人生に関する格言には二つのタイプがあるようだ。すぐに思いつくのは、
少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず(朱子)
この言葉なら、だれもが聞いたことがあるだろう。口うるさい親父やおふくろのお小言を思い出すなあ、とおっしゃる読者諸賢もいるかも知れない。小学生の頃によく聞かされたこの言葉の意味は、要するに、安逸に流れがちな自分の性格を改めて勉学に励みなさい、ということである。
この種の格言は、現状の自己の否定を説くものといえるが、でも、それにしてもなぁ・・・・。
我々はなぜ勉学に励まなければならないのだろう?
怠惰な自己にうち克たなければいけないのだろう?
そういう疑問をいだいた人もいるに違いない。よろしい、それはなぜかお答えしよう。それは、勉学に秀でた者が社会の勝者になるように、社会が(勉学に秀でた者によって)作られているからなのだ。そして勉学に秀でるには、安逸に流れがちな自己の、その怠惰な本性を克服する努力が必要だからなのである。
しかしこういう考えは、実は半分しか当たっていないとみるべきだろう。努力家のガリ勉が勝者になるように作られた社会でも、彼がつねに勝者になるとは限らない。むしろ遊び好きや勉強嫌いが勝者になる例も多いのではないか。
「人間の運命は、 ルール通りに行われるチェスというよりも、むしろ宝くじを思い起こさせる」と感慨をもらしたエレンブルグのような人もいる。
たしかに、ルールからすれば努力は報われてしかるべきだが、必ずしもそうならないのが人生。でも、そうならないとしたら、怠惰な自己を克服する努力なんて、する気にならないよね。そこのところはどうなのだろうか?(つづく)