あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

日本は、自民党という幼児とともに滅びる。(自我から自己へ1)

2021-10-25 12:52:00 | 思想
愛国心を盲目的に讃えているのは、自民党、ネット右翼、保守派の大衆である。当然のごとく、右翼、保守派の大衆は、自民党を支持する。右翼、保守派の大衆が、多数を占めているから、自民党が長期政権を続けているのである。しかし、戦後76年間、日本が戦争に参加しなかったのは、日本国憲法のお陰である。もちろん、自民党は日本国憲法を改正して、日本をすぐ戦争ができる国にしようとしている。「子供は正直だ」と言う。子供は、自我の欲望に対して正直なのである。自民党は、幼児である。もちろん、ネット右翼、保守派の大衆も幼児である。幼児だから、愛国心という自我の欲望に基づいて、盲目的に行動するのである。マルクスは、「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。」と言ったが、日本人は、一度目の太平洋戦争の悲劇で懲りずに、二度目の戦争を経験して笑いものにならない限り、日本の歩むべき道に思い至らないのかもしれない。日本人は、一度目の福島の原発事故の悲劇で懲りずに、二度目の原発事故を経験して笑いものにならない限り、日本の歩むべき道に思い至らないのかもしれない。日本を戦争のできる国にしようとし、原発を推進しているのは、自民党議員、ネット右翼、保守派の庶民である。しかし、二度目の戦争、二度目の原発事故があった時、ほとんどの日本人は、愛国心とはどういうものか、深く反省し、考え直すかもしれない。しかし、その時、日本という国は存在することができるだろうか。さて、愛国心は自我の欲望である。自我の欲望は、深層心理が思考して生み出したものである。深層心理とは、人間の無意識の精神活動である。深層心理が思考して、自我の欲望を生み出して、人間を動かしているのである。深層心理の思考には、社会規約を守る視点や道徳観という観点は存在しない。深層心理は、快楽を求めて思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、人間を動かそうとする。愛国心から盲目的に行動すれば、ひたすら戦争に向かっていく。それを推進しているのは、自民党議員、ネット右翼、保守派の庶民である。さて、人間は、常に、ある構造体に所属して、ある自我を持って存在し、行動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体の中で、他者からある特定の役割を担ったポジションが与えられ、そのポジションを自他共に認めた、現実の自分のあり方である。構造体には、国、家族、学校、会社、店、電車、仲間、カップル、夫婦などがある。国という構造体では、国民という自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、コンビニという構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があり、夫婦という構造体では夫と妻という自我がある。だから、ある人は、日本という構造体では国民という自我を持ち、家族という構造体では母という自我を持ち、学校という構造体では教諭という自我を持ち、コンビニという構造体では客という自我を持ち、電車という構造体では客という自我を持ち、夫婦という構造体では妻という自我を持って、行動しているのである。ある人は、日本という構造体では国民という自我を持ち、家族という構造体では夫という自我を持ち、会社という構造体では人事課長という自我を持ち、コンビニという構造体では来客という自我を持ち、電車という構造体では乗客という自我を持ち、夫婦という構造体では夫という自我を持って行動しているのである。人間が行動できるのは、深層心理が、常に、自我を主体に立てて、欲動に基づいて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我となった人間を動かしているからである。すなわち、人間は、自らは無意識のうちに、深層心理が、欲動に基づいて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我となった人間を動かしているのである。欲動とは、深層心理に内在していて、深層心理を動かしている四つの欲望である。欲動には、第一の欲望として自我を確保・存続・発展させたいという欲望があり、第二の欲望として自我を他者に認めてもらいたいという欲望があり、第三の欲望として自我で他者・物・現象という対象を支配したいという欲望があり、第四の欲望として自我と他者の心の交流を図りたいという欲望がある。すなわち、深層心理が、常に、構造体の中で、自我を主体に立てて、欲動の四つの欲望に基づいて、快楽を求めて、思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、人間は、それに動かされて行動しているのである。