狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

戦陣訓その2 ウソ塗れのNHK史観

2008-09-04 07:39:39 | ★集団自決

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8月29日放映された≪NHK九州沖縄スペシャル“集団自決”~沖縄渡嘉敷島 兄弟の告白~≫は、目前に迫った「集団自裁判控訴審」(9月9日)を意識して、「NHK史観」を披露し、これが裁判官に「軍命あり」の心証を与える意図で作られた番組と思われたが、結果はNHKの目論見は成功しなかったようだ。

NHK史観って?

以下引用の新聞のテレビ番組紹介の中に、その「NHK史観」のキーワードが述べられている。

≪今から63年前、渡嘉敷島でおきた、“集団自決”。 一度に300人以上が犠牲となった。 そのほとんどが家族や親せき同士で互いに命を奪い合った。 今年、家族を手にかけてしまった当時10代だった兄弟が体験を告白。厳しい軍国主義、配られた手榴弾、天皇陛下万歳の声。

番組では、兄重栄氏が「軍の命令で集団自決をした」根拠として軍国主義教育を挙げ、画面に古びた「戦陣訓」の現物を大きく映し出していた。

集団自決⇒軍の命令⇒軍国主義教育⇒戦陣訓⇒生きて虜囚の・・⇒捕虜になるなら自殺せよ

その犠牲者が金城兄弟であるという「NHK史観」である。

                  *

戦後、「戦陣訓」という聞きなれない言葉が、「生きて虜囚の云々」というフレーズと一対になって、頻繁にマスコミに登場するようになるのは、戦後30年近くたって日本国民を驚かした横井さん帰還の以降のことである。

そして、主として朝日新聞を筆頭にした左翼マスコミによって次のような、それまでなかった物語が捏造されていった。

戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」の文言に縛られた横井さんがが、生きて帰還したことに対して「恥ずかしながら」の名文句を吐いた

≪「生きて虜囚の辱めを受けず」とは、「敵の捕虜になるなら自殺せよ」という意味である

これが新聞社の捏造であることは、軍隊経験のある山本七平、司馬遼太郎、安岡章太郎など当時このニュースに接した作家たちによって証言されていた。

そして、「集団自決」の「軍命の有無」の論争が始まるや、沖縄マスコミと左翼学者がこの「戦陣訓」に飛びついた。

そして「戦陣訓」に関するウソの歴史が新聞と左翼学者によって作られたのである。

 歴史は新聞が作るという意味で「歴史は「見出し」が作る」を書いた。

更に、その「見出し」に惑わされて判決も決まるという意味で、次の記事も書いた。

判決は「見出し」が作る 「全知全能」と驕る記者と判事が日本を劣化させる

                    ◇

今朝は「戦陣訓」について別の角度から論考して見る。

筆者の父から生前聞いた話だが、戦前の記憶すべき文章の代表として「教育勅語」と「軍人勅諭」はあったが、「戦陣訓」はなかった。

だが、敢えて「戦陣訓」、「教育勅語」、「軍人勅諭」の三つをならべて論考するとこうなる。

◆対象者

①教育語⇒国民全般

②軍人諭⇒陸軍、海軍、軍人全般(国民は対象外)

③戦陣⇒陸軍のみ (海軍は対象外、国民は論外)

 

◆暗記の必要性

上記赤字で示したように、「勅」の入った勅語や勅諭と「訓」とでは、論じるまでもなく、対象者に対する重要度は天と地ほどの差がある。

講堂などで大勢の対象者に向かって行われる「訓示」を「勅語」や「勅諭」を差し置いて「命令」と取るのは、曲解以外の何者でもない。

ましてや自分や家族の生命を奪うような「自決命令」が、不特定多数に向かって印刷された「訓」と同じだという論は、戦後のマスコミとと左翼学者が捏造した「幻の物語」である。

命令相手を特定しない紙切れの「訓示」で、自分の愛する家族を殺害できる程沖縄県民は愚かではなかったはずだ。

◆「戦陣訓」の文言の矛盾

左翼勢力は専ら、「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」部分を捉えて、

「敵の捕虜になるなら自殺せよ」と、曲解するが、

「戦陣訓」の最終章は下記のように「万死に一生を得て帰還の大命」と結ばれている。

戦陣訓(意訳付)(陸軍省、昭和16年1月)

   
九 万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具に思を護国の英霊に致し、言行を悼みて国民の範となり、愈々奉公の覚悟を固くすべし。
 
                                    (陸軍省昭和16年1月8日)

「万死に一生」⇒九死に一生

「帰還」⇒戦地から故郷に帰る

「大命」⇒天皇の命令

【現代語訳】
、「万死に一生」を得て、故国に帰れることができたら、共に国を護るために戦って死んでいった者に思いを巡らし、言葉遣いや行動に気をつけて、国民の模範となり、ますます天皇への奉公の覚悟を強くもつべきである。


