おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

緑の光線

2021-12-10 09:14:29 | 映画
「緑の光線」 1985年 フランス


監督 エリック・ロメール
出演 マリー・リヴィエール
   リサ・エレディア
   ヴァンサン・ゴーティエ
   ベアトリス・ロマン

ストーリー
夏のパリ。オフィスで秘書をしているデルフィーヌは20歳も前半、バカンスを前に胸をときめかせていた。
7月に入って間もない頃、ギリシア行きのバカンスを約束していた女ともだちから、急にキャンセルの電話が入り、途方に暮れるデルフィーヌ。
いよいよバカンスとなり、女ともだちのひとりが彼女をシェルブールに誘ってくれた。
シェルブールは太陽はまぶしく海は澄み渡っていたが、デルフィーヌの心は晴れない。
8月に入り山にでかけた彼女は、その後、再び海へ行き、そこで、老婦人が話しているのを聞いた。
それは、ジュール・ヴェルヌの小説「緑の光線」の話だ。
太陽が沈む瞬間にはなつ緑の光線は幸運の印だという……。
海で友達ができないわけではないが、彼女の孤独感は消えない。
パリに戻ることにした彼女、駅の待合室で、本を読むひとりの青年と知り合いになった。
初めて他人と意気投合した彼女は思いがけず、自分から青年を散歩に誘ったところ・・・。


寸評
フランスにはバカンスと言う長期休暇をとる風習があって、夏のこの時期にパリに行っても従業員が皆バカンスに出かけてしまい、閉まっている店が多くあり楽しくないという話を聞いたことがある。
フランス人にとっては「人間が元気に生きていくため必要なもの」となっているらしい。
デルフィーヌは友達とのギリシア行きのバカンスがおじゃんになり途方に暮れる。
それなら一人で行けばいいじゃないかと思うのだがデルフィーヌは一人では面白くないという。
僕は学生時代に20日間ほどかけて九州、同じように山陽道を一人で旅したことがあるが、一人旅も同行者を気にせず好きなことが出来て楽しいものだった。
一人だから土地の人にも語り掛けるし、同じような旅行者とも親しくなることができた。
一人旅の醍醐味とでもいうべき体験は楽しかった思い出しかないのだが、デルフィーヌは違うらしい。

バカンスの過ごし方に悩んでいる時に友達がシェルブールに誘ってくれる。
「シェルブールの雨傘」で馴染みのある地名である。
デルフィーヌはそこに行っても気が晴れないし、皆と食事していても乗り切れないものがある。
見ているとその状況の原因はデルフィーヌにあるように思えてくる。
兎に角この女性は理屈っぽい。
動物は食べる気がしないと肉類は勿論のこと、エビやカニも食べない。
菜食主義者と見てしまえばいいのだが、僕は議論する彼女を見ていると、こんな理屈をこねる女性はまっぴらだという気持ちが湧いてきて嫌悪感さえ感じた。
彼女は恋に恋しているような所があって、異性との出会いを求めているようでもあるのだが、そこでもやたらと保身的で、男性から声を掛けられ同行の女性が興味を示しても彼女は拒絶してしまう。
たしかに軽薄な会話を繰り返す男性には興ざめするのは理解できるし、僕も軽薄な会話しかしない女性は好きになれない。
しかし彼女の場合は理想が高いのか、出会う人と馴染めないでいる。
人からは変わり者だと言われると告白しているが、変わり者というより理屈っぽいのだ。
理屈を言わせれば人並み以上なのだが、それじゃやってみればと実行を迫ると行動を起こさない人がいる。
映画が進むにつれて、僕にはデルフィーヌがそんなタイプに見えてくる。

別れた恋人を山に訪ねるが、彼とは合わずにすぐに下山し今度は海に行く。
そこで彼女はジュール・ヴェルヌの「緑の光線」の話を老婦人が話しているのを聞く。
「太陽は赤・黄・青・紫の光を発しているが、青い光が一番波長が長い。だから、太陽が水平線に沈んだ瞬間、青い光線が最後まで残って、それがまわりの黄色と混ざって私たちの目に届く」という。
太陽が沈む瞬間に放つ緑の光線は幸運の印で、それを見た者は幸福を得られるという。
デルフィーヌは知り合った男性とその緑の光線を見る。
彼女は今迄と違って自分から青年を散歩に誘う積極性を見せていた。
自らが行動を起こさない限り、幸せは向こうからやって来てはくれないのだと言うことだろう。
最後に緑の光線を見せるために回り道をしてきたような作品だが、撮り方は瑞々しいものを感じさせた。