「道徳感情論」、「国富論」への案内 第2回
序(2)
アダム・スミスの経歴を簡単に見てみよう。アダム・スミス(1723年 - 1790年)は、イギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・哲学者。主著は『国富論』、「経済学の父」と呼ばれる。グラスゴー大学で哲学者フランシス・ハチソンの下で道徳哲学を学び、1740年にオックスフォード大学に入学。1748年からエディンバラで修辞学や純文学を教えはじめ、1750年ごろ、哲学者ヒュームと出会う。その後、1751年にグラスゴー大学で論理学教授、翌1752年に同大学の道徳哲学教授に就任する。1759年にはグラスゴー大学での講義録『道徳情操論』(または『道徳感情論』The Theory of Moral Sentiments)を発表し、名声を確立。1763年には教授職を辞し、家庭教師としてフランスに渡り、そのころパリのイギリス大使館秘書を務めていたヒュームの紹介でチュルゴーやダランベール、ケネーをはじめとするフランス知識人と親交を結んだ。スミスは1766年にスコットランドに戻り、1776年3月9日に出版されることになる『国富論』の執筆にとりかかる。アメリカ独立の年に発表された『国富論』はアダム・スミスに絶大な名誉をもたらし、イギリス政府はスミスの名誉職就任を打診したが、スミスは父と同じ税関吏の職を望み、1778年にエディンバラの関税委員に任命された。1787年にはグラスゴー大学名誉学長に就任し、1790年に死亡した。享年67。
序(2)
アダム・スミスの経歴を簡単に見てみよう。アダム・スミス(1723年 - 1790年)は、イギリス(グレートブリテン王国)の経済学者・哲学者。主著は『国富論』、「経済学の父」と呼ばれる。グラスゴー大学で哲学者フランシス・ハチソンの下で道徳哲学を学び、1740年にオックスフォード大学に入学。1748年からエディンバラで修辞学や純文学を教えはじめ、1750年ごろ、哲学者ヒュームと出会う。その後、1751年にグラスゴー大学で論理学教授、翌1752年に同大学の道徳哲学教授に就任する。1759年にはグラスゴー大学での講義録『道徳情操論』(または『道徳感情論』The Theory of Moral Sentiments)を発表し、名声を確立。1763年には教授職を辞し、家庭教師としてフランスに渡り、そのころパリのイギリス大使館秘書を務めていたヒュームの紹介でチュルゴーやダランベール、ケネーをはじめとするフランス知識人と親交を結んだ。スミスは1766年にスコットランドに戻り、1776年3月9日に出版されることになる『国富論』の執筆にとりかかる。アメリカ独立の年に発表された『国富論』はアダム・スミスに絶大な名誉をもたらし、イギリス政府はスミスの名誉職就任を打診したが、スミスは父と同じ税関吏の職を望み、1778年にエディンバラの関税委員に任命された。1787年にはグラスゴー大学名誉学長に就任し、1790年に死亡した。享年67。