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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

憲法問題を考える

2025-05-06 10:03:25 | 日記
世はゴールデンウィークの真っ只中。テレビをつければ、どこそこの行楽地が人気だ、などと脳天気なニュースが流れている。だが「サンデー毎日(毎日が日曜日)」の私には、ゴールデンウィークも行楽も関係がない。憲法記念日もこどもの日も関係がない。

ただ、憲法記念日はブログのネタとして使えそうだ。せっかくだから遅ればせながら、憲法問題について考えてみよう。

日本国憲法に対しては、大きく2つの態度がある。護憲か改憲か、その2つの相反する態度である。

護憲派はこう主張する。第9条で「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を謳い、平和主義をかかげる日本国憲法は、実に素晴らしい。世界には戦争のきな臭い匂いがただよっているが、日本はこの憲法のもとでひたすら平和を追及すべきだ、云々。

他方、改憲派はこう主張する。日本国憲法がかかげる平和主義の理念はたしかに素晴らしい。だが、そういう理想が通用しないのが国際社会の現実なのだ。
我々はリアリストの目を持たなければならない。
すぐ隣には、武力で覇権を拡張しようとする膨張主義国家・中国が、我が国の領土を侵略しようと虎視眈々と狙っている。
我が国が憲法の規定する通り、戦力を持たなかったら、我が国はたちどころに悪辣な中国の餌食になってしまうだろう。そういう悲惨な事態を避けようとすれば、我が国は戦力を持たなければならず、そのためには日本国憲法の、特に第9条を改めなければならない、云々。

さて、我々はどちらの主張に与すべきなのか。さる5月3日、朝日新聞にこんな意見広告がのっていた。「武力で平和はつくれない」。この意見広告が言うように、「平和をつくるのはただ平和主義の理念だけだ。この理念に基づいた外交だけが平和をつくることができる」と考えるべきなのか。

それとも、そんな主張は、現実を見ようとしない「お花畑の妄想」に過ぎない、と考え、「他国による武力行使を抑えるのは、ただ武力だけだ」と言うべきなのか。

後者の見解は、究極的には、「核抑止論」の発想に行き着く。これこそ核保有国(米、露、英、仏、中)の発想であり、核保有国・アメリカの「核の傘」に頼ろうとする現在の日本政府の考え方にほかならない。

う〜む。我々はどう考えるべきなのか。へそ曲がりのリアリストである天邪鬼爺の私としては、護憲派の主張は「ふてほど(不適切にもほどがある!)」と思えてならない。
もっとも、経済活動がグローバル化した現在、国際社会は相互依存関係ーー互恵関係ーーのネットワークで緊密に結ばれている。たとえば、中国と日本が経済的な相互依存関係ーー互恵関係ーーで結ばれているとしたら、中国は武力で日本を侵略しようと考えるだろうか。
かつてマルクスが言ったように、下部構造(経済関係)は上部構造(政治的関係)を規定する。下部構造がグローバル化すれば、個別国家間の武力衝突の芽も自ずから消滅し、平和がもたらされるのではないか。そんな気がしている。

*同じ記事を「ムラゴン」にも投稿しています。
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