あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

青森放火殺人事件、岸田首相暗殺未遂事件の容疑者の心理構造。(人間の心理構造その18)

2023-04-21 19:05:51 | 思想
4月13日午前1時頃、青森県六戸町で、住宅が全焼し、5人の遺体が発見された。92歳の男性が、妹一家に放火し、4人が焼死し、自身も焼死したと見られている。4月15日午前11時過ぎ、和歌山市の雜賀崎で、岸田文雄首相が補選の応援の街頭演説を始める前に、24歳の男性が筒状の物を投げ込み、爆発した。首相は怪我は無く、24歳の男性は逮捕された。この二つの事件の原因は何だったの。前者は、事件を起こす前、妹一家に農地を奪われて恨んでいると近所の人々に語っていたという。後者は、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたこと、年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったことに不満を持っていたという。それにしても、なぜ、このような自暴自棄の行動を行ったのだろうか。冷静に考えれば、目的を達成したとしても、その後は、悲惨な末路をたどることは、誰にでも容易に想像されるのである。しかし、人間は自我が傷付けられると、その修復のために自暴自棄の行動を行うことがあるのである。なぜならば、人間は、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望に動かされて行動する動物だからである。92歳の高齢者は、妹一家に自我が傷付けられたから、深層心理は、その修復のために、怒りの感情と放火という行動の指令を出し、彼を動かしたのである。24歳の若者は、岸田首相と国に自我が傷付けられたから、深層心理は、その修復のために、怒りの感情と暗殺という行動の指令を出し、彼を動かしたのである。たとえ、妹一家に92歳の高齢者の自我を傷付けた覚えがなくても、岸田首相に24歳の若者の自我を傷付けた覚えがなくても、彼らの深層心理に覚えがあれば、事件は成立するのである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望が人間を動かしているのである。深層心理は、感情を動力にして、人間を、行動の指令通りに動かそうとするのである。つまり、人間は、無意識の思考である深層心理の思考によって動かされているのである。もちろん、人間には、自らを意識しての思考もある。それは、表層心理での思考である。冷静に考えるとは、表層心理での思考である。表層心理での思考の結論が意志である。しかし、深層心理が生み出した感情が強ければ、意志では、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧できず、それに従って行動するしか無いのである。深層心理が生み出した感情があまりに強過ぎる場合、人間は表層心理で思考する余裕すらなく、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動するのである。それほど、深層心理が自我に執着して生み出した自我の欲望の力は大きいのである。だから、92歳の高齢者も24歳の若者も、表層心理の意志で深層心理の指令を抑圧できないほど非常に怒りの感情が強かったか、表層心理で思考できる余裕が無いほど異常に怒りの感情が強かったのである。それでは、自我とは何か。自我とは、構造体において、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。国という構造体には総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我などがあり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には校長・教師・生徒などの自我があり、会社という構造体には社長・部長・社員という自我などがあり、仲間という構造体には友人という自我があり、カップルという構造体には恋人という自我があるのである。だから、ある人は、時には、日本という構造体の中で日本人という自我を持し、時には、家族という構造体の中で父という自我を持し、時には、会社という構造体の中で営業課長という自我を持し、時には、コンビニという構造体で客という自我を持し、時には、夫婦という構造体で夫という自我を持して暮らしていているのである。ある人は、時には、日本という構造体の中で日本人という自我を持し、時には、家族という構造体の中で母という自我を持し、時には、銀行という構造体の中で行員という自我を持し、時には、電車という構造体で乗客という自我を持し、時には、夫婦という構造体で妻という自我を持して暮らしていているのである。人間は、常に、ある構造体の中で、ある自我として、他者と関わりつつ、他人の視線を意識しながら、暮らしているのである。他者とは構造体内の人々である。他人とは構造体外の人々である。