欲動の第一の欲望が、自我を確保・存続・発展させたいという欲望である。深層心理は、自我の保身化という作用によって、その欲望を満たそうとする。ミャンマーの国軍兵士が、無差別に、市民を射殺しているのは、上官の命令に従っているからであり、上官の命令に背けば、兵士という自我を失うからである。また、深層心理は、自我の確保・存続・発展だけでなく、構造体の存続・発展のためにも、自我の欲望を生み出している。なぜならば、人間は、この世で、社会生活を送るためには、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を得る必要があるからである。そうしないと、自分の力を発揮できないのである。言い換えれば、人間は、何らかの構造体に所属し、何らかの自我を持していなければ、この世に生きていけず、生きる目標を失ってしまうから、現在所属している構造体、現在持している自我に執着するのである。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できず、自分の力を発揮できないのである。だから、人間にとって、構造体のために自我が存在するのではない。自我のために構造体が存在するのである。現在、世界中の人々は、皆、国という構造体に所属し、国民という自我を持っている。だから、世界中の人々には、皆、愛国心がある。愛国心があるからこそ、自国の動向が気になり、自国の評価が気になるのである。愛国心があるからこそ、オリンピックが楽しめるのである。しかし、愛国心があるからこそ、戦争を引き起こし、敵国の人間という理由だけで殺すことができるのである。愛国心と言えども、単に、自我の欲望に過ぎないからである。だから、国という構造体、国民という自我に盲目的にしがみついている限り、人類には、戦争が無くなることはないのである。欲動の第二の欲望が、自我が他者に認められたいという欲望である。深層心理は、自我の対他化の作用によって、その欲望を満たそうとする。自我の対他化とは、深層心理が、自我を他者に認めてもらうことによって、快楽を得ようとすることである。この欲望がかなえば、自我が伸張し、自分の力が発揮できたように思うのである。だから、深層心理は、自我が他者から見られていることを意識して思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かそうとするのである。人間は、他者がそばにいたり他者に会ったりすると、深層心理は、どのようにすれば、その人から好評価・高評価を得られるかと考えて、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出す。ラカンに、「人は他者の欲望を欲望する」という言葉がある。それは、「人間は、いつの間にか、無意識のうちに、他者のまねをしてしまう。人間は、常に、他者から評価されたいと思っている。人間は、常に、他者の期待に応えたいと思っている。」という意味である。ラカンのこの言葉は、端的に、自我の対他化の現象を表している。つまり、人間が自我に対する他者の視線が気になるのは、深層心理の自我の対他化の作用によるのである。つまり、人間は、主体的に自らの評価ができないのである。人間は、無意識のうちに、他者の欲望を取り入れているのである。だから、人間は、他者の評価の虜、他者の意向の虜なのである。人間は、他者の評価を気にして判断し、他者の意向を取り入れて判断しているのである。つまり、他者の欲望を欲望しているのである。他者の欲望を獲得することが、自分の力を発揮したことの現れなのである。だから、逆に、自我が他者に認められなければ、深層心理は、すなわち、人間は苦悩に陥るのである。だから、その苦悩を回避しようとして、敢えて、自我の力を知らしめ、他者に自我を認めさせようとしている者も現れるのである。ミャンマーの国軍によるクーデター、ナイジェリアのボコ・ハラムによる学校襲撃、中国共産党による民主主義者弾圧、ジェノサイド、ロシアのプーチン大統領による反対派暗殺、北朝鮮の金正恩による殺戮は、国民に、自我の力を知らしめるためである。自民党の外交政策が、中国、韓国、北朝鮮という構造体に敵対的なのは、日本という構造体の力を知らしめるためである。人間は、誰しも、生まれてくる国を選べない。自分の意志に関わりなく、気が付いた時には、その国に存在しているのである。だから、現在、中国人、韓国人、北朝鮮人、日本人の中に、口角沫を飛ばして、相手国を罵っている自民党議員、ネット右翼、保守派の庶民のような人が存在するが、中国、韓国、北朝鮮、日本に生まれたのは偶然であり、当然、中国人、韓国人、北朝鮮人、日本人という自我も偶然の産物である。中国、韓国、北朝鮮、日本に生まれてくれば、中国人、韓国人、北朝鮮人、日本人韓国人という自我を持つから、相手国の短所が目に付くだけなのである。