が先決ではないか、といった意見を友人・知人から頂いた。

元々この裁判は60数年前の出来事を、その当時の「体験者の証言」、或いは「体験者からの聞き取り」を証拠として争う裁判の性質からいって、今後客観的検証に耐える新しい証言者の出現は期待が薄い。

してみると、控訴審の論議のポイントは地裁で議論しその結果下された判決内容を吟味、論議をするのが争点となる。

人間の記憶とは危ういもので、地裁の論議を追ってきたつもりの当日記だが、そこは素人の悲しさで、ちょっとブランクを置くと記憶が曖昧になりがちである。

その意味で、先日の徳永弁護士の講演会は知識の整理としても絶好の機会と思い、内容をクドクドエントリーしている次第。

今しばらくお付き合い下さい。

■「軍の関与」から「隊長命令を推認する」⇒裁判長の論理飛躍■

裁判長が、誤診相当性の根拠にした大きな理由が「文科省の立場」に次いで、「軍の関与」である、というから驚きだ。

そもそも「軍の関与」という極めて恣意的な文言を、判決の根拠にすること自体がおかしいとはおもうのだが、それはさて置き、

原告弁護団は、「軍の関与」は認めており、これで争う気はないという。

自決に用いられた手榴弾は軍用品であり、島民が米兵の攻撃に晒されたのは、駐留していた軍隊の存在とは無関係ではない、というのが原告側が「軍の関与」を是認する根拠である。

ということは、「軍の関与」に関する限り、原告は被告と同じ立場だということになる。

そこでで、原告が主張するには「軍の関与」と「隊長命令」との峻別である。

この点で、原告側は「文科省の検定意見」を味方に付けて論じている。

文科省の検定意見は、「軍の関与は集団自決の主たる原因である」と認めているが、それにも拘わらず、「軍命は証明されていない」とし、これを事実として記述することは認めなかった。 

「軍の関与」という広範囲且、極めて曖昧な言葉から、「隊長命令」という限定的行為を直線的に推認する。 更に、この極めて曖昧な「推認」を根拠に、「隊長命令を信じる相当な根拠」とした深見裁判長の判決。

この地裁判決の論理的破綻を控訴審で立証するのは容易だと思うのだが。

■判決の論理破綻を示す数々のエピソード■

元々この裁判は証拠としては当時の証言に頼る以外に論証のしようのない特殊な裁判である。

従って証拠として提出された証言を記した文献にあるエピソードは重要な意味を持つ。

①木崎軍曹の宮城初枝氏に対する「善意」

宮城初枝氏は、米軍上陸にあたり、親しくしていた木崎軍曹から「万一のときは、これで潔く自決しなさい」として手榴弾を渡され、数人の女子成年団員とともに自決を試みたが不発弾のため果たせなかった。 

初枝氏らはその後部隊と合流するが、木崎軍曹の上官である内藤中尉や梅澤隊長は、

「死んだのではないかと心配したが無事でよかったと喜んだことが記録されている。 

隊長が自決を命じ、これを強制したのであれば、初枝氏らの身を案じ、無事を喜ぶことはあるまい。

木崎軍曹が初枝氏に手榴弾を手渡したことを「軍の関与」とするなら、自分が世話になった村の娘さんが、米兵の陵辱にあった上で惨殺されるのを気づかって、「潔くこれで死になさい」と手榴弾を渡したことは木崎軍曹の善意だったとは考えられないのか。

ちなみに木崎軍曹は宮城初枝宅に分宿しており、一つ屋根の下で暮らした間柄である。

若い二人の間に「善意」があったとしても何ら不思議ではない。

②集団自決によって負傷した住民に赤松隊の救護班が派遣された事実⇒『ある神話の背景』

③金城重明氏が赤松隊長に怪我の手当て場所の指示を受けた事実。⇒金城証言調書

④死期の近いことを悟った長谷川少尉が傍にいた藤田上等兵と山下伍長に手元の刀を手渡し、「自分はもうだめだから、この日本刀で刺し殺してくれ。 それから、この娘たちはちゃんと親元へ届けてやって欲しい。」⇒『潮だまりに魚たち』(宮里郁江)

⑤忠魂碑前から解散後、怪我をして薬を求めてきたハル子に対し、日本兵が「薬はない。 雨に濡れたようだけど、危ないよ。 軍の中にも、それがもとで、破傷風で死んだものがいるから、気をつけなさい。 こんな怪我をしているのに生きているなんて、あなたは神様みたいなんだね。」⇒『潮だまりの魚たち』(渡慶次ハル子)

⑥忠魂碑前から解散後、「日本兵から『すぐに敵兵はすぐ近くまで来ていて、危険だから、島の裏海岸を通った方が安全ですよ』と親切に指示をしてくれた」「途中で、本部に米を届ける日本兵に遭遇し、少し分けてくれないかと頼むと、主任の山元上等兵に、『分かりました。 しかし、私たちも必死の覚悟で行くのですから、生きて戻れるなら、あげましょう』」⇒『潮だまりの魚たち』(宮里トメ)

 

これらの証言エピソードの中から出てくる住民に対する「軍の関与」は、住民に冷酷に自決命令をだしたり、それを強制するといった「悪意の関与」ではなく、軍の住民に対する「善意の関与」しか汲み取ることは出来ない。

深見裁判長が、上記エピソードにも見られるような「軍の関与」という極めて曖昧な概念を根拠に「隊長命令を推認する」という判決は既にそれ自体が破綻している。

更に、判決では、「嘘の暴風」と揶揄される『鉄の暴風』に史料価値を認め、

その一方で、曽野綾子著『ある神話の背景』や宮城晴美著『母の遺したもの』の証拠価値を限定し、照屋証言や知念証言を偏見をもって眺め、破綻した金城重明証言、富山眞順証言、吉川勇助証言の信用性には一切触れることがない。 

裁判長のその証拠評価における偏向には目に余るものがある。

多面的意味を持つ「軍の関与」をもって隊長命令の論拠とする論理飛躍には、深見裁判長の思想偏向を疑われても不思議ではない。

■進歩的知識人の黄昏ー青ざめる大江健三郎■

徳永弁護士は、地裁判決後の大江健三郎氏のコメントをテレビで見て驚いたという。

「私の書いた『沖縄ノート』を裁判官が正しく評価してくださったことに感銘を受けています」と大江氏は語っている。

彼が判決を読まないで記者会見に臨んだのは明らかだった。 なぜなら、判決は大江氏が主張したテクスト無視の数々のまやかしについては、これを論破した原告側の主張を認め、いずれもきっぱりと退けていたからだ。 

偏向著しい深見裁判長も、さすがに、このノーベル賞作家の呆れたまやかしまでは擁護し切れなかったのだ。

そう、裁判長は大江氏の詭弁は法廷でことごとく退けていながら、判決では論理の大飛躍の「推論」で誤魔化し、被告勝訴にしたのである。

大江氏の詭弁は控訴審では既に死んでおり、判決は勝訴でも大江氏自身は既に控訴審では死に体である。

実は徳永弁護士の講演会のサブタイトルは、

大江よ。 おまえはもう死んでいる

であった。

沖縄には酔った勢いで、「3秒で殺せる 」と言って逮捕されたマヌケな男がいるが、今から3秒後に「殺せる」のではなく、

既に「もう死んでいる」ノーベル賞作家では、警察も手が出せないだろう(笑)。

 

しょせん大江ケンザブロウは、ケンシロウの敵ではない!

大江健三郎よ。 もうおまえは死んでいる、と思う方

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