ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

医療問題 混合医療は是か非か

2010年04月04日 | 時事問題
医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2010年4月2日)「解禁してはいけない混合診療」 多田智弘 武蔵浦和ただともはる胃腸科肛門科 より


 3月15日日本経済新聞に「保健医療と保険外医療の組み合わせ(混合医療)の原則解禁を」という記事あった。また内閣府規制改革会議の最重要課題に「混合医療の在り方の見直し」があげられている。現在の制度では、保険で求められていない保険外診療が診療に加わった場合保険が適用されず、治療費全体が患者の自己負担となる。保険内診療5万円の3割負担に保険外治療3万円という場合45000円を払えばいいというわけではなく、全額8万円が自己負担になるのだ。混合医療賛成派の描くシナリオと、混合医療反対派の描くシナリオを比較してみよう。混合医療賛成派は、①保険適用はそのままで、保険外医療だけを自己負担とするもので総医療費8万円が45000で済み個人および国家にとって医療費の大幅削減となる、②利用者の多彩なニーズに答えられる、③赤字病院の経営改善となるという点を挙げます。この場合利用者とはお金持ちのことです。反対派は、①公的保険診療しか行わない病院は経営的、人的に完全に破綻する、②現在の差額ベットに明らかなようにお金のない人への差別が浸透する、③保険外診療を受けないと満足な医療が受けられないように誘導される。つまり医療格差が拡大しアメリカのような金持ちだけのための医療になる事は見え見えだという。筆者は結局混合医療には反対で、このような小泉元首相のような規制緩和策では「良質な医療を公平に供給する」という日本医療のよさが消滅するという危惧を抱いている。さてあなたはどう思いますか。

読書ノート 上野千鶴子、辻本清美著 「世代間連帯」 岩波新書

2010年04月04日 | 書評
ポスト「お一人様の老後」世代も生き延びられるための社会設計 第3回

序(3)
 辻本清美氏のプロフィールを紹介する。社民党衆議院議員として公式サイトはここですので参考にしてください。また清美ブログサイトも紹介します。辻元 清美 氏(1960年4月28日 生まれ)は、政治家(社民党所属衆議院議員) 奈良県吉野郡大淀町生まれ、大阪府育ち。名古屋大学教育学部附属高等学校、早稲田大学教育学部卒。国際交流団体ピースボート設立者。介護ヘルパー2級。NPOのコーディネート、男女共同参画社会へ向けての執筆、講演などで活動。1996年10月20日 結党直後の社民党の党首・土井たか子の、いわゆる「一本釣り」により第41回衆議院議員総選挙に立候補し、近畿ブロック比例代表から初当選。同じく初当選の保坂展人・中川智子と共に「土井チルドレン」と呼ばれた。2000年 世界経済フォーラム・ダボス会議の「明日の世界のリーダー100人」に選ばれる。第42回衆議院議員総選挙において、大阪10区から当選。選挙後7月より党政策審議会長。議員在職中にNPO法、情報公開法などに取り組み成立させる。 2002年3月 「週刊新潮」により、秘書給与流用疑惑が報道され、衆院議員辞職。 2005年9月11日 第44回衆議院議員総選挙において社民党近畿ブロック比例代表から当選。 著書に「へこたれへん」 角川書店、「NPO早分かりQ&A] 岩波ブックレットと本書がある。
 本書の内容は、労働と住まい、家族とこども、医療と福祉、税と経済といった如何にも社会学のキーワードが並んでいる。言わんことは比較的明解であるので、目次に従い4章に分けて紹介したい。各キーワードはそれ一つで一書が必要なほど重要問題であるが、本書は社会設計であるので政策論として簡単にまとめてゆこう。
(つづく)

文藝散歩 加藤周一著 「日本文学史序説」上下  ちくま学芸文庫

2010年04月04日 | 書評
日本人固有の土着的世界観をさぐる日本文化思想史概論 第15回

4)第2の転換期:13世紀鎌倉幕府の時代 鎌倉仏教と王朝貴族文化の最後 (3)

 鎌倉幕府に実権を奪われた京都の貴族階級は政治的に巻き返しを図ろうとした努力は既にその力がないことが明白になり、幕府に取り入って自身の宮廷内の昇進を図る人もいたが(藤原兼実や定家ら)、依然文化の担い手は貴族階級にあった。1201年後鳥羽天皇の命で「和歌所」が作られ、藤原定家らが「新古今集」の編集にあたった。定家は父俊成の「古来風体抄」をふまえて、歌合・題詠・歌論の定式化をすすめ、文学的価値の意識化に努めた。「幽玄」、「有心」などという言葉で表現される美的価値の主張と、「本歌取り」にみる歌論の伝統主義という工夫である。1205年「新古今和歌集」が六人の選者によって編纂され1978首の和歌をあつめた。新古今の特徴は「詠み人知らず」の歌がなく収録されたのは同時代の専門家歌人の歌ばかりである。歌の制度化と専門家の時代となった。また女性歌人が1/3を占めた。古典を踏まえて、掛け言葉(今でいう駄洒落)を駆使して、複雑な内容を凝縮するのが新古今流であり定家流であった。現場を見ないで作るのが普通であった。浄土教は風俗にとりれられているが、法然や親鸞の思想には程遠い。貴族階級は絶対者の浄土教をいまだに理解していなかったようだ。定家とならんで多く採用されている西行の歌は殆どが月並みの主題により、旅に出ても自然を見て詠んだものではない。旅で重要なのは「歌枕」である。歌枕を詠むためにそこにいったに過ぎない。鎌倉三代将軍実朝の歌は「ますらおぶり」ともてはやされことが多いが、武家気質は何も感じられない。北面の武士西行と同様に貴族文化への全面降伏を見るだけである。
(つづく)

月次自作漢詩 「江村春景」

2010年04月04日 | 漢詩・自由詩
春陂一面菜花田     春陂一面 菜花の田

山麓煙霞景物妍     山麓は煙霞 景物妍なり

野杏欲燃紅映日     野杏燃えんと欲して 紅日に映じ
  
長江流下碧連天     長江流れ下って 碧天に連る

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(韻:一先 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)