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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

いま、この国を思う

2010年06月04日 14時19分55秒 | 時事問題

鳩山首相の突然の退陣表明から二日が経過した。なぜこうなってしまったのか。暗澹たる気持ちが拭えない。昨年の夏、あれほど国民の支持を得て成し遂げた初めての本格的政権交代。満を持して政治の舵取りをしてくれるものと大いに期待していた。それなのにその後の経過は誠に残念でならない。安倍、福田、麻生政権に続き短期政権に終わってしまった。こうも日本の政治が長続きしないのはなぜなのか。誠に嘆かわしく思う。

それまでの政権は国民の付託を得ていないということもあろうが今回の鳩山政権は衆議院の総選挙で文句なしの大勝利のもとでの本格政権であっただけに惜しまれる。もちろんまだ民主党中心の政治は続くものの一つの政権が滅びたことには違いがない。新聞、テレビ、週刊誌は、昨年末には既に辞職という言葉まで登場して鳩山おろしに専念したかのような報道が目立った。国民がこぞって声援した政治家、それをもとにする政府を正当にその政策立案の業績を評価の対象ともせずに、まるで重箱の角をつつくような仕方で些細なことをスキャンダラスにまくし立て批判し、こけおろし、微罪を極悪非道の所行の如くに誹謗を繰り返す。

意味のない世論調査を繰り返し、あたかも国民総意で支持しないということを喧伝する。政治と金の問題では、検察からのリークをあからさまにして、何の後ろめたさも見せない厚顔無恥ぶりで居直る。国民の代表を、期待を集める政府を侮り、侮蔑し、あたかも能力が劣るとの報道を繰り返し、自国の政府を貶めるということの意味をも理解しない者たちは、単なる亡国論者、国を安く見積もって身売りせんがための所行とも言える。なぜ悪口しか書けないのだろうか。前政権までの官房機密費の使途をめぐって、マスコミ関係者に有利な言論形成に使われたとする事実が出てきても全く反省の色も見せないジャーナリズムのあり方こそ質されるべきではないか。

普天間問題では鳩山首相にはかなりの圧力があったことと拝察します。在韓米軍の撤退を表明した韓国の前大統領は非業の死を遂げた。ポーランドの首脳はなぜか航空機事故で多く死せねばならなかった。タイは全くの混迷の状態に置かれて久しい。中川元財務相はなぜ死ななくてはならなかったのか。先頃の韓国哨戒艦沈没事故の影響も拭えない。国益を第一に押し切ろうとするところにこうした思わぬ死がともなう。この世の中のあり方に愕然とする。

鳩山首相の所信表明演説、また、施政方針演説の全文を私は読んだ。これまでの官僚の作文を朗読した歴代首相の演説に比べ、そこにはご自身の心があるように思われた。政治は理想と現実の綱渡りであろう。理想も語れないのなら政治家になる資格はない。官僚主導から政治主導へ。従米からの脱却。生活者第一の予算編成。無駄の削減。 惜しむらくはそれを現実のものとするためのスタッフ、技法にすぐれなかったことであろう。ないしは、それを阻止せんがための大国に巣くう管理者たち、その威を借りこの国の中でその利権のために暗躍する名士と言われる各界の人々、その中には官僚も司法検察もマスコミも含まれるであろう、それらの人たちの長年のネットワークを打ち破るのはやはり並大抵のことではなかったということであろう。

政治なんか誰がやっても一緒という観念を植え付け、政治に無関心を決め込む国民が多ければ多いほど彼らにとって都合が良く、どれだけ無駄な税金の使い方をしても、他国に流れてもお咎めなしの体制を作ってきた。昨年の総選挙で今度こそと思って政治を変えようと思った人たちが、これで落胆し、また傍観を決め込むことだけはあってはならない。この度の鳩山首相の退陣はどのような背景から早期退陣に至ってしまったのかと疑問に感じ、新聞、テレビの報道を鵜呑みにせずその背後を読み取り、日本を一つの国家として、あるべき姿に改革していくために今後も関心を持続することが、何よりも日本国に住む者の勤めなのではないかと思う。

