住職のひとりごと

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仏教的ものの見方

2022年09月22日 19時04分49秒 | 仏教に関する様々なお話
仏教的ものの見方




顕彰碑冊子から

ここに一冊の冊子があります。ある知り合いの先生がこの3月に送ってくださいました。これは、鎌倉大仏のあるお寺の境内に建立された顕彰碑を多くの人に知って欲しいという思いで作られた冊子です。その顕彰碑は、スリランカの大統領をされたジャヤワルダナという方を顕彰するためのものです。

先の第二次大戦の後、GHQの占領下だった時代、日本が戦勝国51か国と平和条約を締結するにあたり、1951年サンフランシスコにて講和会議が開かれました。その会議で、セイロン政府を代表して演説されたのが、ジャヤワルダナ氏です。当時蔵相でしたが、日本を擁護して演説して下さったその内容は、戦後打ちひしがれた日本人を大いに勇気づけ励まし、それによって国際社会に新たに踏み出すきっかけとなるものでした。

ジャヤワルダナ氏は、その会議で、まさに今のロシアのように世界中から軍国日本、侵略国家と非難されていた日本に対し、プリントにあるように、日本は他のアジアの国々と同様に何百年もの間仏教という教えに導かれ、同じ教養と伝統のもとに国の礎を築いてきた。そして、今も多くの国民がその教えのもとに生きようとしている。アジアの多くの国々が被占領国になる中、日本だけが唯一強く自由であった時にアジアの人々は日本を保護者のように感じ尊敬し、日本の唱えたアジア共存共栄のスローガンは人々の共感を得た。・・・

自国の主要産品であるゴムの大量採取により私どもは賠償を求める権利があるがとして、ここでお釈迦様の言葉である、法句経第五偈を引かれて、憎しみは憎しみによっては止まず慈愛によってのみ止むと教えられているからと、賠償を放棄し、完全に自由な国として日本の独立を支持すると主張されたのでした。演説を終えると、会場は賞賛する拍手が鳴りやまなかったといわれています。

いくつかの国の反対もあり四分割統治案もある中でしたが、この演説により議場の雰囲気が一変し、大多数の国の支持を得て平和条約に調印し、今日の日本があるわけです。日本はこの時仏教ないし仏教による他国とのつながりにより救われたと言えるのではないかと思います。

御存じの方もあったかと思いますが、忘れてしまっていたという方もあると思います。70年も前の話ですから、忘れられても仕方ないことかもしれませんが、戦前戦中は特に、日本は、まさに今のロシアのように全世界からたたかれ批難され、戦争に巻き込まれていったことを忘れてはならないと思います。

世の中の見方

さきほどのジャヤワルダナ氏の演説の中に、法句経の第五偈が挿入されていました、憎しみは憎しみによっては止まず慈愛によってのみ止む とありましたが、正確にはプリントにありますように、怨みに報いるに怨みをもってしたならばついに怨みのやむことがない…という文言となっています。ではどうしたら怨み憎しみがやむのか、法句経のその偈の一つ前の第四偈に、かれはわれを罵った、かれはわれを害した、かれがわれにうち勝った、かれはわれから強奪したと思いをいだかない人には、ついに怨み憎しみがやむとあります。

彼と我とありますが、相手と自分、または敵と味方と言い換えると、敵と味方と分ける見方、そういう見方をしなければ怨み憎しみがやむということかと思います。ですから、私たちも、敵、味方という見方をせずに、片方に肩入れすることなく、仏教徒として中立の立場、ないしはお薬師様のように一切の差別なく、すべてのものが幸せであって欲しいという思いで、世界を見ていくことが大切であると思います。

昔から日本では、怨親平等ということを言います。鎌倉、室町時代の戦で戦った敵も味方もひとたび戦い終われば平等に分け隔てなく供養するという発想から生まれた言葉ですが、敵も味方も、憎まず怨まずとらわれずに、双方を差別せず、同じ扱いをすることです。

