”栄ちゃん”と呼ばれたい。
そう言ったのは、
ギョロ目で政界の團十郎と言われた元首相である。
怖がらないで、もっと親しく接してもらいたい、ということだろう。
強持てで通ったこの老人は、
老子を、――老子が統治者のあり方について言ったことばを、知っていたのかもしれない。
老子は17章でこう言っている。
「太上、下知有之。其次、親之譽之。其次、畏之。其次、侮之。」
〔太上(たいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。
その次はこれに親しみてこれを譽(ほ)む。
その次はこれを畏(おそ)る。
その次はこれを侮る。〕
(最善の君主の下では、民衆は,“君主がいる”と知るだけである。
次善の君主の下では,民衆は君主を敬愛する。
その下の位の君主だと,民衆は恐れおののき,
さらにその下の君主に対しては,民衆はあしざまにののしる。 )
選挙で選ばれる日本の統治者はともかく、
親譲りで政権を手にしたばかりの、
どこかの国の若い統治者は、これを読んだらどう思うだろうか。
彼は側近を次々と処刑してあの世に送り出し、
古参の政権幹部たちを震え上がらせた。
取り巻きの幹部たちは「次は自分の番か?」と恐れおののき、
文句も言えずに、渋々この若者の命令に従っている。
老子の評価に従えば、こういう指導者は、「上・中・下」のうちの
「下」にランク付けされることだろう。
しかし、それを知ったからといって、
彼は今の恐怖政治を改めるわけにはいかない。
恐怖政治をやめれば、彼はたちどころに
政権を奪われ、国家元首の座を追われ、その日のうちに命を落とすだろう。
「次は自分の番」なのだ。
暴君をやめたからといって、だれも「臣下に敬愛される
君主」という次のステップに上れるわけではない。
人には固有の器というものがある。
彼はよく知っているのだ。自分の器がどの程度なのかを。
そして、自分が自分の器を越えられないことも。
分かっちゃいるけどやめられない、ではなく、
分かっているからやめられない。のである。
そう言ったのは、
ギョロ目で政界の團十郎と言われた元首相である。
怖がらないで、もっと親しく接してもらいたい、ということだろう。
強持てで通ったこの老人は、
老子を、――老子が統治者のあり方について言ったことばを、知っていたのかもしれない。
老子は17章でこう言っている。
「太上、下知有之。其次、親之譽之。其次、畏之。其次、侮之。」
〔太上(たいじょう)は下(しも)これ有るを知るのみ。
その次はこれに親しみてこれを譽(ほ)む。
その次はこれを畏(おそ)る。
その次はこれを侮る。〕
(最善の君主の下では、民衆は,“君主がいる”と知るだけである。
次善の君主の下では,民衆は君主を敬愛する。
その下の位の君主だと,民衆は恐れおののき,
さらにその下の君主に対しては,民衆はあしざまにののしる。 )
選挙で選ばれる日本の統治者はともかく、
親譲りで政権を手にしたばかりの、
どこかの国の若い統治者は、これを読んだらどう思うだろうか。
彼は側近を次々と処刑してあの世に送り出し、
古参の政権幹部たちを震え上がらせた。
取り巻きの幹部たちは「次は自分の番か?」と恐れおののき、
文句も言えずに、渋々この若者の命令に従っている。
老子の評価に従えば、こういう指導者は、「上・中・下」のうちの
「下」にランク付けされることだろう。
しかし、それを知ったからといって、
彼は今の恐怖政治を改めるわけにはいかない。
恐怖政治をやめれば、彼はたちどころに
政権を奪われ、国家元首の座を追われ、その日のうちに命を落とすだろう。
「次は自分の番」なのだ。
暴君をやめたからといって、だれも「臣下に敬愛される
君主」という次のステップに上れるわけではない。
人には固有の器というものがある。
彼はよく知っているのだ。自分の器がどの程度なのかを。
そして、自分が自分の器を越えられないことも。
分かっちゃいるけどやめられない、ではなく、
分かっているからやめられない。のである。
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