仏教では四恩の教えを説く。父母、衆生、国王、三宝の四つに生まれながらに私たちは恩を感じるべきであるという。国王に対する恩、国を守り人々の生命と財産を守る国王に私たちは恩義がある。それが誰を指すものかと言えば実質的なこの国の最高権力者ということになろう。目に見えない、この国にあるものかも分からない者を国王とするわけにはいかない。私たちにとっての国王を私たち自身が守る必要がある。本当に国民のために国を思う政治家をこれからも応援したいと私は思う。

 

追記 

なお、日本の政治に関して『中央公論』4月号に掲載されたカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の論文「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」を是非ご一読願いたい。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100319-01-0501.html

 

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18 コメント

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Unknown (和久希世)
2010-06-05 11:58:48
TB有難うございました。
鳩山政権の辞任、本当に残念でしたね。
ウォルフレンさんが述べておられるように、民主党の挑戦は海外でも期待を持って見られていたのですね。
今は菅総理に期待するしかない状態でが・・・・・
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和久様へ (全雄)
2010-06-05 12:19:21
こちらこそいつもありがとうございます。

日本でこれだけ見事な政権交代を成し遂げられたということだけでも注目されていた。

それをどう活かせるか、まだまだ遍路もやっと一国が過ぎたくらい。菅さんは四国を歩かれているのだから、最後まで結願してくれることを願っています。
返信する
政党政治の限界?其れとも---? (ejnews)
2010-06-05 20:25:29
西欧型の民主主義は政党を構成する政治家が個々の市民を代表すると言われているのですが、此のシステムの問題点は市民が国家経営の全ての情報を伝えられていると言う事が前提にされています。現実的には政治的エリートと経済的エリートが常に御互いを助け合う様な状態が簡単に形成され経済金融を支配するグループが情報をコントロールし、最近の日本の例では小泉政権が恰も市民の為に民営化を推進しているかの様なプロパガンダを利用し実際は日本の国民が税金によって築き上げ国民が所有者である公共機関(昔の話をすれば国鉄の民営化から郵便局まで)を特定の資本家に与えると言う狂気の沙汰が起こっています。
 我々は西欧の特権階級によってでっち上げられた西欧的代表制民主主義等と言うイカサマを徹底的に疑い、仏陀が行った自由平等の精神(仏陀の行動は画期的で、ギリシャが最古の民主主義の原点の様に欧米人は宣伝していて日本人も其れを信じている人も多い様ですが、実は仏陀はアーリアン(白人)によって支配されていた印度のカスト社会でカストに関係なく信者を受け入れた事から人類史上最古の民主主義思想家とも捉えられているのです)個人個人が収入の差や職業の差を克服し御互いを尊敬しあう社会を構築する努力をするべきではないでしょうか?
 私は代表者が重要な現在の(西欧型の)民主主義と呼ばれているシステムよりもクロポトキンがスイスのジュラ山系の時計職人達のがメンバーだった個人個人が御互いに尊敬しあう、言ってみれば19世紀末のヨーロッパの仏陀的共同体の様な社会を目指す事が現実的な人間社会の問題の解決手段ではないのかと思っています。
 日本の民主党もアメリカのオバマ民主党と同様に権力を代表する政治グループなのだと私は解釈しています。
 国家なんて糞食らえ!私たち一人一人が大切なんだ!
 (私は日本とアメリカ両国に家族が居て国家とは非常に窮屈な受け皿だと思っています。其れよりも地球人と自分自身を考える様にしています。)
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理想と現実 (全雄)
2010-06-06 09:54:26
ejnewsさん、御無沙汰しました。お元気そうですね。いつも記事拝見していますが、難しい内容が多くなかなかついて行けておりません。

お釈迦様の時代にも王政の国と合議制の国があり、そのあり方を推奨はされていますから、言われるように、それを民主主義思想家と評することももちろん可能なのだと思います。大般涅槃経にあります。

国家がない方がもちろん一人一人の人間のためにはいいことなのかもしれません。しかし、誰もが素晴らしい人格を持っているわけではない。かなり危ない人々が沢山いる世の中にあって、その闘争の繰り返しが人類の歴史であるなら、そう簡単には国は無くならないのでしょうし、その意味において国という囲いも必要なのだとは言えませんか。