92歳の高齢者は、親戚という構造体の中で、伯父という自我で、妹一家と関わりつつ、近所の人に不満を述べながら、暮らしていたのである。24歳の若者は、日本という構造体の中で、国民という自我で、岸田文雄首相とマスコミを媒介として関わりつつ、世間の視線を意識しながら、暮らしていたのである。さて、人間は、常に、ある構造体の中で、ある自我で、他者と関わりつつ、他人の視線を意識しながら、暮らしているが、表層心理で自我を意識して思考して意志によって行動しているのではない。人間は、常に、深層心理が、構造体の中で、自我を主体に立てて、ある心境の下で、快感原則を満たそうとして、欲動によって、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、それに動かされて行動しているのである。フランスの心理学者のラカンは、「無意識は言語によって構造化されている。」と言う。深層心理は、思考して、感情と行動の指令を生み出すのである。無意識とは、言うまでもなく、深層心理を意味する。ラカンは、深層心理は言語を使って論理的に思考していると言っているのである。つまり、深層心理が、構造体の中で、自我を主体に立てて、ある心境の下で、快感原則を満たそうとして、欲動によって、言語を使って、論理的に思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かしているのである。人間の行動までのプロセスは三通りある。一つは、表層心理で思考することなく、深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望の通りに行動するのである。これが、所謂、無意識の行動である。もう一つは、表層心理で、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について、そのまま実行するか抑圧するかを思考して行動するのである。これが、自らの意志による行動である。しかし、深層心理が生み出した感情が非常に強ければ、意志で抑圧しようとしても、深層心理が生み出した行動の指令の通りに行動してしまうのである。最後の一つは、表層心理で深層心理が思考して生み出した感情と行動の指令という自我の欲望を意識しているが、感情が異常に強いので、表層心理で思考する余裕がなく、深層心理が生み出した行動の指令の通りに行動してしまうのである。これらが感情的な行動であり、惨劇、悲劇を招くのである。92歳の高齢者の放火殺人事件、24歳の若者の岸田首相暗殺未遂事件は、まさしく、感情的な行動である。さて、人間は、常に、深層心理が、構造体の中で、自我を主体に立てて、ある心境の下で、快感原則を満たそうとして、欲動によって、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、それに動かされて行動しているが、深層心理、構造体、自我については、既に触れているので、これから、自我を主体に立てる、心境、快感原則、欲動について順に説明していこうと思う。まず、自我を主体に立てるであるが、自我を主体に立てるとは、深層心理が自我を中心に据えて、自我の行動について思考して、感情と行動という自我の欲望を生み出しているということである。つまり、人間は、表層心理で、自ら意識して思考して、行動を決められないのである。なぜならば、人間は、表層心理で、自ら意識して思考しても、感情を生み出せないからである。感情を生み出すのは、深層心理であり、しかも、行動の指令とともに生み出すのである。感情の伴わない行動は、机上の空論にしか過ぎず、動けないのである。感情という動力があって、初めて、行動は行動となって動き出すのである。確かに、人間は、表層心理で、行動について思考するが、それは、常に、深層心理が生み出した行動の指令について、それに従うかそれを抑圧するかの審議であり、表層心理独自に行動の指針を思考することはできないのである。しかし、ほとんどの人は、主体的に、自らの状況を意識して思考して、自らの意志で行動を決めて、それに基づいて、行動していると思い込んでいるのである。それは、そのような生き方に憧れているからである。深層心理の無の有化作用がそのように思い込ませているのである。深層心理の無の有化作用とは、欲望が強い場合、深層心理は、実際には存在しないものやことを、存在しているように思い込むことである。すなわち、深層心理の無の有化作用が、人間をして、自ら主体的に意識して考えて自らの意志で行動しながら暮らしていると思い込ませているのである。そして、ほとんど人は、主体的に、自らの感情をコントロールしながら、自ら意識して、自ら考えて、自らの意志で行動しながら暮らしていると思っているのである。そして、もしも、自分が、主体的に行動できないとすれば、それは、他者からの妨害や束縛があるからだと思うのである。そこで、他者からの妨害や束縛のない状態、すなわち、自由に憧れるのである。自由であれば、自分は、主体的に、自らの感情をコントロールしながら、自ら意識して思考して、自らの意志で行動することができると思い込んでいるのである。