狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

反育鵬社展示会、沖大教科書展示会

2011-10-06 21:20:59 | 八重山教科書採択問題

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中学社会7社教科書を展示 沖大

初日から学生や市民が訪れ、教科書を読み比べていた=3日、那覇市・沖縄大学(写真省略)

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社会  2011年10月4日 09時21分 

 八重山の「公民」教科書採択問題が混迷を深める中、沖縄大学(加藤彰彦学長)は3日から、同大図書館で、本年度検定済み7社の中学校社会科教科書の展示を始めた。教科書を実際に手に取り読んでみようと、初日から学生や市民らが教科書を読み比べるなど、熱心に見入っていた。

 展示しているのは、来年4月から中学校で使われる東京書籍、帝国書院、清水書院、教育出版、日本文教出版、育鵬社、自由社の「地理」「歴史」「公民」の各本。図書館入り口近くにコーナーを設け、新聞記事のスクラップも展示。これまでの複雑な経過が分かるよう配慮した。

 同大2年の宜保翔太さんは「新聞記事などで関心があった。バイトで塾講師をしているが、正しい事実を伝えないといけないと思う」。

 糸満市から夫婦で来た60代の女性は、教育関係者らが問題視している育鵬社版の公民教科書を丁寧に読んだ。「天皇の写真の多さに驚いた。国旗国家や皇室の記述も押しつけの感がある。孫はまだ小さいが、こんな教科書で学んでほしくない」と眉をひそめた。

 同館は8月から各社に教科書の提供を依頼。献本や貸し出しの形で全社から協力を得た。桜井国俊館長は「教員を目指す学生もおり、人ごとではない。多くの人に手に取ってもらい、自分の目で見て判断してほしい」と述べた。展示は31日まで。月~土曜日の午前9時~午後10時。入場無料。

                         ☆

左翼の巣窟と思われていた沖縄大学が今問題になっている中学生の社会科教科書を展示するというので記事で紹介したら、沖縄タイムスが「お決まり」の記事を書いてくれた。

それがこれ。

>糸満市から夫婦で来た60代の女性は、教育関係者らが問題視している育鵬社版の公民教科書を丁寧に読んだ。「天皇の写真の多さに驚いた。国旗国家や皇室の記述も押しつけの感がある。孫はまだ小さいが、こんな教科書で学んでほしくない」と眉をひそめた。

実際に展示会に行った読者から次々とコメントが入ったので、紹介する。

 ■沖縄大学図書館での展示、実は… 2011-10-05 15:48:54 Unknown  
昨日の日記で紹介された、沖縄大学の図書館での展示ですが、そこの図書館長は新報・タイムスの「御用」識者なので、「つくる会系」反対が目的です。

図書館には、「図書館の自由」なるものがあり、その中で「すべての検閲に反対する」ことが謳われているのですが、沖縄では、「つくる系」反対という、その「検閲」を正当化するような人が、図書館長になれるんですね。

ちなみに、大学の図書館は貴重な資料があるため、その保存のために未成年者の入館を規制しており、この展示を、当事者である中学生が見ることはできません。

■小学生も来ていました! 2011-10-05 18:33:55 目覚まし時計  
昨日、沖大にいくと教職員らしき男性が制服姿の小学生と共にバインダーを持たせレクチャーしている姿が! どこかで見た風景、、。 へ平和学習そのもの。しかも時間は正午前!もし彼が担任であったとするならば当日のホームルームあたりで生徒の口から一方的な感想を皆の前で発表など、、、。考え過ぎでしょうか?