社会主義という理想を掲げ、結局は上層部の特権階級を作り出した過去の教訓もありましょう。理想ばかりでは現実には生きられない。広く世の中の幸せはいかにあるべきかと考えつつも現実との狭間で紆余曲折をまだまだ人類はこれからも続けていくしかないのではないでしょうか。
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初めまして ()
2010-06-06 23:10:51
上記URLの掲示板『阿修羅』への紹介記事にて、こちらの記事を拝読しました。

ウォルフレン氏の記事は、出た当時に読んで大変賛同し、しかし氏が危惧するとおり、マスメディアの報道によって鳩山氏は政権から引きずりおろされるのではないかと心配しておりました。

そして、あれだけの得票をしての政権交代からわずか八ヶ月で、鳩山氏は総理の座を降りることになりました。

官僚の抵抗や非協力は(報道もされないので)私たちの目にあまり触れませんが、マスコミの異常さは、嫌でも目につきます。
まるで、政権を貶めるために存在しているかのようです。
彼らには、国や人を思う心などカケラもなく、標的を言論でリンチして金を儲けること、言論で政権すら動せるという傲慢さ・残酷さが垣間見えます。

醜悪な化け物のようになってしまっているこのマスメディアというものが、力を失い、崩壊することのみを、私は祈ります。
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蔦様へ (全雄)
2010-06-07 07:34:41
阿修羅に転載されたことを今知りました。

確かに言論によるいじめ、リンチと言える程度の低いキャンペーンを挙ってマスコミ各社は画策していると言えそうです。

新聞テレビ命という人たちが沢山いる日本にあって、彼らにとって思うつぼにはまりこんだかに思える現在の日本ではありますが、ある方が言われるようにザワザワと世の中に真実が伝わり、昨年の総選挙のようなことが起こったわけですので、多くの人々がアンテナを四方に張り巡らして下さることを願うばかりであります。

戦前戦中にマスコミはどのような働きをしたかということを考えただけで分かりそうなものなのですが、自分の頭で考える習慣を持たない人たちが多いのでしょう。

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社会主義、国家、etc, (ejnews)
2010-06-07 10:37:24
 余り重要な事ではないのですが------------社会主義国家、社会党、共産党と一般に言われている団体は専制中央集権国家や団体で軍隊の様に上からの命令で全てが機能している組織形態なのです。此れはマルクス型の思想が現れた時から当時アナキスト(“圧政的支配者の居ない”と言う考え方)と呼ばれた人々によってマルクス型の思想では王政や専制的中央集権国家と変わりが無いのでこの様な社会主義や共産主義は非常に危険な思想であると非難されていました。実際歴史が証明している様にマルクス型社会主義、若しくは共産主義はレーニン、スターリン、毛沢東のような専制的政治家とソ連や中国の様な専制的中央集権国家を生み出した事はいかにクロポトキン等の思想家の意見が正しかったが我々にも1世紀以上を経た今理解される様になっています。2009年のノーベル経済賞を受賞したエリノアオストロム女史もクロポトキンが1世紀以上前に説明していた平等な地域社会の連帯で構成する社会についての研究や実験が認められたものでした。(勿論、当時のアナキズムが完全な思想であると言っている訳ではありません。それにクロポトキンの思想は“精神改革”であて、単なる政治経済思想では無いのですが、彼の思想を単なる政治経済思想と受け止めている人が多い事が未だに彼の思想が誤解されている原因ではないかと私は思っています。)
 現在までの歴史を見ると国家組織とは特定の社会層に所属する集団が国民と呼ばれる人間を戦争と言う彼等の利益の為の人殺しに駆出す合法的組織か、国民と言われる大多数の庶民の収入を特定の社会層に所属する人間集団の利益の為に使う合法的手段としての税金を取り立てる組織以外の何物でもないと私は考えています。確かに“民族”と言う集団は存在し其の習慣や言語、歴史はありますが“国家”とは疎の様な実際に存在する物ではなく抽象的に常に支配層の為に創り出された概念なのです。だから国家の歴史等はどの国でも国家の支配者は“元は神様の子孫”だとかと言う都合の良い歴史の書き換えが行われ、日本の天皇家の様に非難するには何と無く畏れ多い存在にして国民と呼ばれている人間集団を支配するのです。
 アメリカでも“愛国心”と言う言葉を利用し戦争に反対するアメリカ人を“裏切り者”“売国奴”と呼び“国家”の為にアフガニスタン、イラクへの侵略戦争を行っているのです。社会健康保険もアメリカ的ではないので、疎の様な社会主義的なことを言う人間は米合衆国と言う国家を愛していない“裏切り者”“共産主義者”(私は社会主義、共産主義とアメリカ型政府の間には何の違いもないと見ているので滑稽ですが)だとなる訳で、私は国家と言う抽象概念は非常に危険な物だと思っています。日本も昔は神国日本とか言って報国とか何とかで国家の為に死になさいとかで徴兵制を強制し、朝鮮半島や中国大陸を日本国家の生存の為と言う言い訳で戦争の惨禍に引きずり込んだ歴史があると思います。
 それで-------現在の日本の地域社会は日本国家と言う組織の中で良く機能しているのでしょうか?其れともある特定の日本の社会層の人間集団が日本国家と言う組織を利用して利益を得ているのでしょうか?
其れとも-----日本国家と言う抽象概念に誰も疑問を持たない為、日本人と呼ばれる人間集団の血と汗の結晶(庶民の税金で造り上げられた公共機関)である国鉄や郵便局が“国家”と言う抽象的存在者の方針で民営化され、何時の間にやら特定の資本家や外国の企業に手渡される様な事は起こってはいないでしょうか------?
勿論、私は日本と言う国家を無くしてしまえ!と本気で言っている訳ではありません。単に“国家とは幻想”であって“国家”と言う抽象概念には注意しましょうと言っているのです。
余り重要な話ではないので真剣に考え過ぎない様に---------こんな事で良いのかなあ~???
 
