ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

老子の君主論

2016-01-25 21:41:32 | 日記
”栄ちゃん”と呼ばれたい。

そう言ったのは、

ギョロ目で政界の團十郎と言われた元首相である。

怖がらないで、もっと親しく接してもらいたい、ということだろう。

強持てで通ったこの老人は、

老子を、――老子が統治者のあり方について言ったことばを、知っていたのかもしれない。

老子は17章でこう言っている。

「太上、下知有之。其次、親之譽之。其次、畏之。其次、侮之。」

〔太上(たいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。

その次はこれに親しみてこれを譽(ほ)む。

その次はこれを畏(おそ)る。

その次はこれを侮る。〕

(最善の君主の下では、民衆は,“君主がいる”と知るだけである。

次善の君主の下では,民衆は君主を敬愛する。

その下の位の君主だと,民衆は恐れおののき,

さらにその下の君主に対しては,民衆はあしざまにののしる。 )

選挙で選ばれる日本の統治者はともかく、

親譲りで政権を手にしたばかりの、

どこかの国の若い統治者は、これを読んだらどう思うだろうか。

彼は側近を次々と処刑してあの世に送り出し、

古参の政権幹部たちを震え上がらせた。

取り巻きの幹部たちは「次は自分の番か?」と恐れおののき、

文句も言えずに、渋々この若者の命令に従っている。

老子の評価に従えば、こういう指導者は、「上・中・下」のうちの

「下」にランク付けされることだろう。

しかし、それを知ったからといって、

彼は今の恐怖政治を改めるわけにはいかない。

恐怖政治をやめれば、彼はたちどころに

政権を奪われ、国家元首の座を追われ、その日のうちに命を落とすだろう。

「次は自分の番」なのだ。

暴君をやめたからといって、だれも「臣下に敬愛される

君主」という次のステップに上れるわけではない。

人には固有の器というものがある。

彼はよく知っているのだ。自分の器がどの程度なのかを。

そして、自分が自分の器を越えられないことも。

分かっちゃいるけどやめられない、ではなく、

分かっているからやめられない。のである。
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