しかし、それは大きな誤解である。人間は主体的ではないのである。人間は、自由であっても、主体的になれないのである。なぜならば、深層心理が自我を主体に立てて思考して生み出した自我の欲望が人間を動かしているからである。だから、人間は自己として存在し難いのである。自己とは、人間が表層心理で常に正義に基づいて思考して行動するあり方である。つまり、自己とは、人間が、正義に基づいて、自ら意識して考え、意識して決断し、その結果を意志として行動する生き方である。だから、人間が、表層心理で正義に基づいて思考して、その結果を意志として行動しているのであれば、自己として存在していると言えるのであるが、常に、深層心理が思考して生み出した自我の欲望に動かされているので、自己として存在していると言えないのである。自己として存在していないということは、自由な存在でもなく、主体的なあり方もしていず、主体性も有していないということを意味するのである。そもそも、自我とは、構造体という他者から与えられたものであるから、人間は他者の思惑を無視して主体的に自らの行動を思考することはできないのである。そうすれば、構造体から追放され、自我を失う虞があるからである。さらに、そもそも、人間の表層心理での思考は、深層心理の思考の結果を受けて始まるから、人間は、本質的に、正義に基づく主体的な思考はできないのである。もちろん、92歳の高齢者も24愛の若者も、正義に基づく主体的な思考をしていない。92歳の高齢者の深層心理は、親戚という構造体の中で、伯父という自我を主体に立てて、妹一家に農地を奪われて恨んでいたのである。24歳の若者の深層心理は、日本という構造体の中で、国民という自我を主体に立てて、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたこと、年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったことで、岸田文雄首相を恨んでいたのである。次に、心境であるが、心境は感情と同じく深層心理の情態である。情態とは人間の心の状態を意味している。しかし、心境は深層心理を覆っている情態であり、感情は深層心理が生み出した情態である。心境は、爽快、憂鬱など、深層心理に比較的長期に滞在する。感情は、喜怒哀楽、感動など、深層心理が行動の指令ととに突発的に生み出し、人間を行動の指令通りに動かす力になる。深層心理は、常に、ある心境の下にあり、時として、心境を打ち破って、行動の指令とともに感情を生み出す。つまり、心境が人間にルーティーンの生活を送らせ、感情がルーティーンの生活を打ち破る行動を人間に起こさせるのである。深層心理が、常に、心境や感情という情態を伴っているから、人間は表層心理で自ら意識する時は、常に、ある心境の情態にある自分やある感情の情態にある自分として意識するのである。人間は心境や感情を意識しようと思って意識するのではなく、ある心境やある感情が常に深層心理を覆っているから、人間は自分を意識する時には、常に、ある心境の情態にある自分やある感情の情態にある自分として意識するのである。つまり、心境や感情の存在が、自分がこの世に存在していることの証になっているのである。すなわち、人間は、ある心境の情態にある自分やある感情の情態にある自分に気付くことによって、自分の存在に気付くのである。しかも、人間は、一人でいてふとした時、他者に面した時、他者を意識した時、他者の視線にあった時、他者の視線を感じた時などに、自分の心を覆っている心境や心の中に生まれた感情に気付くと同時に、何かをしている自分や何かの状態にある自分を意識するのである。そして、心境は、深層心理が自らの心境に飽きた時に、変化する。だから、誰しも、表層心理で、すなわち、自らを意識して自らの意志によって、心境を変えることはできないのである。さらに、深層心理が自我の欲望を生みだす時に、感情は行動の指令とともに生み出されるが、その時、心境は、後ろに退き、無力化する。だから、人間は、自ら意識して、自らの意志によって、心境も感情も、生み出すこともできず、変えることもできないのである。すなわち、人間は、表層心理では、心境も感情も、生み出すことも変えることもできないのである。なぜならば、心境も感情も、深層心理の範疇だからである。人間は、表層心理で、自ら意識して、直接的に、嫌な心境や嫌な感情を変えることができないから、何かをすることによって間接的に変えようとするのである。それが気分転換である。酒を飲んだり、音楽を聴いたり、スイーツを食べたり、カラオケに行ったり、長電話をしたりすることによって、気分転換、すなわち、心境をや感情を変えようとするのである。また、人間は、心境や感情という情態によって、現在の自我の状態の良し悪しを判断する。つまり、情態の良し悪しが人間の現在の自我の状態の良し悪しを決定するのである。すなわち、爽快などの快い心境の情態の時には、自我が良い状態にあるということを意味し、深層心理は現在の状態を維持しようと思考するのである。深層心理は、ルーティーンの生活を維持しようと思考するのである。