「戦陣訓」は最後の九章で、捕虜にならずに「万死に一生」を得て帰還した場合の心構えを述べている。

当然、捕虜になった多くの陸軍兵士は「万死に一生を得て」帰還している。 例を挙げればシベリア抑留も捕虜であり、中国捕虜も捕虜であるが、自決した例はほとんどない。

結論として言えることは、「戦陣訓」は、罪過を犯した「虜囚」のことは述べていても、捕虜を意味する「俘虜」については述べていない。

当時の陸海軍の軍法において捕虜となることを禁止したり捕虜となった者を処罰するような条文は存在しない。

◆示達者の重みー大臣と天皇

「戦陣訓」とは、当時の陸軍大臣・東条英機が示達した陸軍だけの戦陣訓である。

いうまでもなく、陸軍大臣は天皇陛下(大元帥ー陸海軍を統帥する天皇)の臣(家来)であり、

「軍人勅諭」を示達した明治天皇と「戦陣訓」を示達した東条陸軍大臣では、その示達内容の軽重を比べるだけで畏れ多いことである。

戦前の軍人が「軍人勅諭」を重んじた気持ちと、「戦陣訓」に対する気持ちでは比較にもならないという例を、関東在住の沖縄出身者の会が語っている。

「関東城岳同窓会」のサイトで、戦前の思い出話として、小学校時代に「軍人勅諭」を暗記した士官学校志望の友人の話をしている。

軍人にあこがれた学生たちが暗記したのは「軍人勅諭」ではあっても、「戦陣訓」ではなかった。

ちなみにニ中とは現在の県立那覇高校のことで、戦前は県立第二中学校として秀才が進学するエリート校であった。

 関東城岳同窓会(関東地方在住の沖縄県立二中、那覇高校OBの同窓会)
座談会「素晴らしき青春―吾がニ中時代」を語る  

軍人勅諭を全文暗記したつわもの

北村:先生の話が出たところで、宮良(小宮)君関連のエピソードを一つ紹介しましょう。
 四年のとき教練の赤嶺先生(アカンミー)から「一週間以内に軍人勅諭を全文暗記して来い」との指示がありました。覚えてくる奴はまず居るまいと前文と忠節、礼儀の項だけを覚えて授業に臨みました。案の定、覚えきれた者はなくほぼ全員が失格。しかし、ここに居る宮良(小宮)君ただ一人が全文を正確に暗誦し遂げました。
 さすがのアカンミーもそこまでは期待して居なかったのでしょう、宮良君の熱意と頭の良さを口を極めて称賛していました。私は海軍に入ってからも軍人勅諭を全文暗記している人に出会ったことはありませんでした。

司会:皆さんの中には軍人学校に進学された方もおられますが、どう言う動機で受験されたのか。北村さんの場合はどうだったのですか。

北村:私の場合は、海軍の佐久間艇長殉職の記録に感銘を受け,どうしても潜水艦に乗りたいと思って、海軍兵学校を志望したのですが視力が0.3で駄目、結局は海軍経理学校を選択しました。入校して驚いたのは中学四年修了の"坊や"から3浪の"おじさん"までが混在しており、5歳の年齢差があったことです。訓育の標準は概ね一浪に合わせてあったので身体未成熟の四年修了や五年修了の連中は付いていけず随分苦労していました。幸い私は二中時代に柔道と「まちまー町廻い」で鍛えてあったので、カッター、陸戦、遠泳など、激しい訓練もそう辛いとは思いませんでした。

沖縄に住んでいると沖縄の偏向マスコミに影響を受けるが、関東在住だと「戦陣訓を丸暗記した」などというウソは決して言わない。

当時の沖縄住民がその行動を少しでも縛られていたとしたら、軍人志望の学生なら上記「対談」の例のように「軍人勅諭」を覚えただろうし、一般住民なら「教育勅語」を覚えるのが精一杯で、「戦陣訓」など存在すら知らなかったというのが事実である。

NHKが報じた「生きて虜囚の・・・」を強調する「戦陣訓・軍命説」は戦後作られたウソの物語である。

◆GHKに狙われた「教育勅語」と「軍人勅諭」

戦後、GHQは軍国主義を煽ったものとして戦前の諸制度を撤廃していった。その中にはチャンバラ映画も含まれ、一時は戦前の時代劇俳優が、黒い背広に拳銃を持つという奇妙な映画が流行り、その結果片岡千恵蔵の「名探偵・多羅尾伴内シリーズ」が生まれた。

マッカーサーが生んだ「七つの顔の男」

GHQは「教育勅語」と「軍人勅諭」を、軍国主義に影響を与えたものと指定し、これを受けて文部省は昭和21年に、これらの奉読(朗読)を行わないこととした。

その後昭和23年6月19日に、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、それぞれ決議されて教育勅語軍人勅諭は排除・失効が確認された。

ところが戦前は単なる訓示として国民はおろか対象者の陸軍軍人にも軽んじられていた「戦陣訓」は、GHQのお眼鏡にも止まらないほど知られていなかったので、わざわざ国会で排除・失効決議させるほどの事もなかった。

それほど「戦陣訓」は戦前の国民にとって、影響力のないパンフレットの条文的代物であった。

それが、戦後40年経った頃、横井さんの帰還と共にマスコミ主導で亡霊のように甦って「軍人勅諭」より強大な力があったかのごとく喧伝されるようになったのである。

歴史はマスコミによって捏造され、

歴史に無知な裁判官は、その「捏造された歴史」に引きずられる。

「おまけ」

山本七平と安岡章太郎の「戦陣訓」体験http://oncon.seesaa.net/article/17542111.html

 

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