ちなみに沖縄県は制服の小学校は少ないので私立かな? 五年生ぐらいの女の子二人でした。
 

■  姉さん。由々しき問題、発生です。 2011-10-06 02:52:56 Unknown   
例の沖縄大学での展示に小学生が来た、とのコメントがありますが、大学の図書館は未成年の入館を規制してるので、これはおそらく、「御用」識者の図書館長か沖教組の息のかかった教員による、いわゆる「やらせ」の可能性大です。

しかも、来たのが当事者でもなく、成績・内申書などを人質にされると何も出来ない小学生2人組で、来館したのが勤務時間内、となると、これは由々しき問題です。

「つくる会系」反対を叫ぶ連中は、間違いなく佐賀県における説明会番組に端を発する、原発をめぐる「やらせ」を批判しているでしょうが、彼等は自分達の「やらせ」は、正当化するのでしょうか。

「やらせ」といえば、今回の騒動で、高校を留年した女子高生による八重山毎日への投稿が注目されてましたが、彼女の父は医師らしく、もしそうなら県立八重山病院の院長だった前のハレンチ石垣市長との黒い接点が透けて見えるので、これも「やらせ」、といえば「やらせ」なのかもしれません。 

■  Unknown 2011-10-06 15:47:38 Unknown   
沖縄大学での展示会、図書館長が「御用」識者の桜井国俊なので、「つくる会系」反対を目的としたやらせなのは明白ですが、目覚まし時計さんのコメントにある小学生2人&男性「教員」ご一行様も、いつぞや仲山某がQABのニュースで発言した、組織動員によるやらせと考えると、このご一行様の正体…、「強制集団死」の島からのご一行様の可能性も考えられます。

もしそうならば、へき地の学校ゆえに人数が異様に少ないのもうなづけますし、プロパガンダとしてこれほど有効なものはないでしょう。

いずれにせよこのご一行様、新報・タイムスの記事なり読者投稿なりTVのニュースなり、何らかのかたちで馬脚をあらわすかもしれません。

 
■図書館の女性職員も丁寧に。 2011-10-06 16:51:57 目覚まし時計  
更に細かく言いますと図書館の女性職員も一緒になって。
ただの案内だったのか、このチャンス逃してはならぬ! っという状況だったのかまでは確認できませんでしたが他の市民には目もくれずといった感はありました。

八重山日報の新聞ばかり見ている私の後ろの灰色のベストに海邦国体オリジナル帽子をかぶっているおじさんが奥さんらしき女性となにやらコソコソ話。 帰るときには私の事を犯罪者でも見るかのようでしたが慣れっこなので会釈して帰りました。
皆様も彼らが主催する集会に参加してみては?露出狂には堪らないくらいの快感が味わえると思います。 

■■Unknown 2011-10-06 20:23:17 ◯◯◯    
沖大図書館の展示ですが、早速電凸してみました(笑)

まずはHPで電話番号を確認してみたのですが、そこの紹介ページ、今は修正されてますが、『育鵬社のバックの産経新聞』となっていたのでこれじゃ『893がバックにいる』みたいに悪印象を持たせるように誘導してるみたいじゃないかとジャブを入れたらご覧のとおり訂正されたということなのでしょう(笑)
http://www.okinawa-u.ac.jp/toshoTopics.php?eid=00091
最初は育鵬社の教科書にはフジサンケイグループのマークも入っているのだからバックという表現を使ったとのことでしたが、訂正するとは言ってなかったんですがね(笑)

あと小学生とか中学生が入れるのか、沖タイや琉珍は子供をダシに使う記事が多いように思うが、洗脳された小中学生が来場して図書館を出たら新聞記者が待ち構えていたということはないのかと聞いたら、保護者同伴なら以前から入館できるとのこと(本当のところはどうだかわかりませんが、当然目覚まし時計様来場のあとの電凸だったでしょうから)
ただ、そういうやらせみたいなことがおきないように配慮するとのこと。

次に教科書の内容や新聞報道も有用な情報だが、今の焦点は手続き問題だと思う、文部科学省の採択の手順や国会議員の質問主意書に対する閣議決定された答弁書も公開されているものがあるのだからそれを展示しているのかと尋ねると、文部科学省の採択の手順は展示している、答弁書については存じあげない、そのあたりはご自分でお調べ下さい、とのことでした。

まぁ怪しいと疑い出したらキリはないですが、一応中立な展示としておきましょうか(笑)
 


 
          ☆

展示会の様子が気になったので、筆者も本日の午後沖縄大学まで出かけ展示会を見学してきた。

各教科書会社の教科書を実際手にとって見て欲しいということなので、環境左翼の前学長が図書館長を努めるにしては随分気の利いた企画だと感心しながら出かけたが、さすがは沖縄大学、やはり予想を見事に裏切ってくれた。(笑)

