101歳。老衰で死去、と。そうかあ・・・・・・・
尊敬していた方だった。日本に、真のジャーナリストが1人もいないなか、ソレに近い方だった、私のなかでは。
あの方が、戦時中、中国や、東南アジア地域の従軍記者として、赴き、現地でありのまま、見たままの記事を書いていたことは、知られている。
死去に関して、ネトウヨ、ウヨウヨのなかに、馬鹿なしたり顔のコメントがひとり。
「戦争をあおる記事を書いていた」と。
どこを見て言っているのか、この馬鹿!間違っている。
当時、ありのまま、見たままを、さりげなく書くことが、どんなに怖いことであったか、記者経験を長くした者なら、少しは分かる・・・・かもしれない。
この戦争反対、負けそう、とはさすがに書けない。
しかし、見たままを誇張せずに、あおることも無く、書くことによって、ああ、負け戦(いくさ)になっていっているのかも?と、そこはかとなく読者に感じさせる手法は、可能だった。
むのさんが言っていた、「とても、ゾッとする実話」を書こう。
「わたし、戦時中ね、軍から、この記事、書き直せ! と、呼び出されて検閲を受けたことは、ただの一度もね、ありませんでしたよ」
つまり、彼が当時勤めていた朝日新聞社を始め、見えぬ影におびえて、「自主規制」したばかりでなく、すり寄って行った。迎合していった、見える圧力も無いのに。その流れに、彼は戦後、一気に怒った。
規制もないのに、自主規制してゆくマスコミ。規制もされていないのに、ますます自主規制していく、今のマスコミ。
顔色をうかがい、亀頭を、ひょいひょい隠し、引っ込めるマスコミ。
その実話に、ゾッとし、震えた。
例えば、かつての名作映画。
これが差別用語? これが、問題ある表現? セリフ?
そんな程度の娯楽のたぐいまで、自主規制しているでしょう?
今回のリオ五輪の、メダル狂走局。
まるで横並びの、「国威発揚」ではありませんか?
そんなさなかの、むのさんの死。
やりきれません・・・・・・