時代に固有の精神はあらゆる分野に影響する 第2回
飛鳥・奈良時代の政治的理想
和辻氏の飛鳥奈良時代の政治論は、「祭りごと」や「祀る神」から始まる。古事記神話時代のことであるが、君主=神=祭司という定義である。支配と被支配の関係は最初から敬遠されている。「支配」はなく「統率」という事実であると云うのだが、古事記によっている限りそういう意図で書かれているからそうなのだという論理である。支配と言う事実を隠蔽してきれいごとで皆が望んだからという論理は支配者の論理である。明治の朝鮮植民地のときも朝鮮民衆が望んだからという論理で、大量の軍隊を導入し、国妃を殺し旧王朝を解体した上で銃口を突きつけて、平等自主的な契約関係であるという如きである。和辻氏は「民衆の福祉への欲望が、権威や統率関係の設定として自覚された。統率者と被統率者との対抗もない、君臣一致は字義通りの事実だった。」というオブラートでくるんでいるが、今時こんな社会学は頂けない。確かに飛鳥時代までは天皇家の力は弱体で、大臣大連という豪族の連合政権であった可能性はある。葛城氏、物部氏や蘇我氏を打倒した天皇政権はまた兄弟同志が血で血を洗う抗争とクーデターを繰り返して、天智、天武系皇統が中央集権の権力(支配)を確立した。古事記はその皇統の正当さを主張するための歴史書であったことは、現代の常識となっている。聖徳太子の「十七条憲法」とは道徳的理想を説いているが、大臣大連という豪族の連合政権の時どれだけの価値を持ちえたのだろうか。大化の改新以後天皇権力は「大宝令」を発布して中央集権制の政治体制を敷くことになる。この「大宝令」、「養老令」という政治改革は土地人民の私有禁止、班田収授の法は国家社会主義に近いもので、民衆に男女を問わず5歳以上に口分田を給する。もちろん「調」、「庸」という租税や労働賦役がある。特権階級には「位田」、「功田」、「賜田」「食封」、官僚には「職田」を与える。この制度がどの程度実現されたか、その後急速に土地の私有化が進んだのはなぜかという疑問に対して、津田左右吉氏はこれを「一種の空想にすぎないこの共産主義的制度はそもそも長続きするものではなかった」といっている。ただ奈良時代の政治はこの社会主義制度を、中国の唐の中央集権的政治制度を見習って引き写したとしても、たしかに大宝・養老律法があったことは事実である。現実と理想の二重構造が平然として並存するところが日本人のいい加減さの特徴かもしれない。
(つづく)
飛鳥・奈良時代の政治的理想
和辻氏の飛鳥奈良時代の政治論は、「祭りごと」や「祀る神」から始まる。古事記神話時代のことであるが、君主=神=祭司という定義である。支配と被支配の関係は最初から敬遠されている。「支配」はなく「統率」という事実であると云うのだが、古事記によっている限りそういう意図で書かれているからそうなのだという論理である。支配と言う事実を隠蔽してきれいごとで皆が望んだからという論理は支配者の論理である。明治の朝鮮植民地のときも朝鮮民衆が望んだからという論理で、大量の軍隊を導入し、国妃を殺し旧王朝を解体した上で銃口を突きつけて、平等自主的な契約関係であるという如きである。和辻氏は「民衆の福祉への欲望が、権威や統率関係の設定として自覚された。統率者と被統率者との対抗もない、君臣一致は字義通りの事実だった。」というオブラートでくるんでいるが、今時こんな社会学は頂けない。確かに飛鳥時代までは天皇家の力は弱体で、大臣大連という豪族の連合政権であった可能性はある。葛城氏、物部氏や蘇我氏を打倒した天皇政権はまた兄弟同志が血で血を洗う抗争とクーデターを繰り返して、天智、天武系皇統が中央集権の権力(支配)を確立した。古事記はその皇統の正当さを主張するための歴史書であったことは、現代の常識となっている。聖徳太子の「十七条憲法」とは道徳的理想を説いているが、大臣大連という豪族の連合政権の時どれだけの価値を持ちえたのだろうか。大化の改新以後天皇権力は「大宝令」を発布して中央集権制の政治体制を敷くことになる。この「大宝令」、「養老令」という政治改革は土地人民の私有禁止、班田収授の法は国家社会主義に近いもので、民衆に男女を問わず5歳以上に口分田を給する。もちろん「調」、「庸」という租税や労働賦役がある。特権階級には「位田」、「功田」、「賜田」「食封」、官僚には「職田」を与える。この制度がどの程度実現されたか、その後急速に土地の私有化が進んだのはなぜかという疑問に対して、津田左右吉氏はこれを「一種の空想にすぎないこの共産主義的制度はそもそも長続きするものではなかった」といっている。ただ奈良時代の政治はこの社会主義制度を、中国の唐の中央集権的政治制度を見習って引き写したとしても、たしかに大宝・養老律法があったことは事実である。現実と理想の二重構造が平然として並存するところが日本人のいい加減さの特徴かもしれない。
(つづく)