環境左翼の図書館長が必死になって反育鵬社キャンペーンをしているのがミエミエの展示会だった。

教科書展示台の左の壁には2007年9月29日の「11万人集会」を報じる琉球新報の号外が張り出され

見開き二面にまたがる次の大見出しが躍っているではないか。

11万6000人結集 検定撤回要求≫

「軍強制記述回復」を決議

そして正面の壁には沖縄タイムスと琉球新報の一面と社会面トップを飾った「発狂記事」の切抜きが7点張り出されている。

「発狂新聞」の「発狂記事」のオンパレードである。

目に付いた記事の見出しを例挙する。

★8月31日 沖縄タイムス

民意はノー

「現場無視した政治的動き」

★8月31日 沖縄タイムス

育鵬社教科書

「反対56%」

各社の教科書を見る前に、嫌でも「発狂新聞」の育鵬社反対キャンペーン記事が目に入ってくる仕掛けだ。

台の横には一応各紙の切り抜きを貼ったスクラップブックを置いてあるが、大量のバッシング記事を書いた「発狂3紙」(沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日)のスクラップが圧倒的に多く、産経と八重山日報はアリバイのため、という感じ。

しばらくの間来訪者を観察していたが、教科書はパラパラと見ただけで、正面に貼られた「発狂新聞」の「発狂記事」を食い入るように読んでいる人が多かった。

結局は、沖縄大学が「教科書展示会」という美名の下に「つくる会系」教科書の反対キャンペーンをしているようなものであった。

沖縄大学の実態が垣間見れたという点では、非常に有意義な教科書展示会であった。(笑)

「全体主義の島」を死守するため沖縄大学が発狂新聞と一体になって反育鵬社キャンペーンをあからさまに行っている「教科書展示会」を、今後の勉強のため見学することをお勧めする。

 

【おまけ】

沖縄大学ホームページ

『中学校社会科教科書展』 (以前に保存していたもの)

沖縄では、中学校社会科教科書の採択が大問題となっております。沖縄大学図書館では、学生の皆さんに検定を通過した7社すべての教科書を手にとって見て頂き、沖縄の子ども達にどの教科書で学ばせたいか、自ら考えてもらいたいと考えています。そこで10月3日~10月31日の予定で図書館1階で中学校社会科教科書展を開催することとしました。ぜひお出で下さい。
 図書館には、琉球新報、沖縄タイムスだけでなく、地元八重山の八重山毎日、八重山日報もあります。さらには、本土紙で育鵬社のバックともなっている産経新聞もあります。そこで、これらの新聞に掲載された八重山教科書採択問題関連の記事をスクラップ帳にまとめ、展示しておきました。採択問題の経緯や、様々な立場の関係者の意見をまとめて知る上で、お役にたつことと思います。皆さんのご来館をお待ちしております。


と  き:2011年10月3日(月)~10月31日(月)

と こ ろ:沖縄大学図書館1階・展示ブース

開館時間:月~土 9:00~22:00(日・祝祭日は除く)
     入場無料は無料です。

お問い合わせ:(098)832-5577

駐 車 場:ご来館の際は公共交通機関をご利用ください。
          ご協力のほどよろしくお願いします。

 

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コメント (3)

衝撃の新事実、オカッパの少女は女性だった!

2011-10-06 06:50:52 | オカッパの少年

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 驚くべきことに「うつろな目の少女」は、やはり女性だった!

「うつろな目の少女」の意味を知らない読者は、意味がよく飲み込めず不審に思うだろう。

少女が女性なのは当たり前。 狼魔人も教科書問題の「発狂新聞」に取り憑かれ、ついに頭がイカレテシマッタと考えるかもしれない。

一方、「うつろな目の少女」が「オカッパの少年」であることを知っている古くからの読者なら、ストレートに衝撃を受けるか、沖縄戦を伝える沖縄2紙のデタラメ報道に「やっぱり」と改めて呆れ返るだろう。

古いエントリー記事「続・沖縄戦の女装の少年、地元紙も知らなかった女装の謎」のコメント欄に次のような読者のコメントがあった。

絶対!おかしい! (Unknown)