ですが、皆さんはいかがでしょうか。今年2月24日以降の皆さんのご認識はいかがでしたでしょうか。お薬師様のように差別することなく、ウクライナの難民にも、ロシアの兵士や将校たち最高司令官にも、同じ気持ちで幸せを願うことができていたでしょうか。

仏教とは

仏教の教えは現実世界と切り離して考えるものではありません。仏教は、自らの身近なところの観察から始まり、この世の中のあり方を静かに、ありのままに見ていく教えです。

それは、簡単そうでとても難しいことです。それは、誰にも、先入観、既成概念、固定観念、偏見というようなものがあるからです。

そういうものをなくしていく、それが仏教の修行にあたるわけですが、そうして、ありのままに世界を見る、仏教はその真実なるものをはっきりと知ることによって、覚りという最高の幸せが得られるとする教えです。

ですから、何よりも真実とは何かと探求していく姿勢が仏教の基本にあるということです。

ウクライナの戦争の見方

ここで、場違いなことではありますが、ウクライナの戦争について、少しだけ触れさせていただきたいと思います。と申しますのも、実は今年のお盆参りの際に、このウクライナ戦争の報道ばかり見ていて、気分が悪くなられたという方が何人かおられました。そこで、私からはこの戦争の歴史的な背景などお話をさせていただきました。

こちらにも同じようにそれらの報道から精神的に辛くなられた方もおられるのではないかと思います。

私たちは自国の70年80年前のことをすっかり忘れているように、国際情勢についても、つい30年前の大事なことを忘れております。33年前の1989年にベルリンの壁が崩壊しました。そして、その翌年東西ドイツの統一があり、その1年後にソ連が崩壊しロシア連邦となります。

が、東西ドイツ統一の際に、東側陣営と西側陣営が、極めて大事な同盟不拡大の合意という取り決めがなされていました。つまり東西の境界の変更はしない、そのままの状態を維持するという約束がありました。

しかし、それを西側が西暦2000年前後に一方的に反故にして、東側の同盟国であった、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト三国を次々にNATOに加盟させていきます。NATOとは御存じの通り、集団防衛の軍事同盟です。

さらには、共産主義国家に、外からの力によりクーデターなどを起こして民主化を図り、親ロシア派のリーダーを追放し、親米派のリーダーを後釜に据えるということまでしていました。まさにウクライナがそうして政権が変更されてロシア側に攻撃的な対応がなされ、今回の軍事侵攻があったとするならば、一方的にどちらが悪いなどとは言えないことになります。

戦争とは情報戦と言うのでしょうか、正義はこちらにありとして、世界の多くの国々の人々を味方につけようとするわけですが、現代はかつての情報とは桁外れに高度な映像、CGや音声を用いて、味方に有利に、敵に不利に、盛んに行われているものと思います。

私たちの目にする日本の報道は、残念ながら西側の有利になるものを一方的に見せられ聞かされて、既成概念を植え付けられているのではないかと思えます。今申したような過去の歴史を紐解くような話を聞くことはなく、一方的に偏見をもたされた上で、言葉に出さずとも、恐怖心から、どちらが悪い、誰が悪いと判断してしまっていたとしたら、それは、仏教的な見方とは言えないと思います。

ここに今月9日の朝日新聞の切り抜きがあります。1990年代に広島市長をされた平岡敬さんの「核に脅かされる世界に」と題するコラムのインタビュー記事です。その一部しか紹介できませんが、さすがに深いご見識から、このように述べられています、

「米国は冷戦に勝ったと考え、ロシアを弱体化させようとする基本政策をずっと続けてきました。それにウクライナが使われたと私は考えています。即停戦させるべきなのに武器をどんどんウクライナに渡すというのはもっと戦争しろということです。ロシアが武力行使に踏み切った背景もきちっと理解しない限り、この戦争の意味はわかりません。どこかの国を敵視すること自体が平和を阻害する要因です。」と述べられています。社説に書いてもよいほどの良識ある内容であると読ませていただきました、有難い内容です。ご参考にしていただければと思います。