逆に、陰鬱などの不快な心境の情態の時には、悪い状態にあるということを意味するのである。そこで、深層心理は現在の状態を改善しようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動そうとするのである。しかし、よほど強い感情を生み出さない限り、超自我や表層心理での思考によって行動の指令は抑圧されるのである。そして、ルーティーンの生活が続くのである。さて、感情も、心境と同じく情態だが、そのあり方は異なっている。感情を具体的に表す四字熟語として喜怒哀楽があるが、喜楽などの快い感情の情態の時には、自我が良い状態にあるということを意味し、怒哀などの不快な感情の情態の時には、自我が悪い状態にあるということを意味する。深層心理が喜びの感情を生み出した時には、行動の指令通りに人間を動かし、拍手喝采などの喜びの表現をし、他者に自らの存在を知らしめるのである。深層心理が怒りの感情を生み出した時には、行動の指令通りに人間を動かし、他者を非難したり暴力を加えたりして、他者に自らの存在を知らしめるのである。深層心理が哀しみの感情を生み出した時には、行動の指令通りに人間を動かし、泣くなどの哀しみの表現をし、他者に慰めてもらうのである。深層心理が楽しみの感情を生み出した時には、行動の指令通りに人間を動かし、満足気などの楽し気な表情をし、他者の存在が気にならないのである。しかし、感情は、深層心理によって、自我の欲望として、行動の指令とともに生み出され、人間に行動の指令通りに行動させる動力になっているから、人間が行動の指令通りに行動すれば、その感情は消えていくのである。そして、自我の状況によって、深層心理は思考して、新しく、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。さて、人間は、心境や感情という情態によって、自分が良い状態にあるか悪い状態にあるかを自覚するから、オーストリア生まれの哲学者のウィトゲンシュタインは、「苦しんでいる人間は、苦しいという心境や感情が消滅すれば、苦しみの原因が何であるかわからなくても構わない。苦しいという心境や感情が消滅すれば、問題が解決されようがされまいが構わないのである。」と言うのである。人間にとって、現在の心境や感情が絶対的なものであり、特に、苦しんでいる人間は、苦しいという心境や感情から逃れることができれば、それで良く、必ずしも、苦悩の原因となっている問題を解決する必要は無いのである。なぜならば、深層心理が思考するのは、自我になっている人間を動かし、苦しみの心境や感情から苦しみを取り除くことが最大の目標であるからである。つまり、深層心理にとって、何よりも、自らの心境や感情という情態が大切なのである。92歳の高齢者の深層心理は、伯父という自我が妹一家に農地を奪われて苦悩していたのである。そこで、その苦悩から逃れるために、放火したのである。24歳の若者の深層心理は、国民という自我が、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたこと、年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったことで苦悩していたのである。そこで、その苦悩から逃れるために、岸田首相の暗殺を企てたのである。次に、快感原則についてであるが、快感原則とは、スイスで活躍した心理学者のフロイトの用語であり、ひたすら、その時その場で、自我に快楽をもたらし、不快を避けようという深層心理に備わっている欲望である。快感原則には、道徳観や社会規約は存在しない。だから、深層心理の思考は、道徳観や社会規約に縛られず、ひたすらその場での瞬間的な快楽を求め不快を避けることを、目的・目標としているのである。キリスト教で、悪事を犯したことや悪なる欲望を抱いたことがある者が、神の代理とされる司祭に、それを告白し、許しと償いの指定を求める懺悔という儀式がある。しかし、悪なる欲望を抱いただけで罪人であるなら、人間全員が懺悔しなければならなくなる。当然のごとく、司祭自身も、懺悔しなければならないことになる。なぜならば、深層心理は、快感原則を満たそうとして自我の欲望を生み出すので、全ての人間の自我の欲望には、必ず、悪なるものが生み出されるからである。92歳の高齢者の深層心理は、伯父という自我が妹一家に農地を奪われたという不快感から逃れる逃れるために、放火殺人という自我の欲望を生み出したのである。24歳の若者の深層心理は、国民という自我が、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたという不快感、年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったという不快感から逃れるために、岸田首相の暗殺という自我の欲望を生み出したのである。次に、欲動についてであるが、欲動とは、深層心理を内部から突き動かしている欲望である。フロイトは、欲動をリピドーと表現し、性本能・性衝動のエネルギーを挙げている。ユングは、リピドーとして、生命そのもののエネルギーを挙げている。