2011-09-09 17:43:37
 この写真の少女?は、大城盛俊氏じゃないですよ!
那覇春子というれっきとした女性です!
1985年に製作された短編記録映画「戦場ぬ童」という映画で、この写真の女性、玉那覇さんが出演・証言していますよ!
このときに右手首を負傷されていて、映画では右手を切断されてのインタビュー出演でした。
この映画を撮った、橘 祐典(たちばな ゆうてん)という監督も共産党員の左翼主義者ですが、どっちがホントなんですかね!!??
 ただひとつ真実なのは、どちらかが、ウソをいってることです。

コメントがあった9月9日といえば八重山教科書問題で多忙を極めていたので、上記記録映画の検証を昨日まで放置していたが、本日この少女は大城盛俊氏ではなく玉那覇春子さんであることが確認できた。

先ず「うつろな目の少女」とは太田昌秀著『これが沖縄戦だ』の表紙に使用され有名になった「少女」の写真のクレジットである。

 
■うつろな目の少女 1945.6月

 

ところが、驚くべきことに「このオカッパの少女は私だ」と名乗る75歳の老人(男性)が現れたのだ。

   

 写真を見るとどう見ても戦渦にほんろうされるいたいけない少女の姿だが、実は日本全国で沖縄戦の講演行脚をする大城盛俊氏の女装姿だというのだ。

この衝撃的ニュースは、「11万人集会」があった2007年8月、琉球新報によって沖縄メディアとしては(筆者の知る限り)、初めて報じられた。

それがこれ。

教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

2007年8月25日琉球新報

「沖縄がいつまでもバカにされたままでいいのか。沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴える大城盛俊さん=那覇市天久の琉球新報社

 「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。24日、琉球新報社を訪れた大城さんは、史実を歪める教科書検定の動きに「教科書が嘘(うそ)をついて、その嘘を教えられた子どもたちが大きくなったらどうなるのか」と懸念し、憤りで声を震わせた。
 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。
 大城さんは、1945年4月1日の米軍の沖縄本島上陸後に家族と玉城村のガマ(壕)に避難したときのことを鮮明に記憶している。そこには200―300人の住民がいた。5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。
 数日後、大城さんは米兵に助けられた。同写真は診療所の前で撮影された。(略)
 (深沢友紀)

                   ◇

この記事を見て驚いた素直な感想を、当時のブログに書いたのがこれ。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

このニュースは直ちに沖縄タイムスがフォロー記事を掲載し同じような衝撃が全国を走った。

2007年の夏といえば沖縄戦の教科書記述をめぐって、「沖縄の抗議」が全国の注目を浴びていた時期である。

こんな美味しい記事を全国紙が見過ごすはずはない。

翌2008年2月には朝日新聞がこれを大きく報じた。

それがこれ。↓

ニッポン人脈記/沖縄の「少女」 これは僕

朝日新聞 2008年02月01日

 1枚の写真が大田昌秀(82)の目をくぎ付けにした。

 おかっぱ頭の少女が血まみれで座りこみ、うつろな目をカメラに向けている。あの沖縄戦のなかを逃げまどったのだろう。

 大田は学生時代、鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員され、大勢の友を失った。戦後、琉球大学で教壇に立ち、米国の公文書館などで沖縄戦の資料を集める。

 そこでみつけた写真を「うつろな目の少女」と名づけ、本の表紙に使った。琉球新報に書いた連載をまとめ、77年に出した記録写真集『これが沖縄戦だ』である。

 与那原町でクリーニング店を営んでいた大城盛俊(75)は、この写真を84年に見る。内臓病で入院中、隣のベッドの患者が広げた地元紙にのっていた。

 その新聞をもらい、タクシーで新聞社に駆けつけ、大田の自宅を聞く。けげんな顔で玄関にあらわれた大田に紙面をつきつけた。

 「これは僕です」

 「でもあんた、男じゃないか」

   *

 大城は沖縄戦当時、12歳。「男の子は日本軍にひっぱり出され、何をされるかわからん」と案じた父のいいつけで、女の子のように髪を伸ばしていた。

 だが、なりすましてもムダだった。島がまるごと戦場になった45年6月、家族の食料を奪おうとした日本兵にとりすがる。「生意気だ。反抗するのか」。ひそんでいた壕からひき出された。こっぴどく殴られ、けられ、気を失う。右腕は脱臼、右目は失明。右足にいまも障害が残る。