口角沫を飛ばして相手国を罵るのは自我に踊らされているだけなのである。深層心理によって自我が踊らされているのである。自民党は、幼児だから、そのことに気が付かず、自我の欲望のままに行動しているのである。また、人間にとって、最も強い感情は怒りである。深層心理が怒りの感情を生み出し、自我である人間を、深層心理の行動の指令通りに動かそうとするのである。人間は、激しい怒りの感情を抱くと、超自我や表層心理で抑圧しようとしてもできずに、他者を侮辱しろ、他者を殴れ、他者を殺せなどの深層心理の指令通りに、過激な行動を起こしてしまい、悲劇、惨劇を生むのである。さて、それでは、なぜ、深層心理が怒りの感情を生み出したのか。それは、自我が他者に叱責されたり、陰口を叩かれたり、侮辱されたり、殴られたりなどしたからである。自我が他者に叱責されたり、陰口を叩かれたり、侮辱されたり、殴られたりなどすることは、自我が他者によって下位に落とされたことを意味するのである。深層心理は、常に、自我を他者に認めてもらうことによって、快楽を得ようとしているから、自我が他者によって下位に落とされたので、怒りの感情を生み出したのである。つまり、プライドが傷付けられたから、怒ったのである。深層心理は、常に、自我が他者に認められたいという欲望を持っているから、それが、認められるどころか、貶され、プライドがずたずたにされたから、傷付き、その傷心から立ち上がろうとして、プライドを傷つけた他者に対して、怒りの感情と侮辱しろ、殴れ、殺せなどの過激な行動の指令を自我の欲望として生み出し、自我である人間を動かそうとするのである。つまり、深層心理は、他者によって自我が下位に落とされたから、その他者に対して、怒りの感情と過激な行動の指令という自我の欲望を生み出し、過激な行動の指令通りに自我を動かし、その他者を下位に落として、自我を上位に立たせようとするのである。深層心理は、常に、ひたすらその時その場で、快楽を得よう、不快を避けようとする欲望を持ち、深層心理には、道徳観や社会規約の価値観を有していない。だから、深層心理は、ひたすら快楽を得よう、不快を避けようと思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我である人間を動かそうとするのである。自民党、ネット右翼、保守派の大衆は、中国、北朝鮮、韓国を下位に落として、日本を上位にしようとするのである。それは、中国、北朝鮮、韓国の右翼の思考を持った人もも同じである。しかし、人間が、道徳観や社会規約を考慮して思考する時がある。それは、表層心理で、自らを意識して、思考する時である。たいていの人は、どのような構造体に所属していようと、どのような自我を持していようと、道徳や社会規約を守って行動しようとする。それは、道徳や社会規約を守らなければ、他者や他人から非難され、自我の立場が悪くなり、不愉快な気分になるからである。しかし、人間は、自らを意識して、表層心理で思考しても、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出せないから、行動を起こすことはできないのである。表層心理の思考では、自我の欲望を生み出せないから、行動できないのである。人間は、自らを意識して、表層心理で、思考する時は、常に、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について、自我に現実的な利得をもたらすかどうかという志向性で、許諾するか拒否するかを思考する時だけなのである。しかも、深層心理が生み出した怒りの感情が強過ぎると、深層心理の超自我が抑圧しようとしても、表層心理で、思考して、深層心理が生み出した行動の指令について、拒否すること決定し、意志で抑圧しようとしても、抑圧できないのである。そして、深層心理が生み出した行動の指令のままに、他者を侮辱したり、他者を殴ったり、時には、殺したりしてしまうのである。それが、所謂、感情的な行動であり、自我に悲劇、他者に惨劇をもたらすのである。それが、国家観においては、戦争になるのである。それを、無思慮に推進しているのが、自民党議員、ネット右翼、保守派の大衆である。欲動の第三の欲望が、自我で他者・物・現象などの対象を支配したいという欲望である。それは、「人は自己の欲望を対象に投影する。」という一文で言い表すことができる。それは、「人間は、無意識のうちに、深層心理が、他者という対象を支配しようとする。人間は、無意識のうちに、深層心理が、物という対象を、自我の志向性で利用しようとする。人間は、無意識のうちに、深層心理が、現象という対象を、自我の志向性で捉えている。」という意味である。深層心理は、対象の対自化という作用によって、その欲望を満たそうとする。深層心理が、自我で他者・物・現象という対象を支配することによって、快楽を得ようとするのである。まず、他者という対象の対自化であるが、それは、自我が他者を支配すること、他者のリーダーとなることである。