しかし、フロイトが挙げているリピドーは狭小であり、ユングが挙げているリピドーは漠然としていて、曖昧である。欲動とは、深層心理の中に存在して、深層心理を動かしている、四つの欲望の集合体である。深層心理は、自我の状況を、欲動に応じたものにすれば、快感が得られるのである。そこで、深層心理は、欲動に従って思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間を動かそうとするのである。すなわち、欲動が深層心理を動かしているのである。欲動の第一の欲望が、自我を存続・発展させたいという保身欲である。それは、自我を現在の構造体にとどまらせようとする作用、すなわち、自我の保身化という作用を行う。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという承認欲である。それは、他者から見た自我を意識し、他者に認められようとする作用、すなわち、自我の対他化の作用を行う。欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象などの対象を支配したいという支配欲である。それは、ある対象をある志向性(視点・観点)で捉え、意のままにしようとする作用、すなわち、対象の対自化の作用を行う。欲動の第四の欲望が、自我が他者と心の交流を図りたいという共感欲が存在する。それは、他者を趣向性(好み)で捉え、趣向性に合った他者ならば、心の交流を図りたいという作用、すなわち、自我の他者との共感化という作用を行う。人間は、無意識のうちに、深層心理が、欲動の保身欲、承認欲、支配欲、共感欲という四つの欲望に基づいて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生みだし、人間は、それによって、動きだすのである。欲動の第一の欲望が、自我を確保・存続・発展させたいという保身欲であるが、日常生活が維持できるのは、深層心理が、自我を保身化することによって、この欲望を満たそうとしているからである。高校生・会社員が嫌々ながらも、毎日高校・会社に行くのは、高校生・会社員という自我を失いたくないからである。退学者・失業者が苦悩するのは、高校・会社という構造体から追放され、高校生・会社員という自我を失ったからである。裁判官が総理大臣に迎合した判決を下し、高級官僚が公文書改竄までして総理大臣に迎合するのは、正義よりも自我が大切だからという保身欲からである。学校でいじめ自殺事件があると、校長や担任教諭は、自殺した生徒よりも自分たちの自我を大切にするから、事件を隠蔽するのである。いじめた子の親は親という自我を守るために自殺の原因をいじめられた子とその家庭に求めるのである。自殺した子は、仲間という構造体から追放されて友人という自我を失いたくないから、いじめの事実を隠し続け、自殺にまで追い詰められてしまったのである。ストーカーになるのは、夫婦やカップルという構造体が消滅し、夫や恋人という自我を失うのが辛いから、相手に付きまとい、構造体を維持しようとするのである。また、深層心理は、自我の確保・存続・発展だけでなく、構造体の存続・発展のためにも、自我の欲望を生み出している。なぜならば、人間は、この世で、社会生活を送るためには、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を得る必要があるからである。言い換えれば、人間は、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を持していなければ、この世に生きていけないから、現在所属している構造体、現在持している自我に執着するのである。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。現在、世界中の人々は、皆、国という構造体に所属し、国民という自我を持っている。だから、世界中の人々には、皆、愛国心がある。愛国心があるからこそ、自国の動向が気になり、自国の評価が気になるのである。愛国心があるからこそ、オリンピックやワールドカップが楽しめるのである。しかし、愛国心があるから、戦争を起こし、戦場では、拷問、虐殺、レイプなどの残虐な行為を行うのである。一般に、愛国心とは、国を愛する気持ちと説明されている。しかし、それは、表面的な意味である。真実は、他の国の人々に自国の存在を認めてほしい・評価してほしいという自我の欲望である。国民は、愛国心という自我の欲望を満たすことによって快楽を得ているのである。さて、ほとんどの人の日常生活は、無意識の行動によって成り立っている。それは、欲動の第一の欲望である保身欲にかなっているからである。毎日同じことを繰り返すルーティーンになっているのは、人間は、深層心理の思考のままに行動して良く、表層心理で意識して思考することが起こっていないからである。また、人間は、表層心理で自らを意識して思考することが無ければ楽だから、毎日同じこと繰り返すルーティーンの生活を望むのである。だから、人間は、本質的に保守的なのである。