「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

織田信長、本能寺の変の真実!(三職推認の話もあるよ!(笑))

2011年11月03日 | ドラマについての小ネタ

まあ、昨日の記事に関連するんですけど、

「信長は、平清盛の子孫だ!」

って、してたんだってね?


つまり、信長が、平清盛を名指ししていたわけだから、やっぱり、信長の意識の中に、

「俺は、今の時代の平清盛になってやるんだ!」

という気持ちがあったってことが、容易にわかりますね!(笑)。


平清盛ってひとは、血の権力の時代に、

「実力」

で、成り上がったひとでしょう?


藤原家を中心にした血の時代が、終りを告げはじめ、

というか、具体的には、人材が枯渇してきたってことだと思うんだよね。


「悪左府」と呼ばれた藤原頼長なんかが、同時代にいるわけだけど、

このひとは、

「日本一の大学生」

と呼ばれるほど、ひたすら勉強した博覧強記なひとなわけですよ。

こういうひとは、自分に厳しいもんだから、ひとにも厳しくなっちゃう。

まあ、とにかく風呂に入っている時も、ひとに漢詩を読み上げさせて、暗記したってくらいすごいひとですから、

「それくらい当然だろ」

と思っているわけで、ひとにも、厳しいんですよね。


そりゃあ、周りは迷惑しますよね。


それにこの頼長は、男、特に政敵なんかとも、寝ちゃったりするわけで、

そこらへん快楽に対しても「徹底的」。

まあ、政敵を政敵にしない、という安全保障的な意図もあったと思うんですけど、

少なくとも、周りは、ついていけません。


そんだけ、すごい、イッちゃっている人間が出てくるから、

「血の限界だ!」

と権力者側である、天皇家なんかが考えちゃった、ということにつながるんでしょうね。


だからこそ、血ではなく、実力が尊ばれていった、清盛の実力が、他を凌駕していたからこそ、

「実力で天下をとることが出来た」

という現実につながっていったんだと思います。


それを信長は知っていたからこそ、あの時代、

「俺は現代の平清盛だ」

と確信していたんだと思いますね。


貿易の利潤を背景に実力を伸ばし、太政大臣という位人臣を極めた。

信長は、平家を名乗った時、この清盛の成功モデルを自分に当てはめようとしたことは、明らかですよね。

実際、信長も、堺を押さえ、商人達と結託して、織田家の実力を伸ばしていて、清盛のあり方に非常に酷似している。

であれば、信長は、清盛と同じように、最初、太政大臣を目指した、ということになります。


天皇家の権威を背景に、実力で、天下をとる。


これが、信長の、当初の成功モデルだったんですね。


そして、天皇家の権威を権力装置にして、自分は実力で他を牛耳る。

まあ、実際、信長は、天皇家より実質上の神の位置にまで、自分を高めてしまいますけどね。


安土城の真下に大極殿と同じ建物を建てたわけですから、ビジュアル的にも、天皇家より実質上である、と庶民に見せていたわけですからねー。


だから、そうなってくると、もう、太政大臣とか、征夷大将軍とか、関白とか、天皇家より下の位は、どうでもよくなるわけですよ。

まあ、パスポートとして、もらうなら、太政大臣か関白だったでしょうね。


だって、信長の、天下布武の精神は、昨日の記事にも書いたように、

「血ではなく、武で天下をとる」

ですから、血による天下とりのパスポートである征夷大将軍には、ならないんですよ。


だから、秀吉は、関白をもらって天下に君臨する形をとったんじゃないですか?

信長のやり方をほとんど取り入れた秀吉ですから、そこから、信長の考えていたことも見えてくる。


だから、信長的には、

「血による支配は時代遅れだ。だから、征夷大将軍なんて、時代遅れの支配なんだ」

「武による支配が今の時代重要だし、権力の担保は、天皇にやってもらえばいい。俺は天皇より実質上なんだから、太政大臣というより、天皇の代わりになって」

「政治を行う関白こそ、ふさわしい・・・あるいは、新しい形をつくるか・・・」

と思っていたのが、だだわかりじゃないですか。

 

秀吉が、豊臣家という新しい家を作って、関白になった、その行為から信長の意図が見えてくるわけですよ。

 

だから、三職推認問題も、そう見てくれば、

「信長の意識は、すでに三職を超えている。神として天皇より上に立とうと考えていた。だから、もはや、三職なんかいらない、と考えていたのが信長だ」

「だから、三職推認は、朝廷側から、信長を手なづけようと提案したものだとわかる」

ということになるわけです。で、信長は、その使者を無言で返したわけですから、朝廷としては、もう打つ手がない、という閉塞感が生まれるんですね。

だから、朝廷は、信長を怖がったんですよ。もう、アンコントローラブルに陥っていますからね。


それが本能寺の変につながった、と容易に考えられます。

「信長を怖がった朝廷は、「信長は、いずれ公家システムを破壊するのではないか」と考え、「信長はん。天皇さんを殺す気違いますやろか?」」

「「信長はん、天皇制を破壊する気やおまへんか?」と明智光秀にささやき、信長を殺させた・・・」

こういうストーリーが推察出来るのですが、いかかでしょうかねー。

 

だって、明智光秀は、かみさんや部下にやさしい武将だったんでしょう?

そのかみさんと部下を殺してしまう結果が容易に想像できる信長殺しは、

「かみさんや部下以上に大事な物を守らなきゃ!」

と光秀が考えていたってことが、だだわかりじゃないですか?

よくそこで、

「足利義昭に指令されたのだ!」

という案が出てくるけど、足利義昭は、もう過去に明智光秀から切られているわけです。

だから、もう、そういう選択はしないわけよ。明智光秀は。

となれば、光秀は、将軍より大切な、人間を守ろうとしていた、ということになって、

「天皇家を守らなきゃ!」

っていう意識だったことが、だだわかりになるわけです。

だから、上のようなストーリーが見えてくるわけです。はい。

 

ま、僕はそう思いますけどね。


まあ、なんか、いろいろまとまりました。


そんなところが、信長ストーリーの結論なんじゃないでしょうかねー。


文化の日に、ちょっとは、文化的な話も出来たかな(笑)。


ではでは。


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