おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

歓待

2018-05-26 10:37:55 | 映画
深田晃司の「海を駆ける」が公開されている。見に行くつもりが時間が取れず、過去の作品を家で再見。

「歓待」 2010年 日本


監督 深田晃司
出演 山内健司 杉野希妃 古舘寛治
   ブライアリー・ロング
   オノ・エリコ 兵藤公美

ストーリー
東京の下町。
夏の光に照り返る大きな河川を抱く工場地帯の一角で、小林印刷は今日も輪転機の音を響かせている。
小林幹夫(山内健司)は、若い妻・夏希(杉野希妃)と前妻の娘・エリコ(オノ・エリコ)、出戻りの妹・清子(兵藤清子)と暮らしながらこの印刷屋を営んでいる。
勤勉に働く家族の最近のもっぱらの事件は、エリコの飼っていたインコのピーちゃんが逃げてしまったことぐらいである。
そんなある日、かつて小林印刷に資金援助をしていた資産家の息子と名乗る男、加川花太郎(古舘寛治)が不意に訪れる。
加川は低姿勢で印刷の仕事を手伝いながら小林家に住み込みで居ついてしまう。
ある日、加川の結婚相手だというアナベル(ブライアリー・ロング)がやって来て、夫婦だということで彼女も小林家に同居することになってしまう。
やがてひょんなことから加川はある男を小林印刷で雇い入れようとする。
幹夫は拒絶するが、加川に後ろめたいことが発生していて断ることが出来ない。
不満がたまってきた夏希はある日、無断外泊をした。
そんなある日、アナベルの友人だと言う外国人が大挙してやって来て、観光客なのでしばらく泊めてやってほしいと言われるのだが、国籍はバラバラでご近所からは不審の目で見られる。
加川は小川家の内部へすっかり入り込み、夫妻のゆるやかな日常は加川とその招来客によってにわかに崩れ始めていく…。

寸評
住居の片隅で営まれている小林印刷は小さな印刷屋で、人間関係がよくわからないまま小林家の人間が登場してくる。
若い夏希が清子(せいこ)さんと呼んでいるので、清子は幹夫の奥さんで、夏希は幹夫の妹かと思っていた。
従って夏希が面倒みているエリコは夫婦の子供だと思って見ていたのだが、幹夫は前妻に逃げられており、若くて美人の夏希が後妻でエリコは幹夫と前妻との間に出来た子だということがわかる。
清子は結婚後すぐに別れて帰ってきていることも判明する。
前妻は近くに住んでいるらしく、幹夫とバッタリ会ったりするし、エリコも前妻のところでご飯を食べたりしている。
複雑な一家なのだが、それでもめ事が起こるでもなく、いたって平和な家庭だ。
それは幹夫のおっとりとした性格によるものでもあるだろうし、若いながらも心配りを見せる夏希の努力によって維持されていると言ってもいい。

幹夫が印刷屋を開業するときに資金提供してくれた人の息子と言う加川花太郎が現れてから、話が急展開し小林家がひどいことになっていく。
その様が大いに笑えるのだが、一歩引いてみると家族の在り方だとか不法移民問題なんかを投げかけているようにも思えてくる。
兎に角、加川というキャラクターがユニーク過ぎて笑いを誘う。
優しい物言いなのだが、やることはいい加減すぎるし、ずうずうしいし、押しが強い男だ。
物事の解決能力は備えているらしく、役所から印刷の仕事を随分と持ち帰ってくるし、夏希がかかえる問題も解決してやったりするのである。
それで終わればいいのだが、この男はそれに付け込んで迷惑することを持ち込んでくる。
妻だというアナベルも怪しげで、夫婦にはブラジル出身だと言うが、別の人間にはボスニアだと言ったりする。
英語が分からないと言っていた加川が実は流ちょうな英語が話せたりするから、観客である僕たちもますます不審な人物だと感じるようになる。
ハニートラップの様な出来事と、それを眺める加川とその解決策が笑わせる。

夏希は英語をエリコに教えていているのだが、アナベルがネイティブな発音で指導しだし、主客転倒してしまっているのは幹夫と加川だけではないと見せつける。
とんでもない事件が起こって、結局元の小林家に戻るのだが、迷惑すぎる大量の異邦人の“歓待”を経たことで2人の絆がより深まったという印象を残す。
幹夫が夏希にビンタをくらわし、夏希も幹夫にビンタをくらわすシーンがあるが、あれはお互いに相手の不義を分かっていたのだが、それでもこの家に居続けると言う証でもあったと思う。
何も起きない平穏な日常と言うのは退屈かもしれないが、一番幸せなことなのかもしれない。
最後はもっと滅茶苦茶になるのかと思ったけど、案外とまともだと感じたのは、小林家が壊れなかったためだろう。
小林家が破滅で終わるパターンも見てみたい気がしたエンディングだった。
幹夫と夏希、異邦人たち、清子やエリコ、相手の心のうちが読めない他人と一緒に生活の場を作っていくにはどうすればよいかという苦闘を描いた作品でもあった。