あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党政権を支持するのか。(提言12)

2023-08-29 19:55:48 | 思想
国民はなぜ戦争に向かっている自民党・公明党を支持するのか。それは、決して、国民が戦争を望んでいるからではない。戦争は起こらないと思っているからである。たとえ、戦争が起こっても、自衛隊が戦い、アメリカ軍が支援して、自分の身に被害が及ばないと思っているのである。だから、岸田政権が軍備を増強しても、不安を感じていないのである。軍備増強すれば、アメリカ軍の支援を受けて、ロシア、中国、北朝鮮などの国からの軍事的脅威に対抗できると思っているのである。しかし、日米安保条約と言えども、日本が外国に攻め込まれても、アメリカ軍が支援すると確約していない。アメリカ軍が支援する時には、アメリカの議会の承認が必要なのである。台湾が中国に攻め込まれて自衛隊が台湾を支援しても、尖閣諸島をめぐって中国軍と自衛隊が交戦しても、アメリカ軍は自衛隊を支援しないだろう。アメリカ大統領は支援すると言っているが、アメリカ世論やアメリカ議会が猛反対し、アメリカ軍は派遣されないだろう。なぜならば、他国のいざこざに巻き込まれて、自国の兵士の命が犠牲になることを誰が許すだろうか。また、中国もアメリカも核を保有している。核保有国同士の戦争は同士討ちになり、両国とも滅びる公算が強い。だから、アメリカは安易には中国と戦争できないのである。つまり、台湾が中国に攻め込まれて自衛隊が支援しても、尖閣諸島をめぐって中国軍と自衛隊が交戦しても、アメリカ軍は自衛隊を支援することは無いのである。それは、自衛隊がロシア軍と交戦しても、自衛隊が北朝鮮軍と交戦しても同じである。アメリカ軍は日本の戦争には加担することは無いのである。アメリカに直接的に明白に利益にならない限り、アメリカ軍は日本の戦争には加担することは無いのである。それなのに、日本人の多くは、自衛隊と外国の軍隊と戦争になるとアメリカ軍が支援すると思い込んでいるのある。何というお人好しの民族であろうか。現実を見ずに、空想が現実になると思い込んでいるのである。戦前もそうであった。中国、アメリカの国力を把握せずに、戦争を仕掛けたのである。ほとんどの国民が、日本は神の国だからピンチになると神風が吹いて勝利すると思い込んでいたのである。本当に、お人好しの国民である。心理学者のユングは人類には元型があると言う。元型とは共通する心の動き方のパターンである。日本人の元型がお人好しである。だから、戦前の戦争は困れば神が助けてくれると思い、戦後の戦争は困ればアメリカ軍が助けてくれると思っているのである。それは、宗教においても、現れている。神道も仏教も、棚から牡丹餅のお人好しの宗教なのである。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は、生前の行いによって、死後、人々を裁く。しかし、日本の神道の神は、神社で、賽銭を上げて願いを唱えれば、人々の叶えてくれる、現世利益の神である。仏教の仏も、「南無阿弥陀仏」と六字の名号を唱え、念仏すれば、また、「南無妙法蓮華経」と七字の題目を唱えれば、人々を極楽へ往生させてくれる。自らの行動について思考し、実践する必要が無いのである。だから、国民は平和を守ろうとする立憲民主党・共産党を支持しないのである。確かに、日本国民も平和を望んでいる。しかし、それは、現実を変えない限りでの平和である。立憲民主党・共産党が自民党・公明党の現体制を批判し、変革しようとしているから、国民もそれに乗っかる場合、自らも、変革のために思考し、行動しなければならない。棚から牡丹餅を待っている国民が、自ら思考し行動するような大儀なことは嫌なのである。楽な姿勢にいることに安住している国民が、立憲民主党・共産党に思考し行動することを強いられているように思うから、立憲民主党・共産党を支持しないばかりか、批判するのである。立憲民主党・共産党に耳を傾けると、甘い夢から覚め辛い現実を見なければならないから、立憲民主党・共産党を批判するのである。立憲民主党・共産党のように現体制を批判するよりも、現体制を維持しようとする自民党・公明党の方が思考せず、行動をしなくても良いから、国民にとっては居心地が良く、安穏に暮らせるのである。それは、愛国心にも現れている。日本国民は、愛国心に心の拠り所を見出している。それは、戦前の天皇、神風に愛国心の拠り所にしていた日本国民と同じである。だから、日本国民は、愛国心を前面に押し出している自民党・公明党を好感を懐いている。国益を押した立てることが愛国心だと思い込んでいる。そして、相手国の人々の思いを考慮する人を反日だと罵り、国賊だとまで言う右翼・保守派の人々に好感を懐いている。それが、日本維新の会の支持者が増えている理由である。日本国民は、無反省の愛国心がどれほど残虐性を発揮するかに思いを至らないのである。ここにも、棚から牡丹餅を期待するお人好しの国民性が現れているのである。現在、世界は国という構造体で区分され、世界中の人々は、皆、国という構造体に所属し、国民という自我を持っている。だから、世界中の人々には、皆、愛国心がある。日本という国に生まれたから、日本という構造体に所属して、日本人という自我を持つから、日本に愛国心が生まれてくるのである。それは、韓国、北朝鮮、中国に生まれても、同じことである。自らが所属している国だから、その国を愛するのである。世界中の人々が、オリンピックやワールドカップで、自国チームや自国選手を応援し、楽しむことができるのも、愛国心があるからである。愛国心は、保身欲と承認欲に支えられているのである。人間は、国民という自我を持つと同時に、この自我を持ち続けたいという保身欲が生じるのである。国民という自我は国という構造体に所属することで持つことができるので、他国の人々によって自国を認めてほしいという承認欲も生まれてくるのである。愛国心があるからこそ、他国民からの自国の評価が気になるのである。承認欲のなせる業である。だから、ワールドカップやオリンピックで、自国チームや自国選手が勝利すれば歓喜し、敗北すれば絶望するのである。しかし、愛国心に取りつかれた政治権力者は、往々にして、戦争を引き起こす。政治権力者は、権力者としての承認欲を満たすために、戦争を引き起こすのである。愛国心に取りつかれた国民は、敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。愛国心と言えども、単に、国民という自我を愛しているに過ぎないからである。だから、国という構造体、国民という自我が存在する限り、愛国心が生じ、愛国心にとらわれた政治権力者は戦争を引き起こし、愛国心にとらわれた国民は、戦場で、拷問、虐殺、レイプをためらいなく行うのである。しかし、日本国民は、政治権力者の容易に戦争を引き起こす自我の欲望にも、戦場における自らの残虐性にも思いが至らないのである。だから、愛国心を前面に押してている自民党・公明党政権を支持するのである。