ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 江崎保男著 「生態系ってなに?」 中公新書

2008年05月14日 | 書評
世界の生態系は病んでいる、しかし生態系(エコシステム)ってよく分らない 第1回


 エコという言葉であふれている。環境問題とは生態系を破壊する人間の行為によって発生したものである。自然に任せていては処理できないほどの汚染物質負荷を与える事、自然では分解できない物質を放出する事はわかりやすいエコである。しかし人間の開発行為による地球温暖化問題や生態系の破壊となると、その影響は事前に予知することは難しいし環境事前評価ほどいい加減な物はない。行政や開発者は過小評価し、被害者は過大評価するものである。要するに科学的に計算することは不可能であるということだ。なぜ難しいかというと、規模のおおきな生態系は掴みようがない事から来ている。要因が多くて、その相互関係もまだ定量化されていない。分からないと言った方が早いかもしれない。だから勝手なことを言っても真偽の確かめようがないのである。多変数関数の境界条件不定の連立方程式を解くようなもので、科学的解は見つからないのが普通である。そもそも「生態学」は大学では理学部の生物学科で研究されていた自然科学か人文科学か良く分からない分野であった。京都大学理学部の今西錦司氏らの活躍が有名であるが、魚の棲み分けや猿の社会学からはじまり、ついには京大人文科学研究所では文学部と同居して、梅棹忠夫氏らの「文明論」というスケールになった。もうこうなると人文科学である。自然科学ではない。地域に固有な観察記述学問(ルポ科学)でしかないという宿命を持っていた。したがって生態学が科学になるには特殊性から一般性を抽象する必要があり、かつ普遍性と再現可能性が要求される。しかし生態学には本来そのような特性があるとはいえない。実験ができないため、観察結果の見解は結果論であってその理由はいくらでも捏造?できるのである。一人が意見を言えば反対意見が百と出てくるのである。言葉の魔術を弄して、「この事はこう見るのだ」という天才的な見解(ダーウイン「種の起源」やドーキンス「利己的な遺伝子」などをさす)が支配する学問の世界であると私は理解している。だからというかしかしというか、生態学は全体的な(総合的な)面白い学問である。

文芸散歩 「平家物語」 高橋貞一校注 講談社文庫

2008年05月14日 | 書評
日本文学史上最大の叙事詩 勃興する武士、躍動する文章 第47回


平家物語 卷第八

山門御幸
平家一門が都落ちした寿永二年七月二十四日、法皇は右衛門頭資時一人をお供としてまず鞍馬に逃げられた。なお都に近くて危険だと云うので北山越えで比叡山横川に入られた。と云うことで法皇は叡山山門へ、天皇は西海へ、摂政は吉野へ、女院・宮らは都の郊外へ逃げられた。源氏はまだ入京していないので、一時的に都は主人のいない里になった。しだいに公卿らは叡山に集まり、二十八日木曽殿が5万騎で守護し、法皇は都に御還となった。続いて蔵人行家、矢田判官義清ら入京する。法皇より平家追討の宣旨が下された。主上が不在、三種の神器もなかったが、法皇は高倉院の皇子三の宮(五歳)と四の宮(四歳)から、自分になついた四の宮を天皇に立てることになった。この皇子の母は修理大夫信隆卿の娘であった。

名虎
八月十日木曽殿左馬頭となって越前の国を貰う。「朝日将軍」という院宣も出た。木曽殿越後を嫌ったので伊予国を贈られ、蔵人行家は備後を嫌って備前を賜った。平家一門百六十人の官職を停止、殿上人を召し上げた。二十日高倉院の四の宮が位につき、摂政基通が補佐した。昔文徳天皇が隠れられた時、一の宮と二の宮が後継位を争った。公卿が詮議して優劣極め難いとして相撲で勝ったほうが天皇位を継ぐことになった。一の宮惟喬親王側から名虎の右衛門督と云う強の者を出し、二の宮惟仁親王側からは善男と云う者を出し、僧の祈祷もあってか名虎が勝った。一の宮すなわち水尾天皇がそれである。この話は相撲で帝位を決めるなんて嘘臭いが、とにかく兄弟が帝位を血で争うという飛鳥時代の風習は無くなっていた様だ。密室で決めるよりは相撲のほうが透明性が良いというのは変な物分りのよさかな。

自作漢詩 「雨中送春」

2008年05月14日 | 漢詩・自由詩


冷雨霏霏緑滴     冷雨霏霏と 緑衣に滴る

奈何季老送春     奈何せん季老い 春の帰るを送る

寥寥惜別鶯無語     寥寥と別れを惜んで 鶯語無く 
  
恨満枝枝花乱     恨枝枝に満ちて 花乱れ飛ぶ

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(赤い字は韻:五微 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 ルイ・クープラン「チェンバロ組曲とパバーヌ」

2008年05月14日 | 音楽
ルイ・クープラン「チェンバロ組曲とパバーヌ」
チェンバロ演奏:グスタフ・レオンハルト 
ADD 1979 BMG

ルイ・クープラン(1626-1661)は初期フランスバロックの鍵盤楽器を代表する作曲家で、フレスコバルディ、フローベルガーと比肩される。パリで活躍し35歳で亡くなる前の10年間で約200曲のチェンバロ曲(1楽章を1曲とカウント)を作曲した。いつも次世代の甥のフランソワ・クープランの名声の陰に隠れて影の薄い存在である。チェンバロ組曲のプレリュードには小節線を設けずに、自由な長さで演奏することが特徴である。繊細で美しい和音と転調を楽しんでいる。