あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

恋愛という名の幻想、執着そしてストーカー(自我その21)

2019-02-03 19:38:48 | 思想
愛にはさまざまな意味がある。そして、それに付随した熟語がある。価値あるものを大切にしたいと思う心「人類愛・家族愛・郷土愛・師弟愛」、異性を慕う心「恋愛」、神仏のいつくしみ「慈愛」、物に執着する心「愛執」、いとおしむこと「愛児」、大切にする心「愛護」、好ましく思うこと「愛読」、おしむこと「愛惜」、性的な欲望「愛欲」など数多くある。しかし、主体と対象者が入れ替わっても成立し、対等の関係であるのは恋愛だけである。恋愛だけが、ある男性がある女性を愛し、その女性がその男性を愛し、尚且つ、対等の立場である。郷土愛は、ある人の故郷に対する愛であり、郷土のその人に対する愛ではない。師弟愛は、師と弟の地位は対等ではない。この、対等の関係で愛し合うということが、恋愛のさまざまな悲喜劇を生み出す。さて、我々人間の思いや行動は、つねに、ある構造体の中で、ある関係性を築いて、ある自我を持つことによって生じてくる。たとえば、家族愛は、ある家庭の中で、家族関係を結び、自らを父親もしくは母親という自我を持つことによって生じてくる。師弟愛は、ある道場の中で、上下関係を築き、自らを師匠そして自らを弟子という自我を持つことによって生じてくる。同じように、恋愛は、ある男女一組の中で、恋愛関係を築き、互いに自らを恋人という自我を持つことによって生じてくる。だから、恋愛は男女の偶然の出会いによって成立するのだが、家族愛、師弟愛と同じように、愛がある間は、強い結びつきがある。家族愛、師弟愛と同じように、日々の思いや行動を決定する。しかし、恋愛は、家族愛、師弟愛と異なり、壊れやすい。なぜならば、家族愛は家族という血縁関係、師弟愛は師匠と弟子という具象的な繋がりはあるが、恋愛は互いの愛という抽象的な繋がりしか無いからである。家庭の誰かが遠くに行っても、誰かが亡くなっても、家族愛は消えることはない。師匠と弟子のどちらかが道場から去っても、どちらかが亡くなっても、師弟愛は消えることはない。しかし、恋愛は、どちらかの愛が冷め、別れを告げると、一組の男女は一組で無くなり、恋愛関係は、恋人という自我を失うことになる。別れを告げられた人は、男女を問わず、誰しも、心が大きく傷つけられる。誰しも、「今まで、ありがとう。」などとは言わない。そのような気持ちには決してならない。なぜという思いと今まで尽くしてきたのにという相手の不実を責める思いが交錯する。実際に、多くの者は、理由を尋ねたり、相手の不実を責めたり、詫びたりして、相手の気持ちを取り戻し、恋愛関係を維持しようとするが、ほとんどの場合、相手の気持ちは変わらない。すると、別れを告げられた人は、辛い気持ちから逃れようとして、表層心理が(意志で)、相手を嫌い、恨み、軽蔑しようとする。つまり、相手を下位に見ることによって、恋愛の対象者から外そうとするのである。たいていの女性の場合、この方法が功を奏し、深層心理(感情)に、この思いが浸透し、相手への恋愛感情が消えていく。しかし、男性は、女性に比べて、この思いの深層心理(感情)への浸透が遅く、なかなか相手を忘れることができない。中には、全く忘れることができない者がいる。この男性の深層心理(感情)には、相手への恋愛感情は残っている。そこで相手の距離を縮めようとして、つきまとうことによって擬似恋愛をして、失恋の苦しみから逃れようとする。しかし、相手がこの付きまといを嫌がり、軽蔑することで、もう相手の心が戻ってくることが無いとわかった時、深層心理は、この苦しみをもたらしたのは相手だ、この苦しみから逃れるには相手を抹殺するしか無いと考え、この男性に凶行を命じるのである。もちろん、この男性は凶行に及んだら、自分の身が破滅することはわかっている。だから、表層心理(理性)で止めることもある。しかし、深層心理(感情)の強さに対してあまりにも表層心理(理性)が弱い。だから、凶行が実行されるのである。我々は、いついかなる時でも、何らかの構造体に属し、何らかの関係性を結んで、何らかの自我を持って生きている。生きがい、希望、喜び、楽しみは、この構造体・関係性・自我から生まれてくる。だから、自らが属している構造体、自らが結んでいる関係性、自らのが持っている自我が低く評価されたり失われたりすれば、大きな苦悩を感じるのである。現在、自らが属している家庭という構造体、自らが結んでいる家族関係、自らが持っている父、母、息子という自我を他の人から低く評価されたり、失ったりした時のことを想像してみれば、このことは十分に理解できるはずである。しかも、恋愛関係は、家族関係のような現実的な結ばれ方では無く、愛という抽象的な心の結ばれ方だから、もろいのである。しかし、恋愛は快楽をもたらすから、誰しも憧れるのである。そこに大きな危険が潜んでいるのである。

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