長らく自室に引きこもっていると、ちょっぴり外の世界を覗いてみたくなることがある。けれども片麻痺の私は、部屋を出て屋外を自由に歩くことができない。そこで代わりにテレビを付けることになる。
きのうの午後のことだった。テレビを付けたら、NHKで「福祉大相撲」を映していた。始まったばかりで、ユーモラスな「しょっきり」が行われていた。その出し物の途中で私はスイッチを切り、しばらくしてからまた付けた。今度は、力士とプロの歌手がコンビを組んで唄う「ナントカ歌くらべ」の最中だった。力士はなぜか唄が上手い。充分聞くに堪える歌唱力だ。
しばらく聞き流していると、翔猿(とびざる)関が唄ったあとで、少女たちが舞い踊りはじめた。みんな一様に可愛い少女たちである。孫のような少女たちの華麗なパフォーマンスは、しばし私の目を楽しませた。
少女たちが舞い踊りながら唄う、その唄の歌詞が耳に入った。
♫もしこの世界から国境が消えたら
争うことなんかなくなるのに♫
(STU48「花は誰のもの?」)
この歌詞に誘われるように、私はウクライナの惨状を思い浮かべた。そうだよなあ。ホントにそうだよなあ。あのプーチンは、STUのこの唄を知らないのだろうか。ふと私の頭に、ジョン・レノンの「イマジン」が流れはじめた。
♫想像してみよう 国なんて無いと
難しいことじゃない
殺す理由も死ぬ理由もないんだ♫
この唄なら、いくら堅物のプーチンでも知らないはずがない。国も国境もない世界を「想像する」という「難しくないこと」が、きっとプーチンにはできないだけなのだ。ーーいや、プーチンだけではない。ヒトラーも、サダム・フセインも。習近平も・・・。
いやいや、まだまだいる。そもそも人間とは、「力への意志」にとらわれ、争いを止めることができない悲しい生き物ではないだろうか。「もしこの世界から国境が消えたら」どうなるか、ーーそれはだれもが知っている。よく分かっている。分かっちゃいるけどやめられない。それが悲しいけど、人間という生き物の性(さが)なのだろう。
♫チョイと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやらハシゴ酒
気がつきゃホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体にいいわきゃないよ
分かっちゃいるけどやめられねぇ♫
きのうの午後のことだった。テレビを付けたら、NHKで「福祉大相撲」を映していた。始まったばかりで、ユーモラスな「しょっきり」が行われていた。その出し物の途中で私はスイッチを切り、しばらくしてからまた付けた。今度は、力士とプロの歌手がコンビを組んで唄う「ナントカ歌くらべ」の最中だった。力士はなぜか唄が上手い。充分聞くに堪える歌唱力だ。
しばらく聞き流していると、翔猿(とびざる)関が唄ったあとで、少女たちが舞い踊りはじめた。みんな一様に可愛い少女たちである。孫のような少女たちの華麗なパフォーマンスは、しばし私の目を楽しませた。
少女たちが舞い踊りながら唄う、その唄の歌詞が耳に入った。
♫もしこの世界から国境が消えたら
争うことなんかなくなるのに♫
(STU48「花は誰のもの?」)
この歌詞に誘われるように、私はウクライナの惨状を思い浮かべた。そうだよなあ。ホントにそうだよなあ。あのプーチンは、STUのこの唄を知らないのだろうか。ふと私の頭に、ジョン・レノンの「イマジン」が流れはじめた。
♫想像してみよう 国なんて無いと
難しいことじゃない
殺す理由も死ぬ理由もないんだ♫
この唄なら、いくら堅物のプーチンでも知らないはずがない。国も国境もない世界を「想像する」という「難しくないこと」が、きっとプーチンにはできないだけなのだ。ーーいや、プーチンだけではない。ヒトラーも、サダム・フセインも。習近平も・・・。
いやいや、まだまだいる。そもそも人間とは、「力への意志」にとらわれ、争いを止めることができない悲しい生き物ではないだろうか。「もしこの世界から国境が消えたら」どうなるか、ーーそれはだれもが知っている。よく分かっている。分かっちゃいるけどやめられない。それが悲しいけど、人間という生き物の性(さが)なのだろう。
♫チョイと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやらハシゴ酒
気がつきゃホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体にいいわきゃないよ
分かっちゃいるけどやめられねぇ♫
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