だから、ニーチェの「永劫回帰」という思想は、人間の生活にも当てはまるのである。しかし、時には、ルーティーンの生活が破られることがある。例えば、人間は、学校や会社という構造体で、生徒や会社員という自我を持っていて暮らしている。深層心理は、同級生・教師や同僚・上司という他者から、生徒や会社員という自我に好評価・高評価を得たいという欲望を持っているが、連日、馬鹿にされたり注意されたりして、悪評価・低評価を受け、プライドがズタズタにされると、深層心理は、傷心という感情と不登校・不出勤という行動の指令という自我の欲望を生み出すことがある。しかし、深層心理には、超自我という機能もあり、日常生活のルーティーンから外れた行動の指令を抑圧しようとする。超自我は、深層心理に内在する自我を確保・存続・発展させたいという保身欲から発した、自我の保身化という機能である。しかし、深層心理が生み出した傷心の感情が非常に強い場合、超自我は、深層心理が生み出した不登校・不出勤という行動の指令を抑圧できないのである。その場合、人間は、表層心理で思考することになる。表層心理で、自らの状態を意識して、傷心という感情の下で、不登校・不出勤という行動を取ったならば、後に、自我がどうなるかという、周囲の他者の評価を気にして、不登校・不出勤という行動の指令について、許諾るか拒否するか、思考するのである。つまり、超自我が抑圧できない場合、人間は、表層心理で、自らを意識して(自らの状態を意識して)、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について、将来の現実的な利得を考慮して、許諾するか拒否するか、思考するのである。人間は、表層心理で、道徳観や社会的規約を考慮して思考するのも、他者の評価が気になるからである。人間の表層心理での思考が理性であり、人間の表層心理での思考の結果が意志である。しかし、深層心理が生み出した感情が強過ぎると、超自我の抑圧も、表層心理の意志による抑圧も、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧できないのである。この場合、傷心の感情が強すぎると、不登校・不出勤に陥ってしまうのである。また、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否する結論を出し、意志によって、行動の指令を抑圧できたとしても、今度は、表層心理で、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が納得するような代替の行動を考え出さなければならないのである。そうしないと、深層心理の傷は癒えないのである、しかし、代替の行動をすぐには考え出せるはずも無く、自己嫌悪や自信喪失に陥りながら、長期にわたって、苦悩の中での思考がが続くのである。この場合、登校しても勉強に身が入らず、出勤しても業務に身が入らないのである。さらに、深層心理が思考して生み出した感情や行動の指令という自我の欲望が、超自我で抑圧できなかった場合だけでなく、人間は、表層心理で、現実的自我の利得を求めて、思考する時がある。それは、他者の視線を感じた時、他者がそばにいる時、他者に会った時である。その時、人間は、表層心理で、自らの存在を意識して(自らの現在の状態を意識して)、現実的自我の利得を求める志向性から、これからの自我の行動を思考するのである。つまり、人間は、他者の存在を感じた時、自らの存在を意識し、それと同時に、思考が始まるのである。それが、表層心理での思考である。それでは、なぜ、他者の存在を感じた時、人間は、自らの存在を意識して思考するのか。それは、人間にとって、他者の存在は常に脅威であり、自我の存在を危くさせるものだからである。さらに、人間は、無我夢中で行動していても、突然、自らの存在を意識することもある。無我夢中の行動とは、無意識の行動であり、深層心理が、思考して、生み出した感情と行動の指令という自我の欲望のままに行う行動である。そのように行動している時も、突然、自らの存在を意識することがあるのである。それも、また、突然、他者の存在に脅威を感じ、自らの存在に危うさを感じたからである。つまり、人間は、他者の存在に脅威を感じ、自らの存在に危うさを感じた時、表層心理で、自らの存在を意識して、現実的な利得を求めて、思考するのである。そして、人間は、自らを意識する時は、自らの状態を意識する(自らの行動や思考を意識する)だけでなく、自らの情態も意識するのである。情態とは、心境や感情などの心の状態である。情態が、自我の外の状況を知らしめ、自我の内の状態を知らしめるとともに、自らの存在を認識させるのである。92歳の高齢者の深層心理は、親戚という構造体で、伯父という自我を維持しようと思っていたが、妹一家に農地を奪われたので、親戚という構造体から追放され、伯父という自我を失ったと思い込み、その不快感から逃れるために、放火殺人を行動の指令として生み出したのである。