ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 田中章夫著 「日本語スケッチ帳」 岩波新書(2014年4月)

2014年07月03日 | 書評
言葉の使い方に正誤はない 時代をへて日本語は変わってゆく 第4回

3) 人命と地名
①ベネッセコーポレーションの赤ちゃん「2011年名前ランキング」では、男の子は「大翔(ひろと)」、女の子は「結衣(ゆい)」だったそうだ。昭和初期に女の名前でカナ2字型の名前「はる、とめ、ちよ」は激減し、9割は「千代、恵美、久子」といった漢字書きとなった。古来皇族や武家の子女に限られていた「・子」のつく名前が急増したという。男の名前では左衛門などの3字以上の名前は大正時代までで、昭和から清という1字名前や「~男」などになった。戦争中は勇、勲などの勇壮な名前が多く、戦後は和夫、和子など平和志向に替わったという。2006年悠仁親王誕生で「悠太、悠斗」などが急増した。命名には時代時代の流行が顕著にみられる。1946年「当用漢字」が生まれ「戸籍法施行規則」で命名に使える文字が当用漢字1850字に制限された。1981年常用漢字1945字の施行にともない、人命用漢字別表(別枠で使える漢字)は166字となった。
②「吉原」を駅名では「よしわら」と呼ぶ人は東の人、「よしはら」は西の人である。「秋葉原」は江戸っ子は「あきはばら」は間違いで「あきばっぱら」と呼ぶ。「高田馬場」は「たかだのばば」は間違いで地元とでは「たかたのばば」と呼ぶそうである。札幌郊外の「月寒牧場」は正しくは「つきさっぷ」と呼んだが、いまでは「つきさむ」となっている。京都下京区の奇想天外な通リ名「天使突抜」は16世紀に作られた5条天神の境内を突き抜ける道のことである。
③「大阪」はもとは「大坂」と書いていたが、土に反るは縁起が悪いので「大阪」になったという。日光はもと「二荒」を避けた言い方である。江戸時代の刑場「小塚原」は、「骨ケ原」は露骨なので言い換えたのである。「粕壁」は「春日部」となった。「代馬(しろうま)」は「白馬(はくば)」になった。現在中国のことを「シナ」と呼ぶのは右翼か保守反動政治家(石原氏)ぐらいである。

(つづく)