ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

人間の分際!?(その2)

2015-08-14 17:17:23 | 日記
「知は力なり」とフランシス・ベーコンは言ったが、これと同様の考えから、「人間は思考することで、天災がもたらす甚大な被害を克服することができる」とパスカルは言いたいのであろうか。
 
  ウィ。イエス。

  こう考えたくなる理由がないわけではない。というのも、人類はその知力を駆使することによって科学技術を発達させてきたが、その歴史は自然の猛威を克服し、自然の荒ぶる力を制御するという意図のもとに進展してきたともいえるからである。
  治水や灌漑の技術は、自然の猛威から身を守るバリアを築こうとする自然対抗の技術だったといってもよい。
  火力をエネルギー源として使用する技の発見によって、人類はバリアの構築を加速度的に進化させ、地球というバリアに囲まれた人工の空間の中で、快適な生活を謳歌するに至った。近代の歴史を一言でいえば、そういうことになる。

 だが現代の我々ーー数年前、大震災によってフクシマの原発事故に見舞われ、大規模な放射能汚染を被って、未だその影響から立ち直れないでいる我々には、「人類は知力によって自然を支配した」というベーコン張りの言葉は虚しく聞こえる。
 人類はエネルギー源を火力から電力に、さらには原子力に求めるに至ったが、この原子力こそ我々に大きな恵みと災厄をもたらしながら、我々の知力ではコントロール不可能な恐るべき魔物であることを、我々は思い知らされたばかりなのだ。
 
 にもかかわらず、早々に国内の原発施設の再稼働を決めたどこかの国は、国民総ぐるみで健忘症か認知症に罹ってしまったのだろう。この決定に反対する国民もいたことを思えば、「国民総ぐるみで」というのはちょっと言い過ぎだが、この反対の声も、結局のところ原発再稼働を阻止する力にはならなかった。
 ともあれ、この健忘症の病原は「自信過剰」という細菌である。そういえば先ごろも、この国の政府のトップが、オリンピックを誘致するために、「フクシマは懸念されるが、海への放射能汚染を、我が国はコントロール下においた」と国際社会に向かって言い放ち、大見得を切るということがあった。この国のトップはさしたる根拠もなく自分の個人的願望を語り、虚勢を張っただけなのだが、もちろんこの楽観的願望はいまだに実現していない。
 「自信過剰」菌のもたらすのがこの程度のファルスで済むのならまだ微笑ましいが、これが第二のフクシマをもたらすとしたら、事は重大である。
 
 フクシマの大惨事をもたらしたものが「知は力なり」というベーコン張りの思想であること、その陰に潜んでいるのが「自信過剰」菌であることを、パスカルは見通していたように思える。(続く)
コメント
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