「対岸の家事」というテレビドラマがある。(「対岸の火事」ではない。)
私はこのドラマをTVerのリアル配信で毎週見ているのだが、昨夜はこのドラマの第2話、3話の過去動画を、ざっと見直してみた。登場人物が「自分は親に遺恨があるので、実家には年に1度しか帰省していない」と話すシーンがあったと思うのだが、この場面は結局、見つからなかった。
なぜそんなシーンを見つけようとしたのか。それは数日前、次の記事を読んだからである。
「親の暴言や虐待に苦しんできた子が、介護や葬儀をするのを拒み、代行サービスに依頼する例が急増している。一般社団法人『LMN』(東京都)は、いわゆる『毒親』の被害者向けの相談室『家族じまいドットコム』を3月中旬に開設した。」
(朝日新聞4月20日)
自分の親が死んだとき、親の葬儀をしたくないと思う人がいることが、私には信じられなかった。だが、親の葬儀の代行をLMNに依頼する人が急増しているというのだ。これは一体、どういうことなのだろう?
そう考えたとき、私はふとあのテレビドラマのことを思い出したのである。このドラマの登場人物の男性(厚労省勤務)は、親に遺恨があるため1年に1度しか帰省していないと話していた。自分の親が死んだとき、こういう男性ならたしかにLMNに葬儀の代行を頼むかもしれないな、と思ったのである。
記事にはこうある。
「度を越した厳しいしつけや暴言を浴びながら育った子どもが大人になり、『うちの家族は異質だった』と気づいて距離を取るようになる。にもかかわらず、親が『子どもが介護をするのは当たり前だ』と主張してさらに関係がこじれる――といったパターンが典型的だという。」
(同前)
はて、我が家の場合はどうなのだろう。
そんなことを考えたのは、東京に住む私の長男も、1年に1度しか我が家に帰省せず、帰省してもすぐに東京に帰ってしまうからである。
私が死んだとき、彼はLMNに葬儀の代行を頼むのだろうか。親の葬儀ぐらいはちゃんとやってくれよな、と願う気持ちがないといったら、嘘になる。でも、葬儀の代行か・・・。それもあり得るかもな、と思ったりする最近の天邪鬼爺である。
私はこのドラマをTVerのリアル配信で毎週見ているのだが、昨夜はこのドラマの第2話、3話の過去動画を、ざっと見直してみた。登場人物が「自分は親に遺恨があるので、実家には年に1度しか帰省していない」と話すシーンがあったと思うのだが、この場面は結局、見つからなかった。
なぜそんなシーンを見つけようとしたのか。それは数日前、次の記事を読んだからである。
「親の暴言や虐待に苦しんできた子が、介護や葬儀をするのを拒み、代行サービスに依頼する例が急増している。一般社団法人『LMN』(東京都)は、いわゆる『毒親』の被害者向けの相談室『家族じまいドットコム』を3月中旬に開設した。」
(朝日新聞4月20日)
自分の親が死んだとき、親の葬儀をしたくないと思う人がいることが、私には信じられなかった。だが、親の葬儀の代行をLMNに依頼する人が急増しているというのだ。これは一体、どういうことなのだろう?
そう考えたとき、私はふとあのテレビドラマのことを思い出したのである。このドラマの登場人物の男性(厚労省勤務)は、親に遺恨があるため1年に1度しか帰省していないと話していた。自分の親が死んだとき、こういう男性ならたしかにLMNに葬儀の代行を頼むかもしれないな、と思ったのである。
記事にはこうある。
「度を越した厳しいしつけや暴言を浴びながら育った子どもが大人になり、『うちの家族は異質だった』と気づいて距離を取るようになる。にもかかわらず、親が『子どもが介護をするのは当たり前だ』と主張してさらに関係がこじれる――といったパターンが典型的だという。」
(同前)
はて、我が家の場合はどうなのだろう。
そんなことを考えたのは、東京に住む私の長男も、1年に1度しか我が家に帰省せず、帰省してもすぐに東京に帰ってしまうからである。
私が死んだとき、彼はLMNに葬儀の代行を頼むのだろうか。親の葬儀ぐらいはちゃんとやってくれよな、と願う気持ちがないといったら、嘘になる。でも、葬儀の代行か・・・。それもあり得るかもな、と思ったりする最近の天邪鬼爺である。
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