ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

今日から北の核問題六者協議再開  何回再開したのか 

2007年02月08日 | 時事問題
2007年02月08日03時01分
米朝が先月「覚書」 支援と原子炉停止を同時に開始

 6者協議の米朝首席代表のヒル国務次官補と金桂寛(キム・ゲグァン)外務次官が1月にベルリンで協議した際、朝鮮半島の非核化に向けた初期段階の措置について大枠で合意し、「覚書」に署名していたことがわかった。数週間以内に北朝鮮が寧辺の原子炉の停止などを実行に移す一方、見返りとして北朝鮮へのエネルギー・人道支援が同時に開始されることが盛り込まれているという。覚書の中で北朝鮮は寧辺の黒鉛減速炉(5000キロワット)を停止し、02年12月に追放した国際原子力機関(IAEA)査察官の現場復帰に応じ、米国は北朝鮮へのエネルギー・人道支援を支持する立場を表明している。ただ、支援の量や種類などの内容には触れておらず、6者協議で主要議題の一つとなる見通しだ。

94年の米朝合意(クリントン合意)の繰り返し 
北の合意の内幕は「核施設を一つ凍結しても又作ればいいのだ。援助がもらえれば当面生きてゆける」
嘘とわかっていて乗る米国の手詰まり感如実、イラク・イランで手一杯ブッシュⅡ

ここに面白い二つの本がある。
1)島田洋一著 「アメリカ・北朝鮮抗争史」文春新書(2005年2月)
2)相馬勝著 「北朝鮮採集殲滅計画」講談社+α新書(2006年2月)
北の核疑惑が起きたのは1984年旧ソ連が供与した黒鉛減速炉以来で1990年から米朝核問題協議が始まった。米国は核拡散防止条約で米英仏ソ中以外の核保有を認めない態度である。それ以来延々と十五年以上協議?という北の時間稼ぎに付き合って、3回も合意をして2回北に裏切られ、米国は又3回目に裏切られることを覚悟して合意するようだ。よっぽど手詰まりなのだ。

文藝書評 小林秀雄全集第19巻「真贋」より「真贋 」

2007年02月08日 | 書評
真 贋

骨董なんぞに興味のない人には無縁だろうが、贋物をつかまされた無念さと馬鹿さ加減を描いた自嘲風の小論である。真贋に一喜一憂するばくちの世界のことである。其処にまともな真・美の世界があろうはずも無く、小林氏の芸術的心眼などという芸当は信用するに価しない。相場や競馬に血が上ってしまった哀れな人のこっけいな話。健全な常識人は決して手を出すなという教訓だけが残るお話であるが、二、三面白い話があるので参考までに引用する。
「本物は増えない。需要はあるというところからインチキ商売が始まった。例えば、専門家の話では雪舟の本物は数点しかないのに雪舟をかけたい人は数万人いる。其処に贋物の存在理由がある。贋物と大きな声を出せば書画骨董界は危機に瀕する。」
「裸茶碗や表装のない書画に本物はあるが、箱や鑑定書のないような贋物はない。」
「仏教美術の世界は物知りの講釈で持っているような世界。」


クラシック音楽 マーラーの交響曲を聴く 第10回/全11回

2007年02月08日 | 音楽
・・・人間界の苦悩と哀歓を背負った巨人の音楽はいかが・・・


あの難解といわれるマーラー(1860~1911)の交響曲について述べたい。音楽は学問ではないから難解なことは飛ばせばいい。分からないような曲を作るほうがおかしいと尻をまくっても誰も文句は言わない。マーラーは昔から精神病理学者や心理学者の格好の材料であって精神分裂症(総合神経症)であったといわれる。あごが尖っておりやせて神経質そうな顔があてはまるからだ。マーラーの作品も性格を反映して感情の起伏が激しく大きい。精神分裂症の特徴は躁鬱症の振幅をさらに大きくしたもので、今笑ったかと思うと次には絶望の淵に立たされている。恐怖、怒り、笑い、憧れ、夢想が突発的に変化することである。交響曲第7番は陰々滅滅状態で、第5番は支離滅裂で理解不能といわれる。第6番は恐怖の結晶がうまく花咲いたようだ。ところが第1番と第2番はストーリーが分かりやすく古典音楽としてもまとまりが良くできている。第8番は宗教的な静けさに満ちた曲である。最高の出来は「大地の歌」と第9番で、死への恐怖との凄絶な戦いが赤裸々に語られえ永遠の傑作と賞せられるだろう。

ブルックナーの交響曲と同じように演奏時間はやたら長い。1時間以内にまとまっているのは第1と第4だけであり、なんと第2、第3、第8の交響曲は1時間半以上である。そしてブルックナーの交響曲と同じように短調の交響曲が9曲中に5曲もある(第2、第3、第5、第6、第7)。金管楽器のオーケストレーションでの役割はブルックナーほど大きくはなく弦とのバランスは取れている。マーラーの交響曲の最大の特徴は声楽パートが器楽と共に音響像を構築していることである。ベートーベンも音楽と言語の結合を第9番で目指したが、まだ音楽付交響曲の域を出なかった。後期ロマン派のマーラーでは声楽の構成上の重要性が高く、あらゆる音楽目的に関わっている。

マーラー交響曲の私的聴きどころ 第10回/全11回
交響曲 第9番 ニ長調

1909年の作。「大地の歌」の終楽章「告別」を引き継いで死の恐怖との壮絶な戦いを描いた。第1楽章アンダンテは弦の表現が苦しいほど切なく響き恐怖におののいている様子が表現される。ホルン、トロンボーンの気味の悪さとヴァイオリンの天国的響きがすばらしい。第2楽章ベース、チェロとホルンの掛け合いに始まり、クラシックオーケストレーションがすばらしい強靭な楽章である。第3楽章ロンドは緊迫感がみなぎったクラシック形式美を保持した名曲である。第4楽章アダージョは美しい弦で始まり全編ハーモニーが美しい。美の極致ともいえる。まいった、マーラーにこんな美しい曲があるのだ。

橋本治著 「ひらがな日本美術史」 2-4 「北野天神縁起絵巻」

2007年02月08日 | 書評
「北野天神縁起絵巻」・・大和絵というもの・・

北野天神絵巻はとても不思議な絵巻物である。派手で陽気でエネルギッシュで面白い。こんな絵は他には俵屋宗達の風神雷神ぐらいである。讒言により左遷され大宰府で憤死した菅原道真の怨霊が鬼となって都を暴れまわる陽気さと明るい地獄絵が妙に生き生きしている。その秘密はデフォルメされた線がとても魅力的な形を生んでいるからである。そういう意味で十分に達者な大和絵の伝統が生かされているといえる。