つまり、他者の対自化とは、自分の目標を達成するために、他者を支配することである。自我が、他者を支配すること、他者を思うように動かすこと、他者たちのリーダーとなることがかなえられれば、深層心理が、すなわち、人間が、喜び・満足感が得られれるのである。自民党議員、ネット右翼、保守派の大衆は、日本を、東アジアの覇権国にしたいのである。さらに、わがままも、他者を対自化することによって起こる行動である。わがままを通すことができれば快楽を得られるのである。わがままは盲目的な支配欲の現れである。ミャンマーの国軍によるクーデター、ナイジェリアのボコ・ハラムによる学校襲撃、中国共産党による民主主義者弾圧、ジェノサイド、ロシアのプーチン大統領による反対派暗殺、北朝鮮の金正恩による殺戮は、国民からの承認欲を満足させるためだけでなく、国民に対する支配欲を満足させるために起こしているのである。次に、物という対象の対自化であるが、それは、自我の目的のために、物を利用することである。山の樹木を伐採すること、鉱物から金属を取り出すこと、いずれもこの欲望による。物を利用できれば、物を支配するという快楽を得られるのである。次に、現象という対象の対自化であるが、それは、自我の志向性で、現象を捉えることである。人間を現象としてみること、世界情勢を語ること、日本の政治の動向を語ること、いずれもこの欲望による。現象を捉えることができれば、快楽を得られるのである。自我の対他化による快楽は、自我が他者に好評価・高評価を受けることによって得られるが、対象の対自化による快楽は、自我の志向性(観点・視点)で他者・物・現象を支配することによって得られるのである。さらに、対象の対自化が高じると、深層心理には、有の無化と無の有化という作用が生じる。まず、有の無化という作用であるが、深層心理は、自我を苦しめる他者・物・事柄という対象がこの世に存在していると、人間の無意識のうちに、この世に存在していないように思い込むことである。犯罪者の深層心理は、自らの犯罪に正視するのは辛いから、犯罪を起こしていないと思い込むのである。次に、無の有化であるが、それは、「人は自己の欲望を心象化する。」という一文で言い表すことができる。それは、深層心理は、自我の志向性に合った、他者・物・事柄という対象がこの世に実際には存在しなければ、人間の無意識のうちに、この世に存在しているように思い込むという意味である。深層心理は、自らの存在の保証に神が必要だから、実際にはこの世に存在しない神を創造したのである。神が存在しているように思い込むことによって心に安定感を得ようとするのである。欲動の第四の欲望が、自我と他者の心の交流を図りたいという欲望がある。深層心理は、自我と他者の共感化という作用によって、その欲望を満たそうとする。深層心理は、自我と他者が心の交流をすること、愛し合う、友情を育む、協力し合うようにさせることによって快楽を得るのである。自我の存在を高め、自我の存在を確かなものにするために、他者と心を交流したり、愛し合ったりするのである。それがかなえば、喜び・満足感という快楽が得られるのである。また、敵や周囲の者と対峙するために、他者と協力し合うこともある。それが、「呉越同舟」(共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること)という現象である。この欲望は、愛情、友情、協調性を大切にする思いであり、自我の立場と他者の立場は同等であるから、一般的に、歓迎されるのである。だから、この欲望は、自我の評価を他者に委ねるという自我の対他化でもなく、対象を自我で相手を一方的に支配するという対象の対自化でもない。自我と他者の共感化は、理解し合う・愛し合う・協力し合うのである。「呉」の国と「越」の国の仲が悪いのは、二国は、互いに相手を対自化し、できればイニシアチブを取りたいが、それができず、それでありながら、少なくとも、相手の言う通りにはならないと徹底的に対他化を拒否しているからである。そこへ、共通の敵という共通の対自化の対象者が現れたから、協力して、立ち向かうのである。つまり、「呉越同舟」である。協力するということは、互いに自らを相手に対他化し、相手に身を委ね、相手の意見を聞き、二人で対自化した共通の敵に立ち向かうのである。スポーツの試合などで「一つになる」というのも、共感化の現象であるが、そこに共通に対自化した敵がいるからである。自民党議員、ネット右翼、保守派の大衆がアメリカと呉越同舟して、中国、北朝鮮と対峙しようとしているのである。しかし、共通に対自化した敵がいなくなると、自分がイニシアチブを取りたいから、再び、次第に、仲の悪い者同士に戻っていくのである。つまり、対象の対自化が自我の力が発揮できると思うから、共通の敵がいなくなると、我を張る(自我を主張する)のである。日本も、いつかは、アメリカと対峙する時が来るのである。また、愛し合うという現象は、互いに、相手に身を差しだし、相手に対他化されることを許し合うことである。