大包幹記念館です。前の写真の門牌を抜け、集合住宅も抜けて農地の中をしばらく走るとこの記念館があります。
この大包幹(総請負)が何時始まったのか、資料には明示がないのですが、翌1979年から始まったように読み取れる節があります。ともかく中央まで請訓があがり許可が下りたようです。
総請負制の成果については、インターネットで見かけた資料によると総請負の第1年の食糧生産は1955年から1970年の食料の総和に等しく、油料生産は過去20年の総和に等しく、一人当たりの年収は400元で1978年の22元の18倍になったとのことです。
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この大包幹(総請負)が何時始まったのか、資料には明示がないのですが、翌1979年から始まったように読み取れる節があります。ともかく中央まで請訓があがり許可が下りたようです。
総請負制の成果については、インターネットで見かけた資料によると総請負の第1年の食糧生産は1955年から1970年の食料の総和に等しく、油料生産は過去20年の総和に等しく、一人当たりの年収は400元で1978年の22元の18倍になったとのことです。
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今朝の上海は曇りです。予報はみぞれ混じりの雨、最高気温は4度、最低気温は-1度です。日本も寒波が来ているようですが、上海も同じです。
今日は安徽鳳陽県にある小崗村(しょうこうそん)の紹介です。小崗村は鳳陽県小渓河鎮(しょうけいかちん)に属する村です。ここ
へは鳳陽県の市街地から45分程度で行けました。
1978年末にこの小崗村の農民は団結して、従来の人民公社制から各農民の総請負制に変えてもらいたいという要求を出しました。総請負制とは、収穫の大小にかかわらず一定の税金を納めた残りは個人所有とするという制度です。
当時は文化大革命の終息期であり、この要求は政治的リスクが極めて大きく(反革命として批判を受ける)、申請者は必死の思いで要求書を作り、血判したとのことです。結果として承認され、これが中国農村に於ける改革の狼煙となり、小崗村は一躍有名になりました。
写真は小崗村へ続く道路です。コンクリートの道が出来ています。1978年当時は舗装されていなかった道です。季節柄籾を干しています。
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1978年末にこの小崗村の農民は団結して、従来の人民公社制から各農民の総請負制に変えてもらいたいという要求を出しました。総請負制とは、収穫の大小にかかわらず一定の税金を納めた残りは個人所有とするという制度です。
当時は文化大革命の終息期であり、この要求は政治的リスクが極めて大きく(反革命として批判を受ける)、申請者は必死の思いで要求書を作り、血判したとのことです。結果として承認され、これが中国農村に於ける改革の狼煙となり、小崗村は一躍有名になりました。
写真は小崗村へ続く道路です。コンクリートの道が出来ています。1978年当時は舗装されていなかった道です。季節柄籾を干しています。
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