龍門石窟は、中国四大石窟の一つですが、以前一度見ております。その後、敦煌の莫高石窟・大同の雲崗石窟を見たので、洛陽に来て龍門をもう一度見てみたいと言う気になり、再訪しました。
龍門石窟は、百度百科によると、493年北魏孝文帝が大同から洛陽に遷都して以来、北魏、西魏、北斉、隋、唐、宋にかけて造られました。龍門石窟は洛陽の南方の郊外にあり、伊河という河に面しています。伊河は、洛陽を流れる洛河と合流し、その後黄河に注ぎます。
龍門石窟の案内図です。伊河は南から北に流れます。案内図では右手が北、伊河の下流に、案内図左手が南、伊河の上流になります。図の上が西、下が東です。龍門の石窟は案内図の上部、西側の西山と呼ばれている所が主です。東側、東山にも一部石窟がありますが、近年の観光開発によるものです。伊河には橋が二つ架かっていますが、右手の橋は昔からある車が通れる道路橋で、左手の橋は、近年出来た歩行者、精々バイク程度が通る橋です。この二つの橋の間で、約1Km程度あるようです。
地図の上部右手から入門し、西山の石窟をみて、引き返すのが本来のルートですが、左手の橋を渡り、東山に入り、お寺や唐の詩人、白居易(はっきょい)の墓などをみて、右手の道路橋を経て元に戻るルートも最近出来たようです。お陰で、東山から西山の全体を見わたすことが出来るようになりました。
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龍門石窟は、百度百科によると、493年北魏孝文帝が大同から洛陽に遷都して以来、北魏、西魏、北斉、隋、唐、宋にかけて造られました。龍門石窟は洛陽の南方の郊外にあり、伊河という河に面しています。伊河は、洛陽を流れる洛河と合流し、その後黄河に注ぎます。
龍門石窟の案内図です。伊河は南から北に流れます。案内図では右手が北、伊河の下流に、案内図左手が南、伊河の上流になります。図の上が西、下が東です。龍門の石窟は案内図の上部、西側の西山と呼ばれている所が主です。東側、東山にも一部石窟がありますが、近年の観光開発によるものです。伊河には橋が二つ架かっていますが、右手の橋は昔からある車が通れる道路橋で、左手の橋は、近年出来た歩行者、精々バイク程度が通る橋です。この二つの橋の間で、約1Km程度あるようです。
地図の上部右手から入門し、西山の石窟をみて、引き返すのが本来のルートですが、左手の橋を渡り、東山に入り、お寺や唐の詩人、白居易(はっきょい)の墓などをみて、右手の道路橋を経て元に戻るルートも最近出来たようです。お陰で、東山から西山の全体を見わたすことが出来るようになりました。
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