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〈日本の古寺めぐりシリーズ番外編その3〉名古屋の名刹を巡る・真福寺、興正寺、日泰寺、甚目寺-2

2010年06月05日 13時22分51秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
日泰寺

日泰寺は名古屋市千種区法王町にある明治時代にタイ国王から寄贈されたお釈迦様の真骨を祀る超宗派のお寺である。正式には覚王山日泰寺という。明治37年建立の新しいお寺である。

タイ国大使館のホームページにある日泰寺の歴史には、次のように記されている。「1898年、英国人考古学者が、ネパールに程近いインド北部の古墳での発掘作業中に、人骨が納められた西暦紀元前3世紀頃の古代文字が刻み込まれた壷を発見しました。その壷を採取、文字を解読したところ、中に納められた人骨は仏舎利であることが判明、つまりは釈尊なる人物はこの地上に実在しなかったとする見方を覆し、その実在が立証されたわけであり、この発見はアジアにおける一大発見となりました。

当時インドを治めていた英国政府は、こうした真の仏舎利は仏教徒にとって最も価値あるものと考えました。タイ王国(当時のシャム)が唯一の独立国家としての仏教国であったため、タイ国王が当時世界で唯一仏教を守る人物であると理解したインド政府は、この仏舎利をチュラーロンコーン国王陛下に寄贈、国王陛下はバンコクのワットサケート寺のプーカオ・トーン(黄金の丘)の仏塔に安置されました。

その後日本を始め仏教を信仰する各国の僧侶、外交団等からこの仏舎利を分与して欲しい旨依頼があり、国王陛下は仏舎利をこれらの国々に分与、日本に関しては宗派を特定しない日本のすべての仏教徒に対する贈り物としてお分けになられたのです。日本仏教各宗管長は御真骨を自国に持ち帰るためにバンコクに使節団を派遣、1900年6月15日にチュラーロンコーン国王陛下より御真骨を拝受、御真骨奉安のための寺院を超宗派で建立することをお約束申し上げたところ、御本尊にと釈尊金銅仏及び建立費の一部を下賜されました。この釈尊金銅仏は大変美しくまた伝統あるもので、当時のタイ国にとって重要な芸術品のひとつでした。

使節団がタイ国から帰国後、仏教各宗派の代表と協議した結果、名古屋市民の要望が強かったことから名古屋に新寺院及び奉安塔を建立することになりました。そして、タイと日本の友好を象徴する日泰寺が1904年11月15日に名古屋(現在の愛知県名古屋市千種区法王町1-1)に誕生しました。釈尊御真骨を安置する奉安塔は、東京大学伊東忠太教授の設計により1918年に完成しました。この奉安塔は伊東教授の代表作となり、後々日本国内で壮麗な仏教建築と賛辞を受けることになります。

タイ国から拝受した釈尊金銅仏を安置する新しい本堂は1984年に完成しました。プミポン・アドゥンヤデート国王陛下にこの新本堂の完成を御報告申し上げたところ、金銅釈迦如来像と直筆の勅額一面を下賜されました。勅額にはタイ文字で「釈迦牟尼仏」と記され、両脇にはそれぞれプミポン国王陛下とチュラーロンコーン大王の御紋章が刻まれており、現在は本堂外陣正面に掲げられています。

その名が「日本とタイの寺院」という意味を持つ日泰寺は、二国間の良好な関係を表す寺院であり、いずれの宗派にも属していない単立寺院であって、その運営に当たっては現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職を務めるという、日本でも特異な仏教寺院です。日泰寺は、チュラーロンコーン大王が日本人仏教徒のためにと釈尊の御真骨と釈尊金銅仏を下賜されたことから建立された寺院で、タイ国にとても近い存在です。

特にタイ国王室との関係は特別なものがあり、王族の方々が幾度となく訪れていらっしゃいます。1931年、訪日中でいらっしゃったプラチャティポック国王陛下(ラマ7世)とラムパイパンニー王妃陛下が日泰寺を御参詣され、1963年にはプミポン・アドゥンヤデート国王陛下、シリキット王妃陛下も御参詣されました。また、日・タイ修好百周年に当たる1987年、日泰寺は本堂前にチュラーロンコーン大王像を建立、同年9月27日の祝賀法要にはワチラロンコーン皇太子殿下に御臨席を賜り、銅像の除幕式を執り行いました。

毎年10月23日のチュラーロンコーン大王記念日には、タイ政府関係者及び在日タイ人が、大王の慈悲深い御心を今一度思い起こすために献花に伺っております。日泰寺は、2000年6月15日にチュラーロンコーン大王からの釈尊御真骨及び釈尊金銅仏拝受百周年を祝い、また2004年11月15日には建立百年記念法要を行いました。」とある。

山門には、左側にお釈迦様の第一の弟子であった迦葉尊者像が、右側には20年あまりお釈迦様の侍者であった阿難尊者像が祀られる。鐘楼にはタイ文字が刻まれている。五重塔は、高さ30メートルある。本堂前にはお釈迦様の真骨を寄贈して下さったタイ国王チュラロンコン皇帝像があり、その隣には左右に象の像がある。

