まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

特別付録>随想あれこれ>患者観察考

2019年12月27日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

付録:随想あれこれ 患者観察考

 私は県立白鳥病院と、ここ香川医大附属病院くらいにしか入院したことがないので、詳しいことは知らない。若いころには、大川病院(現さぬき市民病院)とか、樋端(といばな)病院とかNTT高松病院とか高松日赤病院とかにも入院したが、古い記憶は参考にはならない。

 この病室で感じたことは、四人病室でも四人が四人ともカーテンをきちんと引いて、少しも中の様子を見せまいとし、椅子や荷物などでカーテンの重し(風鎮)のようにして動かなくしている人もある。私のように全開にして寝室が丸見えになっている人はまずいない。これも、個人主義化、核家族化・プライバシー重視化・個人情報非開示化などさまざまな人間生活のありようが見えてくる。東かがわ市の白鳥病院でも似たような傾向にはあるが、多くが開放的というか、一面、ルーズな面も見ることができる。

 最近の田舎の農家でも、玄関にはしっかりと鍵をかけ、来客のたびに鍵を開け閉めする家が多くなり、当然、マイカーやマイバイク、自転車にまでしっかりとした鍵やロックを掛ける時代になっている。

 それと同様に、この病院では病室のカーテンをしっかりと引き、イスやカバンで隙間が見えないようにガードしている。たまに、貴重品入れ小型金庫の鍵を風呂屋の洗い場みたいに、手首に巻いて人を見かける。病院へ、そんなに大金を持ってきているのかと、うがった見方を楽しんでいる。「俺たちに明日はない。キャッシュカードにも残はない」というのは私だけだろうか。

 で、同室の人同士でも挨拶をすることもなく、会話をすることなどない。同室に居ても、まるで赤の他人は赤の他人。都会のマンション、会社の会議室みたいだ。同じ部屋にいるからと言って友人になったわけでも親戚になったわけでもないのだ。名前を知っても意味はないし、病院を出たら最後、何のゆかりも縁もなくなってしまい、アカの他人になってしまうのだ。

 でも、時に同じ病名であったり、過去にその人と同じ病名があったり、似たような症状があった場合には、話が少しずつ噛み合ったりする。同病相哀れむということから話が盛り上がったりはするが、それで年賀状が届くわけでも暑中見舞いが来るわけでもない。

 患者さんたちを見ていて感じることの一つに、全く、終日、寝てばかりいる人がいる。当然、食事もし、トイレにも行き、薬も飲んで寝ているのだろうが、昼間から寝て、夜もまた寝ているのだろうから、実によく眠れるものだと感心するばかりである。

 かと言って昼間は寝ていても夜になると着替えて出かける人もあれば、深夜までテレビをつけている人がある。見ているのか寝ているのかさえ不明。私には無関係といえば無関係。

 最近、読書をする人が減った。時に週刊誌やスポーツ新聞を開いている人も見かけるが、一時ほどでもなくなった。やはり、高齢者でもスマホは人気が高いようだ。

 また、病院にいてどうかと思うのだが、冷蔵庫や引き出しにアイスクリームやらジュースやら栄養ドリンクやらお菓子、スイーツ、菓子パンなどを詰め込んで食べている人がいた。「そんなん、かまんのかぁ~」と思ったりしたが、自己責任の問題。私にはぬるいお茶しかないので、清貧こそ美徳だと思い込むしかない。 

 最近、気になるのが室内での携帯電話。入院案内にも「病室では禁止」と書いてあるのに、堂々と大声でしゃべっている。マナーモードにもせず、大きな着信音そのままで、讃岐弁丸出しで大声で話すのはどうかと思うばかり。

 その昔、建設会社の社長さんや議員さんが入院すると、NTTの「臨時電話」というものを申し込んで、二回線とか三回線の電話線を窓から入れて、数台の黒電話で電話していた。

 これも、すぐに携帯電話やスマホによって解消されたけれど、病室から大きな声でしようもない馬鹿話をするのはやめにして欲しい。

 そうそう、ここの患者さんは真面目だ(少なくともこの南館三階のフロアだけかもしれないけれど)。18時の夕食が終わって、19時を過ぎると寝てしまう。本当に寝ているのか、テレビを見ているのかは知らないけれど。ぴったりとカーテンを閉じて室内灯を消して静寂になる。20時を過ぎるとテレビをつけているのが迷惑なのか・・・と思うほど静かになり、廊下からは人影も消える。消灯の21時には人の声も絶え、フロア中が寝てしまったようになる。看護師さんだって姿を消してしまう。

 例の東かがわ市の病院では22時の消灯時間を過ぎても人々が歩き回り、病室からはテレビの音や話し声が聞こえ、夜中中、誰かが走り回りってにぎやかなことだった。

 今はそういう元気もパワーもなくなり、個人化、孤立化が進んできたかのように思えたものだった。

 


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