 大田がみつけた写真は、米軍につかまった大城が治療されている時に撮られたものだった。「あんた、生きていたのか……」。大田は泣きだした。大城も涙する。ふたりはかたく抱きあった。

 大城は、沖縄戦の悲惨を語りつぐ「語り部」になった。全国の学校や平和団体を訪ね、1200回を超す。喉頭がんの手術をして22年前から人工発声器をつかう。低く聞きとりにくい声。生徒たちは息をころして聴き入る。

 「日本軍は『お前ら、アメリカにつかまるとスパイになるんだろう』と住民に手投げ弾を渡した。壕から出るときも、子どもを先頭に立たせて盾にした。沖縄の住民の敵は日本軍だったんです。そういう戦争を知らない人が歴史の教科書を書いている。情けない」(略)

                   

戦争に翻弄される少女の写真と思ったのが、名乗り出た人物が75歳の老人だったという衝撃もさることながら、「残虐非道な日本軍」というオイシイ話を喧伝するには絶好の大城氏の証言を、沖縄マスコミが戦後60数年も放置していたのは何故か。
 
大城氏が太田氏を訪ねて名乗り出たのは20数年も前の1984年ではないか。
 
しかも大城氏は沖縄戦の語り部として千数百回にも及ぶ講演会で全国行脚をする講演会のプロである。
 
2007年の琉球新報の特ダネと思われる記事の後も、沖縄紙は「うつろな目の少女」のエピソードには何故か及び腰であり、講演のプロである大城氏は、その後もなぜか沖縄本島での講演会は一度も行っていない。
 

2008年6月、大城氏は沖縄での最後の講演会を石垣市で行い、長年の講演会活動を、翌2009年の3月で終了するとした。

何ゆえ大城氏は長年の講演会活動を沖縄本島で行わなかったのか。

激戦地のある沖縄本島南部地域は大城氏の故郷ではなかったか。
 

日本兵が暴行、右目失明 表紙の「少女」大城さん、沖縄戦を語る 2008年6月22日

日本軍の暴行や虐殺を静かな怒りで語る大城盛俊さん=21日、石垣市民会館中ホール

 

             ★

この大城氏の衝撃的告白に最初から疑念を持った筆者は大城氏の戦後を追跡調査し、エントリーした回数が実に18回にも及んだ。

だが調べれば調べるほど大城氏の告白に対する疑念は深まるばかりであった。

詳細を知りたい方は⇒オカッパの少年(18)

今回大城盛俊氏の告白が記録フイルムによって真っ赤のうそであると判明した。

いくら子どもの頃の写真とは言え、大城氏の顔は「うつろな目の少女」の顔に面影さえ見出すことは出来ない。

記録フィルムで証言する玉那覇春子さんは7歳の写真とは同一人物であることは面影からもはっきり読み取れる。

玉那覇さんは右腕の半分がなく、負傷している写真の少女の右手は、その後気を失って目が覚めたときは米軍医療班ににより既に切断されていたという。

沖縄戦の報道をする沖縄メディアは、自分の都合の良い証言・告白等は何の検証もなく大々的に報道するが、「不都合な真実」は一切報道することはない。

大城盛俊氏は千数百回にも及ぶ講演会で、自分のデタラメな告白とそれを記事にした沖縄2紙をネタに聴衆を騙したことになる。

仮に講演料で収入でも得ていたら詐欺の疑いも浮上する。 またこれを裏づけも取らずに報道し講演会を支援したメディアは詐欺を共謀したといわれても仕方はない。

これまでにも沖縄メディアが沖縄戦に関してデタラメな証言(例えば毒おにぎり)は数多くあるが、大城氏のデタラメ告白は、それをネタに講演会をしていただけに、前代未聞の醜聞である。(怒)

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