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おっしゃるとおり (全雄)
2010-06-07 11:01:41
ejnewsさん、

誠に丁寧なご回答恐縮いたします。まったくもって仰るとおりですね。国家とはそういうものだと。だからこそ私たちはそういうものだと理解して、ではどう自分たちを国家と対峙させていくかということを考える必要がある。

すべてを否定しても上手くない。今あるコマの中からどの程度なら我慢できるものか、誰なら夫れを実現する方向に動いてくれるのか、私たちがより良くあるために委ねられる人は誰かということになるのではないかと思っています。

何かしてくれる、国民のために働いてくれる、国家とはそんな生やさしいものではない、仰られるようにそもそもどれだけ搾取して一部の者たちが利益を追求できるか、そんなことのために国を利用している。そのことを国民みんなが共有して、逆に彼らを働かせる国造りをしなくてはいけない。

憲法は国は斯うあるべきものだというものではなく、国家は国民に斯うしますというのが本来のあり方だと言いますが、国民自らが国をどのように規定していくのかという発想が必要なのではないかと思います。
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はじめまして、 (MT)
2010-06-08 15:47:37
阿修羅より来ました。

まさに同感。
このような住職様がおられること心強く思いました。

先日「首相退陣」についてというテーマでラジオに投稿した拙文です。
投稿したまま忘れていましたが、放送されたとのことでした。


>残念でした。
普天間問題にしろ、何年も放置されていた問題を、本質論から問い直した政治家、総理がいたでしょうか。
世界史的展望をお持ちの総理が、信念を持って発言され、努力された結果がこのような形になろうとも、その信念、情熱には惜しみない拍手をおくりたい。
まさに、国民やマスコミが矮小化して批判をかさねたこと、さぞかし無念であろうと思いました。
流動化する世界情勢の中で、自立した日本の政策を目指されてきた志半ばでの退陣を惜しみます。
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MT様へ (全雄)
2010-06-08 16:59:25
国民一同が早く真実を見極める目を持ち、ことの推移をきちんと冷静に見ていけるようにならないと日本の国は変わらないのでしょう。

こうしたことで、これまでに多くの大切な政治家を失ってきました。国民がマスコミの報道になびくことなければそれらの政治家は私たちのために働けたものを。誠に残念なことと思います。



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