4月19日付 よみうり寸評
〈行政対象暴力〉――およそ筋違いで逆恨みのような脅しと不当要求を行政に向けて、無理が通らないと銃に訴える。凶弾がその最悪の結末を招いた◆長崎市長を銃撃した暴力団の男は30回以上も市役所に押しかけたり電話でからんだり、執拗(しつよう)だった。工事中の市道の穴に車輪を落とした自損事故で車の修理代や代車料を求めるなど理不尽極まる◆こんなことで襲われては命がいくつあっても足りない。「暴力団が許せないのは、暴力団が恐怖で人を支配し、人々に屈従の人生を強いることです」(映画「ミンボーの女」の主役・井上まひる弁護士)◆暴力団対策法元年といわれた1992年当時は〈民事介入暴力(ミンボー)〉が注目された。あれから15年の今、〈行政対象暴力〉が各地で横行しているようだ◆「暴力団が恐怖で行政を支配し、行政に屈従を強いる」ような事態は断じて許せない。栃木県鹿沼市の職員が廃棄物処理にからんで不当要求を断り、拉致、殺害されたこともある◆標的にされたら、警察に通報、職員個人で扱わず、組織として対応することだ。
(2007年4月19日14時5分 読売新聞)
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報道で知る限りは、長崎市長狙撃事件はヤクザの強請りタカリが行き着いた発砲殺人事件である。
マスコミはこれを、政治テロとか右傾化の風潮がもたらした民主主義への挑戦と結びつける論調を展開してるが、どう考えても無理がある。
本人は個人的恨みとしか供述していないし、前に犯人が相談したと言う弁護士も「思想的背景は全くない」と証言している(「テレビ朝日」インタビュー)。
「経済ヤクザ」が個人的恨みで市長暗殺した。
これがマスコミの手にかかると、政治目的暗殺と勝手に解釈され、
強引に、最近の右傾化は危険と結論付ける。
そして右傾化の張本人安倍内閣は危険と印象操作をしている。
こういう論調の方が、彼等が叫ぶ「言論の自由に対する弾圧」だと思う。
マスコミが叫ぶ「言論弾圧」は何も暴力のみで行われるわけではない。
相手が気がつかないように巧妙に行うほうが相手の反発がないだけより効果的だ。
日本占領下のマッカーサーの言論団圧を見れば分る。
今でもマッカーサーは言論弾圧とは対極の人と思っている人は多い。
◆〈行政対象暴力〉
「暴力団が恐怖で行政を支配し、行政に屈従を強いる」ことを行政対象暴力と言うらしい。
長崎市長はまさに行政対象暴力の被害者と言える。
これを「言論弾圧による民主主義への挑戦」といった報道をしている限り、
マスコミは「行政対象暴力」と言う事件の本質を曖昧にして、
結果的にはマスコミ自身が集団で「言論弾圧」を行ったことになっている。
◆マッカーサーの言論弾圧については、
参考エントリー:
沖縄空手の必殺技 「マッカーサーの三年殺し」 |
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