若者が恋人を作ろうとするのは、カップルという構造体を形成し、恋人という自我を認め合うことができれば、そこに喜びが生じるからである。恋人いう自我と恋人いう自我が共感して、そこに、喜びが生じるのである。しかし、中学生や高校生が、仲間という構造体を作り、友人という自我で、構造体に所属していない同級生をいじめるのは、友人と連帯感ができて仲間という構造体が形成されているという快楽を得ているとともに、一人で生きている者への嫉妬心からである。カップルや夫婦という構造体にある者が、相手から別れを告げられてストーカーになり、相手を殺すことまであるのは、自分の代わりの恋人や夫に対する嫉妬心からである。自民党・公明党政府がオリンピックにこだわるのは、国民が自国の選手やチームが活躍すると、共感欲を満足し、狂喜乱舞して、政権の支持が高まるからである。自民党・公明党政府は、中国、北朝鮮、韓国を敵視することによって、国民を煽り、「呉越同舟」の現象を作り出し、支持を得て、戦争をして相手国民を殺そうと思うまでに愛国心を高めるのである。快感原則とは、フロイトの用語であり、深層心理に存在する、道徳観や社会的規約を有さず、その時その場での快楽を求め不快を避けるという欲望である。感情と行動の指令という自我の欲望とは、深層心理が思考して、生み出したものである。深層心理が生み出した感情が、自我である人間に、深層心理が生み出した行動の指令通りに行動させる動力になっているのである。しかし、人間には、深層心理の思考だけでなく、表層心理という意識しての思考も存在する。しかし、深層心理は表層心理よりも時間的に早く思考し、力が強いのである。人間が表層心理で思考する時は、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について実行するか抑圧するかを審議するだけなのである。人間は、表層心理独自に思考することはできないのである。しかも、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令について審議し、抑圧するという結論を出し、意志で抑圧しようとしても、深層心理が生み出した感情が強ければ、抑圧できないのである。深層心理が生み出した感情を打ち消すには、表層心理で対抗する感情を生み出さなければならないが、人間は、表層心理では、感情を生み出せないのである。感情は、深層心理でしか生まれないのである。だから、人間は、感情をコントロールできないのである。しかも、深層心理は、快楽を求めて思考しているのである。だから、快楽に繋がる善事ならば行動の指令として生み出すことはあるが、快楽に繋がらない善事ならば行動の指令として生み出さないのである。逆に、快楽に繋がる悪事ならば行動の指令として生み出すことがあるのである。もちろん、深層心理が悪事を行動の指令として生み出せば、人間は、自らを意識して、表層心理で思考して、抑圧しようとする。これが、所謂、我慢である。人間は、表層心理で、自我に現実的な利得をもたらそうとして、道徳観や社会規約に照らして、思考して、深層心理が生み出した行動の指令としての悪事を、意志で抑圧しようとするのである。すなわち、我慢しようとするのである。人間が、表層心理で、道徳観や社会規約を考慮に入れて思考するのは、道徳観や社会規約に背馳した悪事を行えば、後に、他者から顰蹙を買い、自我に現実的な利得が得られないからである。しかし、深層心理が生み出した感情が強ければ、深層心理の超自我が抑圧しようとしても、人間は、表層心理で、思考して、意志で、深層心理が生み出した行動の指令としての悪事を抑圧しようとしても、抑圧できないのである。すなわち、我慢には、限界があるのである。そして、深層心理が生み出した行動の指令としての悪事を実行してしまうのである。それが悲劇を生むのである。その最悪の者が、所謂、殺人である。国家観においては、戦争である。確かに、人間は、表層心理で思考して、意志によって、自我の欲望を抑圧することがある。しかし、人間が、表層心理で、意識して、思考するのは、常に、深層心理が生み出した感情と行動の指令という自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令について受け入れるか拒否するかについて審議する時だけなのである。しかも、人間は、表層心理で審議することなく、深層心理が生み出した感情と行動の指令という自我の欲望のままに行動することが多いのである。それが無意識の行動である。人間の日常生活が、ルーティーンという、同じようなことを繰り返しているのは、無意識の行動だから可能なのである。人間の行動において、深層心理が思考して生み出した行動の指令のままの行動、すなわち、無意識の行動が、断然、多いのである。日常生活は、ほとんど、表層心理で意識して審議することなく、意志の下で行動するまでもない、当然の行動で成り立っているだからである。