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立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

細い雨が降っていても

2008年10月23日 | Zenblog
 今朝の散歩は傘を持って出かけました。細い雨が降っています。カメラは持っていくのを止めようかとも思ったのですが、・・・。立山の望めるところまで来ると、雲間から立山の輪郭が一部見えています。昼間になると晴れていても、山はほとんど見えないのに。
 秋の雨の、心変わりの速さ、気まぐれさとでも言うのでしょうか?

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雁渡る(2)

2008年10月23日 | Zenblog
 なぜ心惹かれるのでしょうか。その季節感、いや彼らの遠い旅路への思い、いや不思議な図形を描きながらの飛翔、自然の不思議さを感じさせられているのは事実です。

  町人は雁渡ること知らざりし   高浜年尾

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雁渡る(1)

2008年10月23日 | Zenblog
 雁が北から群れを作っては、次から次へと渡ってきます。その列をなす姿の絶妙なこと、ついぼんやりと見ています。

  かりがねの低ければ沼近からん   堀前小木菟

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徐州の獅子山楚王陵・・・JingShangの徐州紀行

2008年10月23日 | JingShang君からの上海レポート
 徐州概況には次のようなことが書かれています。
・ 漢の高祖劉邦の生まれ故郷であること。劉邦と覇を争った項羽は徐州東隣の宿遷の生まれでした。四面楚歌」の話の「楚」軍とは徐州を中心とする劉邦の軍のことで、四方を敵の楚の言葉で唱う歌を聴いて、項羽はもはやこれまでと思ったのでしょう。
・ 漢は長安に都を置きましたが(西漢、前漢です、因みに東漢、後漢の都は洛陽です)、徐州の重要性から劉邦は息子の一人をここに封じた。それが楚王です。劉邦は、秦の中央集権の弊害をみて、親族、部下を地方の王に封じました。

 したがって徐州には、漢代の十八の楚王陵があるようです。徐州漢代王陵分布図を見ると、徐州市街地及び周辺にも多くの王陵、漢墓が分布しているのがわかります。楚王陵は8基、漢墓が3基、漢兵馬俑博物館が1つです。漢兵馬俑博物館は獅子山楚王陵(ししざんそおうりょうぼ)の兵馬俑の展示館です。写真はその発掘当時の模様です。獅子山楚王陵は20世紀後半に発掘され、副葬品の漢俑は、発掘状態で「漢兵馬俑博物館」として保存されています。獅子山楚王は、第三代劉戊(りゅうぼ)の墓だそうです。
 徐州は漢の都ではないものの、漢の都市という印象が強いです。テレビの漢代歴史ドラマ用のセットもここにあります。

「漢墓」、漢墓の副葬品である「漢俑」(かんよう)、漢墓の壁に彫られた「漢画像石」を総称して「漢代三絶」(かんだいさんぜつ)と呼ばれています。当面は、漢代三絶を紹介することになります。

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