24歳の若者の深層心理は、国民という自我が持っているが、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたことや年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったということで、国民という自我が維持できないと思い、その不快感から逃れるために、岸田首相の暗殺を行動の指令として生み出したのである。次に、欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという承認欲である。深層心理が、自我を他者に認めてもらうことによって、充実感・快感という快楽を得ようとすることである。自我の対他化の視点で、人間の深層心理は、自我が他者から見られていることを意識し、他者の視線の内実を思考するのである。人間は、他者がそばにいたり他者に会ったりすると、深層心理が、まず、その人から好評価・高評価を得たいという思いで、自分がどのように思われているかを探ろうとする。ラカンの「人は他者の欲望を欲望する。」(人間は、いつの間にか、無意識のうちに、他者のまねをしてしまう。人間は、常に、他者から評価されたいと思っている。人間は、常に、他者の期待に応えたいと思っている。)という言葉は、端的に、自我の対他化の現象を表している。つまり、人間が自我に対する他者の視線が気になるのは、深層心理の自我の対他化の作用によるのである。つまり、人間は、主体的に自らの評価ができないのである。人間は、無意識のうちに、他者の欲望を取り入れているのである。だから、人間は、他者の評価の虜、他者の意向の虜なのである。人間は、他者の評価を気にして判断し、他者の意向を取り入れて判断しているのである。つまり、他者の欲望を欲望しているのである。だから、人間の苦悩の多くは、自我が他者に認められない苦悩であり、それは、深層心理の自我の対他化の機能によって起こるのである。受験生が有名大学を目指し、少女がアイドルを目指すのも、自我を他者に認めてほしいという欲望を満足させたいからである。男性が身だしなみを整えるのも、女性が化粧をするのも、自我が他者に認められたいという欲望を満足させるために行っているのである。92歳の高齢者の深層心理は、親戚という構造体で、伯父という自我を持って暮らしていたが、妹一家に農地を奪われたので、伯父という自我を認められていないと思い込み、その不快感から逃れるために、放火殺人を行動の指令として生み出したのである。24歳の若者の深層心理は、国民という自我が持って暮らしていたが、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたことや年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったということで、国民という自我が認められていないと思い、その不快感から逃れるために、岸田首相の暗殺を行動の指令として生み出したのである。次に、欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象などの対象を支配したいという支配欲である。深層心理は、対象の対自化の作用によって、この欲望を満たそうとする。対象の対自化は、深層心理が、自我の志向性(観点・視点)で。他者・物・現象を捉えることである。対象の対自化とは、「深層心理が、他者という対象を支配しようとする。深層心理が、物という対象を、自我の志向性で利用しようとする。深層心理が、現象という対象を、自我の志向性で捉えている。」ということである。まず、他者という対象の対自化であるが、それは、自我が他者を支配すること、他者のリーダーとなることである。つまり、他者の対自化とは、自分の目標を達成するために、他者の狙いや目標や目的などの思いを探りながら、他者に接することである。簡潔に言えば、力を発揮したい、支配したいという思いで、他者に接することである。自我が、他者を支配すること、他者を思うように動かすこと、他者たちのリーダーとなることがかなえられれば、喜び・満足感が得られるのである。他者たちのイニシアチブを取り、牛耳ることができれば、快感が得られるのある。教師が校長になろうとするのは、深層心理が、学校という構造体の中で、教師・教頭・生徒という他者を校長という自我で対自化し、支配したいという欲望があるからである。自分の思い通りに学校を運営できれば楽しいからである。会社員が社長になろうとするのも、深層心理が、会社という構造体の中で、会社員という他者を社長という自我で対自化し、支配したいという欲望があるからである。自分の思い通りに会社を運営できれば楽しいからである。さらに、わがままも、他者を対自化することによって起こる行動である。わがままを通すことができれば快楽を得られるのである。次に、物という対象の対自化であるが、それは、自我の目的のために、物を利用することである。山の樹木を伐採すること、鉱物から金属を取り出すこと、いずれもこの欲望による。物を利用できれば、物を支配するという快楽を得られるのである。次に、現象という対象の対自化であるが、それは、自我の志向性で、現象を捉えることである。