人間が、本質的に保守的なのも、ルーティンを維持すれば、表層心理で思考する必要が無く、安楽であり、もちろん、苦悩に陥ることもないからである。だから、ニーチェは、人間は「永劫回帰」(永遠に同じことを繰り返すこと)であると言うのである。人間は、表層心理で思考する時は、現実的な自我の利得を求めて、深層心理が生み出した感情の下で、深層心理が生み出した行動の指令を許諾するか拒否するかについて、意識して思考して、行動する時である。現実的な自我の利得を求める欲望は、表層心理に存在する、道徳観や社会的規約を考慮し、後に、自我に利益をもたらし不利益を避けるという、長期的な展望に立つ欲望である。人間の意識しての思考、すなわち、人間の表層心理での思考が理性である。人間の表層心理での思考による行動、すなわち、理性による行動が意志の行動である。日常生活において、異常なことが起こると、深層心理は、快感原則に基づいて、瞬間的に思考し、過激な感情と過激な行動の指令という過激な自我の欲望を生み出しがちである。しかし、深層心理には、超自我という作用もあり、超自我によって、過激な自我の欲望を抑圧しようとする。超自我とは、ルーティーンという同じようなことを繰り返す日常生活の行動から外れた自我の欲望を抑圧する作用である。しかし、深層心理が生み出した感情が強過ぎる場合、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧できないことがある。深層心理が、過激な感情と過激な行動の指令という過激な自我の欲望を生み出し、超自我が抑圧できない場合、人間は、表層心理に基づいて、深層心理が生み出した行動の指令について、許諾するか拒否するか、意識して思考する必要があるのである。日常生活において、異常なことが起こり、深層心理が、過激な感情と過激な行動の指令という過激な自我の欲望を生み出すと、もう一方の極にある、深層心理の超自我というルーティーンという同じようなことを繰り返す日常生活の行動から外れた自我の欲望を抑圧する働きが功を奏さないことがあるのである。その時、人間は、表層心理で、現実原則に基づいて、思考して、意志によって、それを抑圧する必要があるのである。しかし、人間は、表層心理で、思考して、深層心理が出した行動の指令を拒否して、深層心理が出した行動の指令を抑圧することを決め、意志によって、実際に、深層心理が出した行動の指令を抑圧できた場合は、表層心理で、深層心理が納得するような、代替の行動を考え出さなければならないのである。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は自然に消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。さらに、人間は、表層心理で、深層心理が生み出した行動の指令を拒否することを決定し、意志で、深層心理が生み出した行動の指令を抑圧しようとしても、深層心理が生み出した感情が強過ぎる場合、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動してしまうのである。過激な感情は、時には、他者に向かうことがある。それが、暴力、稀には、殺人という犯罪を引き起こすこともある。それは、他者から、侮辱などによって、自我が傷つけられ、自我が下位に落とされたから、その自我を復活させようとして、他者を攻撃することによって、他者を下位に落とし、自我が上位に立とうという目的で起こした、深層心理は生み出した自我の欲望によるものである。ラカンは、「無意識は言語によって構造化されている。」と言う。「無意識」とは、言うまでもなく、深層心理を意味する。「言語によって構造化されている」とは、言語を使って論理的に思考していることを意味する。ラカンは、深層心理が言語を使って論理的に思考していると言うのである。だから、深層心理は、人間の無意識のうちに、思考しているが、決して、恣意的に思考しているのではない。深層心理は、構造体の中で、自我を主体に立てて、欲動に基づいて、快感原則を満たすために、論理的に思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出しているのである。そして、深層心理が論理的に思考して生み出した自我の欲望が、人間の行動する原動力、すなわち、人間の生きる原動力になっているのである。つまり、人間は、自らが意識して思考して、すなわち、表層心理で思考して、生み出していない自我の欲望によって生きているのである。しかし、自らが表層心理で意識して思考して生み出していなくても、自らの深層心理が思考して生み出しているから、やはり、自我の欲望は自らの欲望なのである。自らの欲望であるから、それから、逃れることができないばかりか、それに動かされて生きているのである。だからこそ、人間は、表層心理で思考しなければならないのである。深層心理が思考して生み出した圧倒的な自我の欲望の力の中で、表層心理で、思考し続けなければならないのである。自らの存在の証のために。