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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

心の自己免疫を高めるには

2025年07月21日 13時47分47秒 | 仏教に関する様々なお話
「心の自己免疫を高めるには」 本日午前8時からの藥師護摩供後の法話




昨年末、寺内で二人大風邪を引き、一日一日大晦日が迫る中で病院に行こうかどうかと思案する毎日だった。行けば検査させられ何か出たら、それこそ年末正月の行事も出来なくなると思い、とにかく27日だったと思うが、その日しなければならないことをまずは手早くやり、それ以外は市販の薬を飲んでねていた。夜も八時には寝て朝まで起きずに寝ることに徹した。

次の日も同様にしていたが、熱が38度程度で、多少咳が出る程度だったが、それが30日午後にはぴたっと、熱が下がり身体に力が湧いて動けるようになった。それで何とか年末年始の行事を乗り切ることができたのだが、ご存じの通り、本来身体には自然治癒力が備わり、自己免疫力がある。それには強い薬で1日で治るというようなわけにはいかないので数日は徹底して休息が必要になる。予定していたことを諦めることも必要になるというわけだ。

昔インド・サールナートのお寺にいるとき、お寺の学校の先生がお腹を壊し、日本の薬をくれと言ってきた。正露丸を持っているのを知っていたからだが、お世話になっているので3粒あげて飲んでもらったが、少ししたらまた来て、回復しないという。いやいや時間が必要だから少なくとも一時間くらい様子を見て下さいと言ったことを思い出す。

思わず笑ってしまったが、薬を飲めば直ぐに効くと思っていたインドの先生を笑えないようなことを私たちもしている。直ぐに治したいからと医者に行くわけだが、そうではなく何日か要してでも休息を取る、そして自分の身体の治癒力を信じることが大切で、病は気からなのだから、心を休め気を調える為には時間が必要であろう。では、身体には治癒力があり、免疫力があるなら、私たちの心が苦しんだり、悩んだときにも、治癒力が本来あるはずだが、いかがだろうか。何か耐えきれないことがあって、泣いたり、大きな声を出したり、というのも癒やしにはなるだろう。だが、その心の免疫を高め、治癒力を上げるにはどうしたらいいのか。

皆さんは、仏教に造詣あり、そのためにこそ写経をしたり、読経したり、坐禅したり、こうして護摩にお参りになっておられる。そうして、何か言われたりというような刺激に反応して考え悩むことをしない習慣を身につけている。それも心の免疫を高めることに繋がっていると思う。だが、その時に大切なのは、できたら、それは自分がやっていると思わずに、沢山の御縁によって、仏さま、神様、または御先祖様や導いて下さった人のお蔭でさせていただいているんだと、そういう謙虚な心が大切ではないかと思う。

昔インドに最初に行ったときの話ですが、リシケシュというヨガの聖地でヒンドゥー教の寺院に長く滞在しているときに、体調を崩し3日ほど蚊帳を吊ったベッドで寝ていたことがある。そのとき、気がつくと蚊帳の上の方に何人かの姿が見えて、その中に一人仙人のような人がいて微笑んでいたのだが、その人を見ていたら不思議と体力が回復していったように思えた。後から人に聞くと、私たちにはみんな5人の霊が見守っていて、心が修行に対し正しく向かうことを喜ぶ霊はそういう心になると喜んで力添えをし、また、修行に反することを喜ぶ霊はそうした心にあるときに喜んで良くないことに導いていくとか。

自分を入れて6人いることになるが、いろいろな場面でそうした霊が後押ししたり足を引っ張るということだった。それで、仏教の言葉で六親眷属という言い方があり、それは血の繋がりの親族と思われているけれども、本当はそうした守護する霊と自分を含めて六親というのだとか。その説が真実かどうかということよりも、大切なことは、そうして私たちは沢山の目に見えないものにも支えられ、導かれつつあるということではないかと思う。

私がここにいるのも何か目に見えないものによって導かれてこのお寺にやってきたのであり、皆さんとこうして出会えているのも偶然とか偶々ではなく、おそらく出会うべくして出会っているのだと思う。そうして出会わせていただいているんだと、みんなのお蔭でこうしてあるのだと思い、何事にも、何をするのでも謙虚になすとき、自分、自分がという心がなくなり、自我が弱まって、逆に私たちの心の免疫力、心の治癒力は高まっているのではないかと思う。

自然の中で、ゆったりと過ごすとき、風の音を聞き、川のせせらぎに、また鳥のさえずりに耳を澄ますとき、自然と融け合った自分を感じてとても安らいだ、穏やかな、幸せな気持ちになれる。自然と一体となって、自分などという思いが消え去っていることに、その時気づければ、それをいつどんなときにも感じていられるようにしたらよい。

私たちが悩み苦しむとき、心は自分のことばかりに向かっている。そうではなく目を閉じ自然の中にあるときのことを思いだし、その時の落ち着いた穏やかな心になって、多くの自分を支え導いてくれる人や自然を含め、あらゆる存在と融け合い今あることに思い至れば、自ずから苦しみから解放されていることに気づくのではないだろうか。

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