人間を現象としてみること、世界情勢を語ること、日本の政治の動向を語ること、いずれもこの欲望による。現象を捉えることができれば快楽を得られるのである。さらに、対象の対自化が強まると、深層心理には、有の無化と無の有化という作用が生まれる。有の無化とは、深層心理が、自我を苦しめる他者・物・事柄という対象がこの世に存在していると、この世に存在していないように思い込むことである。犯罪者の深層心理は、自らの犯罪に正視するのは辛いから、犯罪を起こしていないと思い込むのである。いじめ自殺事件が起こると、いじめっ子の親の深層心理は、親という自我を傷付けられるのが辛いから、わが子のいじめが自殺の原因はわが子のいじめではないと思い込むのである。無の有化とは、深層心理が、自我の志向性に合った、他者・物・事柄という対象がこの世に実際には存在しなければ、この世に存在しているように創造することである。深層心理は、自我の存在の保証に神が必要だから、実際にはこの世に存在しない神を創造したのである。いじめ自殺事件が起こると、いじめっ子の親の深層心理は、親という自我を傷付けられるのが辛いから、自殺の原因をいじめられた子やその家族に求めるのである。深層心理は、有の無化、無の有化によって、自我を正当化して、安定感を得ようとするのである。92歳の高齢者の深層心理は、親戚という構造体で、伯父という年長者の志向性で妹一家に接していたが、農地を奪われたので、裏切られたと思い込み、その不快感から逃れるために、放火殺人を行動の指令として生み出したのである。24歳の若者の深層心理は、国民という志向性で国に参画していたが、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたことや年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったということで、裏切られたと思い、その不快感から逃れるために、岸田首相の暗殺を行動の指令として生み出したのである。最後に、欲動の第四の欲望が自我と他者の心の交流を図りたいという共感欲である。深層心理は、自我と他者を共感化させることによって、この欲望を満たそうとする。自我と他者の共感化は、深層心理が、自我が他者を理解し合う・愛し合う・協力し合うことによって、快感を得ようとすることである。つまり、自我と他者の共感化とは、自分の存在を高め、自分の存在を確かなものにするために、他者と心を交流したり、愛し合ったりすることなのである。それがかなえば、喜び・満足感が得られるのである。愛し合うという現象は、互いに、相手に身を差しだし、相手に対他化されることを許し合うことである。若者が恋人を作ろうとするのは、カップルという構造体を形成し、恋人という自我を認め合うことができれば、そこに喜びが生じるからである。恋人いう自我と恋人いう自我が共感すれば、そこに、愛し合っているという喜びが生じるのである。また、中学生や高校生が、仲間という構造体で、いじめや万引きをするのは、友人という自我と友人という他者が共感化し、そこに、連帯感の喜びを感じるのである。さらに、敵や周囲の者と対峙するための「呉越同舟」(共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること)という現象も、自我と他者の共感化の欲望である。一般に、二人が仲が悪いのは、互いに相手を対自化し、できればイニシアチブを取りたいが、それができず、それでありながら、相手の言う通りにはならないと徹底的に対他化を拒否しているから起こる現象である。そのような状態の時に、共通の敵という共通の対自化の対象者が現れたから、二人は協力して、立ち向かうのである。それが、「呉越同舟」である。協力するということは、互いに自らを相手に対他化し、相手に身を委ね、相手の意見を聞き、二人で対自化した共通の敵に立ち向かうのである。中学校や高校の運動会・体育祭・球技大会で「クラスが一つになる」というのも、自我と他者の共感化の現象であり、「呉越同舟」である。他クラスという共通に対自化した敵がいるから、仲の悪い者同士も、一時的に仲良くし、クラスがまとまるのである。クラスがまとまるのは、他クラスを倒して皆で喜びを得るということに価値があるからである。しかし、運動会・体育祭・球技大会が終われば、再び、互いに相手を対自化して自我を主張し、仲が悪くなるのである。92歳の高齢者の深層心理は、親戚という構造体で、伯父という自我で妹一家と交流しようと思っていたが、農地を奪われたので、共感欲が傷付き、その不快感から逃れるために、放火殺人を行動の指令として生み出したのである。24歳の若者の深層心理は、国民という自我で国や首相と心の交流を図ろうとしていたが、岸田文雄首相が安倍晋三元首相を国葬にしたことや年齢などを理由に昨年の参院選に立候補できなかったということで、共感欲が傷付き、その不快感から逃れるために、岸田首相の暗殺を行動の指令として生み出したのである。





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