糸川さんは「隼」戦闘機を設計したとき、
アメリカの研究所との長い付き合いから
軍事力からみて将来日本が攻め返されたときにも戦える
高高度飛行の爆撃機の編隊も攻撃できる
急上昇できる機体が絶対必要と設計に取り入れたところ
軍部の検査で敵が攻め来て爆撃されるなどと言う事の
弱腰を考えた機体は生産してはならないと生産延期を迫られ、
零戦と同じ攻撃のみ型の設計も取り入れした型に変更し、
生産が計画より1年も遅れてしまいました。
問題は、いずれ反撃されると考えない国民性です。
南方の前線配属されたこの「隼」は敵の高高度爆撃機の迎撃戦も、
空中戦にも活躍し南方では零戦を上回る戦闘機となりました。
また加藤「隼」戦闘隊の歌でも有名です。
歴史は繰り返します、中国・アメリカの過去は連合国軍です
その時までに海外口座どう準備しておくかですね。