本堂内には、現タイブミポン国王より贈られた勅額でタイ文字で「釈迦牟尼仏」とあり、明治33年釈迦の真骨と共にチュラロンコン陛下から贈られた一千年を経ていると言われるタイ国宝の金銅仏が本尊として祀られている。なお、釈迦の真骨は、奉安塔の中に安置されている。境内から少し離れた東側の広大な墓地内にあり、大正7年に建てられた。伊東忠太教授によりガンダーラ様式を模して設計された。残念ながら創建時の伽藍は昭和20年空襲で全焼し、本堂は昭和59年、五重塔は平成9年、山門は昭和61年建立。


甚目寺(じもくじ)

甚目寺は、愛知県あま市にある、真言宗智山派の寺院である。正式名称は鳳凰山甚目寺。伝承によれば、推古天皇5年(597)伊勢の漁師である甚目龍麻呂が漁をしていた折、当時海であったこの地付近で観音像が網にかかり、その観音像を近くの砂浜にお堂をたてお祀りしたのが最初という。この観音像は、敏達天皇14年(585)に、物部守屋によって海に投げられた3体の仏像のうち1体(聖観音)といわれている。残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)に祀られている御像だといい伝えられている。

龍麻呂は、自らの氏をもって「はだめでら」と名づけたお堂をたて「波陀米泥良」と表記したが、中世頃「甚目寺」と書くようになったという。天智天皇が病気になったとき、甚目寺で祈祷して快癒したことから勅願寺となり、天武天皇7年(679)伽藍が整備され、鳳凰山の山号を賜った。その後何度も地震等、衰退と復興を繰り返している。天正18年(1590)、また地震に罹災し、その際に復興したとき、大和国長谷寺の伽藍をまねたという。

このとき、本堂再建、仁王門の大規模な修繕がなされた。織田信長や徳川家康の保護を受けて繁栄した。寛永4年(1627)、三重塔の再建。正保年間(1644年)に、また仁王門の修理が行われている。明治6年(1873)7月19日、火災により本堂が全焼、仮本堂を建築。さらに、明治24年(1891)濃尾地震で造営物が倒壊した。平成4年(1992)に現本堂再建。

本尊は聖観音。通称「甚目寺観音」で、正式名称より通称で呼ばれるという。高さ一尺一寸五分の秘仏であり、50年に1回開帳する。前立である十一面観音の胎内仏である。東海三十六不動尊霊場第五番札所。尾張三十三観音第十六番札所。尾張四観音の一つである。名古屋城から見て丁(亥と子の間)の方角にあり、丁壬の方角が恵方にあたる年(丁ひのと・壬みずのえの年、最近では2007、2012)の節分は、大変賑わう。

南大門、三重塔、東門が重要文化財(国指定)に指定されている。南大門 は、建久7年(1196)再建。仁王門ともいい、仁王(金剛力士)像を安置する。三重塔は寛永4年(1627)再建。高さ25m。吉田半十郎の寄進による。東門は寛永11年(1634)再建。このほか重文として、絹本著色不動尊像。絹本著色仏涅槃図を所蔵する。

その他の文化財(県指定)として、木造愛染明王坐像(鎌倉時代作)木造金剛力士(仁王)像(鎌倉時代、寺伝に運慶作というが実際の作者は不明)梵鐘(鎌倉時代作、建武四年(1204年)三月廿日の銘がある) また鎮守社として、式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ)があるが、神仏分離令の後、境内を分けて今日に至っている。

以上で参拝する四か寺の解説を終えるが、奇しくも二年前には九州太宰府にも参詣し、昨年は善光寺に参った。こうして甚目寺観音を拝することで、日本に仏教が伝来したときに伝わったと言われる三体の仏像すべてを参拝することになる。日本の古寺巡りシリーズは、正に仏教伝来の古に遡ってその行程をたどっているような旅であるとつくづく感じる。今回は更にお釈迦様の真骨を祀る日泰寺にも参れる。今回も誠に意義深い古寺巡りになることであろう。

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2 コメント

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初めまして。 (忠武飛龍)
2010-06-09 10:32:40
始めまして。

「いま、この国をおもう」
を読み感動して、書き込みました。

仏教にも興味がありまして、そちらも充実しているので、毎度これから読みたいです。

どうも「ネット右翼」系に毒された仏教者が多い中、慈悲・仁愛に溢れた正気の言説を書く和尚さんのブログがあることに、なにか救われたキモチがします。

失礼しました。

返信する
忠武飛龍様へ (全雄)
2010-06-09 15:02:03
コメント恐れ入ります。

何かこの度のことは書かないと気持ちが収まらなかったということもありただその時の思いを認めたしだいです。

皆様に共感していただけるものであったようですが、ここでの主題は仏教の本当のことを探求することにありますので、時事問題はごくたまに書かせていただいております。

今後ともどうぞ宜しくお願いします。
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