あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

大衆は馬鹿だ(その4)

2016-12-02 13:23:51 | 思想
ニーチェが「大衆は馬鹿だ」と言ったのは19世紀のことである。しかし、その馬鹿さ加減は、二世紀経った21世紀の日本においても、猖獗を極めている。ハイデッガーは、大衆の特徴として、好奇心・世間話・無責任の三点を挙げている。現在の日本の大衆が、まさしく、それである。ベッキーと川谷絵音の不倫、アスカの覚醒剤など、マスコミが取り上げ、大衆が関心を寄せる話題は、好奇心・世間話・無責任の産物以外の何物でもない。テレビ番組で発言するコメンテーターという大衆も、街頭インタビューに答えている大衆も、ネット発信をしている大衆も、正義感ぶっているが、ただ、マスコミに煽られているだけである。彼らは、それに気付いていない。いや、元々、気付こうとしていない。なぜならば、正義の名を借りて、自らを絶対多数の強者の立場に置いて、絶対少数の弱者を責めるのは楽しいからである。絶対に負けることがない上に、そこに、大衆の連帯感が生まれるからである。それは、学校において、絶対多数の強者が絶対少数の弱者一人を攻める「いじめ」と同じ構造である。「敵は本能寺に在り」である。大衆の真の敵は、恋愛感情に囚われた者や国家権力に捕らわれた者ではなく、国家権力そのものである。安倍自民党政権である。しかし、それは、安倍晋三、自民党国会議員だけが異常ということではなく、権力を握った者は、権力者という自我に囚われて、異常に走りやすいのである。安倍自民党政権の異常の向かうところ、それは戦前である。戦前回帰である。安倍自民党政権は、日本を、天皇を中心に国会議員と軍人が絶対的な権力を握り、戦争ができ、アジアの覇権を握った時代に戻そうとしているのである。それは、自民党の憲法草案にも明瞭に現れている。安倍自民党政権は、既に、国家安全保障会議、特別秘密保護法、安保法を成立させ、自衛隊による海外での戦争を可能にした。後は、日本国憲法を改正して、徴兵制を導入するだけである。かてて加えて、高速増殖原型炉もんじゅが全く機能せず、税金の無駄遣いになり、現在、成功のめどが全く立っていないのに、新たに、莫大な金額で、もんじゅを継続した施設を作ろうとしている。カジノ法案も、近いうちに、自民党・公明党・日本維新の会の強行採決によって、成立するだろう。安倍自民党政権は、自民党・公明党の国会議員の絶対多数を笠に着て、好き放題なことを行っている。しかし、国会議員に、絶対多数の自民党・公明党議員を選んだのは大衆である。さらに、最近の世論調査では、安倍自民党政権の支持率は6割あるという。大衆の馬鹿さ加減にも程がある。しかし、誰しも、大衆の中で、大衆として育つ。それ故に、自己という本来的な自分を取り戻すためには、好奇心・世間話・無責任に満ちた大衆という非本来的な自分から脱却しなければならない。そのためには、国家権力と大衆のあり方に対して、異議を唱えなければいけない。それは、誰のためでもなく、自分自身のためである。自分の存在を自分で認めるためである。ガンジーは次のように言っている。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでも、しなくてはならない。世界を変えるためではなく、世界によって、自分が変えられないようにするためである。」ガンジーの言葉は至言である。