仏教は三世の因果を説く教えです。過去から現在に至る原因と結果を明確に見ることによって、冷静にことの次第を見ていくことができます。どうしてそういうことになったのか、という原因をきちんと特定できれば迷わずに済み、心が落ち着きます。ああそういうことか、と納得し、動揺しないで済みます。

このように、物事の原因と結果を明確に見ていくというのが仏教的なものの見方ということになるのですが、それを遮るものとして、私たちには権威あるものに盲目になるという弱点があるようです。テレビで言ってたから、あの先生が言ってたから、周りの人がしているからと、自分ではよく調べずに受け入れていることが多いのではないでしょうか。

これはある先生の本に紹介されていたお話ですが、昔、戦後まもなくのこと。ハーバード大学と東大の共同研究で開発されたという振れこみの、効果抜群の南京虫駆除剤をもって、ある人が芦屋の御屋敷町を回り、奥様方に、新聞でも報道されたものですと、亀の甲の形の化学式を書いて説明すると、面白いように売れたと言います。ですが、同じように大阪の長屋街でやったところ、うちは新聞とってません、ハーバードってなんやと言われ、そこに南京虫おるさかい試してくれへんかと言われる始末で、ほうほうの態で逃げ出したという話があります。

芦屋の奥様達は、新聞やハーバード、東大という名前の権威や化学式による先入観によって、真実が見えず、逆に大阪の長屋の奥さんは、そういうものに囚われず、それがどういうものかと、その実質を見ようとしていたと言えるのかと思います。

コロナについて

そこで、少しコロナについても触れたいのですが、未だに日本ではといいますか、日本だけがコロナ対応に追われて誰もが右往左往していますが、コロナもウクライナの戦争同様に、私たちはその新聞テレビによる報道に、芦屋の奥様同様に、真実を見る目を曇らされています。

毎日のように権威ある人々から解説を聞き、感染者数や死亡者数を報道され、恐怖心を植え付けられ、正しい判断力を奪われて二年半が過ぎようとしています。ですが、冷静に数字を見てみますと、未だに二年八か月で四万人ほどの死亡者数です。驚くほどの数字ではありません。

インフルエンザは、コロナ前まで毎年感染者は一千万人、死者は一万人でした。この感染者はすべて重い症状がありました。ですが、コロナの感染者とされるPCR陽性者はほとんどが無症状です。

諸外国ではすでにコロナ騒ぎは終了し、すべての規制が撤廃されています。ですから、岸田首相も外国に行くとマスクすらされていません。冷静に私たちは、なぜこのような事態に至ったのか、よくよく調べてみることが必要です。

コロナ問題の因果、原因と結果を、大阪の長屋の奥さんのように囚われない眼で見ると、このコロナ騒動の原因は、検査にPCR法を用いたこと、その陽性者を感染者とみなしたことだと見えてまいります。抗原検査ではなく、なぜPCRなのか、症状のない気道感染症をなぜ認めたのか。これまでの医学の常識を覆してしまったことが、世界中を混乱に陥れた発端であると。このことが理解されるとコロナに関する一切の恐怖心は消滅いたします。是非お調べになってみてください。専門家でもありませんので、これ以上申しません。

仏教の教えに、自灯明法灯明という教えがあります。お釈迦様が亡くなられる前に、先ほど登場した弟子のアーナンダに言われた言葉です。自分が亡きあとは、自らを灯とし、法を灯とせよ。これは、お釈迦様を頼りとして何事も判断を求めてきたアーナンダに、自分の死後は自らや周りを観察して真実を見よ、これまで説いてきた教えを理解しそれを頼りとせよという意味です。私たちも自分自身で情報を精査して考えよ真実を見よ、ということだと思います。


仏教徒である私たちは、あらゆる差別区別なく、すべての生きとし生けるものの幸せを念じつつ、仏教的なものの見方、物事の原因・結果を見て、その真実とは何かと見ていく、そうして既成概念や偏見にとらわれず、迷うことなく、よりよく生きる道を、ともに歩んで参りたいと思います。

いま私たちの心に大きく影を落としている問題を素通りしていては私たちの心に安らぎはやってまいりません。それらをどう仏教的に見るべきなのかという観点からお話し申し上げました。



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