「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

坂本龍馬の人生が、教えてくれるもの。(憎しみからは何も生まれない?)

2010年11月23日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

いやあ、お昼間カフェ本日2本目ですけど、

まあ、超朝進行でもあり、さらに朝早く起きすぎちゃった、ということです。はい。


まあ、せっかくの休みだし、龍馬伝最終週なわけですから、今週はおもっそ龍馬伝とそのあたりについて

いろいろ考えてみようと思っているんですけど、一本目で、坂本龍馬を否定しちゃったからなー。

まあ、実はもうひとつ、気になっているあたりが、あるので、そのあたり、書いてみますかね。


というのも、

「憎しみからは、何も生まれない!」

というこの言葉、まあ、龍馬伝の2つあるテーマのひとつですね。

「上士と下士のない国づくり」

の方は、まあ、いろいろな階級がなくなる、と龍馬が言っているので、

そのあたりで、表現したんでしょうけど、

「憎しみからは、何も生まれない!」

というテーマについては、表現できたのか?

と思っているわけです。


っていうか、龍馬がひとりで、憎しみを産みまくっているように見えるんだよね!


彼は確実に、みんなから、嫌われているでしょう?


本来、長崎の商社連中も、龍馬が、戦争をしない形で徳川に政権返上させる、とほざいたもんだから、

「商人の敵」

みたいな表現がされていたのに、最近、グラバー達、おかしくなっちゃっているから、まあ、龍馬の味方みたいになっているけど、

実際、やっぱり敵だったと思うんだよね。


それ以外にも、薩摩も長州も、慶喜やら徳川幕閣も、みーんな龍馬を憎んでる。


「憎しみからは、何も生まれない」

とか、うそぶきながら、その状況をつくりあげているのは、龍馬なんだよね。龍馬ただひとり。


だから、龍馬は殺されちゃうわけですけど、ここで言うテーマとしての言葉、

「憎しみからは何も生まれない」

っていうのは、

「憎しみあっていると、いつか戦争になる。平和の尊さを考えれば、戦争は絶対したくない。だから、憎しみあっては、いけない」

ということを言おうとしているんだと、思います。まあ、昨今、この言葉が、聞かれるのは、

世界的に戦争が継続されているからであり、特に反米主義者とアメリカとの戦いについて、

「憎しみからは、何も生まれない」

として、戦争を回避する努力の象徴みたいな言葉になっています。


でも、憎しみだけから戦争が生まれるわけじゃないんだよね。


例えば、今日書いた記事の中で、山県有朋のことを取り上げて話していますけど、

山県有朋が、薩軍を憎んでいたかと、言えば、憎んじゃいないんですよ。

彼は西郷隆盛に私淑するところ、大きくて、

西南戦争の最末期、西郷が鹿児島の城山に立てこもる中、政府軍の総攻撃前に、西郷に書簡を送っているんですよね。

「名誉の自殺をしろ」

と。それが、大西郷の名誉のためだとして。

彼が薩軍を滅ぼしたのは、太政官政府を守るためでした。

仕事として、守りたいもののために、戦ったんですね。


まあ、西郷は別として、薩軍の人間も守りたいものがあったんだと思います。

元々は、西郷が暗殺されそうになったから、西郷を守り、薩摩を守るために、決起したという側面が非常に大きい。

何かを守るために、立ち上がる。それが日本人でしょ?

欧米人みたいに、お金を稼ぐために戦争する、という、そういう思考とは、ちょっと違うでしょ?


憎しみから戦争をする・・・そんなの、低能な戦車兵程度の思考ですよ。司馬遼太郎レベルのね。


確かに、第二次世界大戦で、鬼畜米英ということばをつかって、米英軍を一般の人間に憎ませた政策がありました。


でも、それは、守りたいものが、守れないかもしれないから、憎むのであって、先に憎しみがあるわけじゃないんですよね。


日本人の武士道には、何事も感情的になってはだめだ、という教えがあります。


そうなると、普段の力の10分の1も出せない、と説明されているんですね。


感情からは、離れて、平常心で、物事をなせ、と言われているわけです。


だから、憎しみなんぞ、もつな、というのが、日本人の古くからの教えなんですよね。


つまり、日本人の武士道から、言えば、憎しみなんぞ持つこと自体、レベルの低い行いなんですよ。


だいたい、山県有朋をまた例に出しますけど、戦争を遂行するときに、感情的になるなんて、愚の骨頂ですからね。


理性的に、策を考え、粛々と遂行する。


それが上策です。


だいたい、人前の公の場で、感情的に取り乱したり、怒ってみたり、なんてする人間は、それこそ愚人ですからね。


まあ、今の官房長官は、そういうひと、みたいですけど(笑)。まあ、それはいいや。


そういう精神文化がある日本において、戦争を遂行する側は、山県有朋のように、理性的に粛々と作戦を実行しているに過ぎないんですよ。



だから、憎しみがあるから、戦争が起こる、というのは、高度な精神文化を持つ、この日本においては、愚人の戦争感なんですよね。



つまり、個人の暴力程度の話なんですよ。


憎しみがあるから、他人を殴る。


その程度。


戦争は決して憎しみから起こしてはならないし、それをやるのは、愚者だけだ。



ということは、ですよ。


「憎しみからは、何も生まれない」


これは、言葉通り、何も生まれません、ということしか意味がない、ということになる。


あるいは、


「憎しみからは、個人間の暴力沙汰が起きる場合がある。でも、それは愚かなこと」


程度の話ですよ。戦争につなげちゃ、いけない、ということになるんですね。



つまり、


「憎しみなんか、もつような人間は、愚者だ」


という結論になっちゃうんですね。だいたい、憎しみなんて、この日本で普通に生きていたら、あまり持たなくてもいい感情です。


嫉妬や、羨望から、生まれた憎しみなんぞ、持つような輩は、ほんとに愚者ですもんね。


親を殺された、愛するひとを奪われた、憎しみはそういうところから、始まる。


だから、そういうことが起こらないように、賢く生きることが、必要って・・・愛するひとを奪われるのは、賢く生きても無理か。


だから、恋愛についても、うまく愛するひとに、愛されるように、生きなきゃいけないって、ことですね。



ということは、愛されるような人間になれってことかな?最終的な結論は。



愛されるような人間になれば、憎しみから、遠く離れた場所にいることができる、ということでしょうね。


もちろん、皆から愛されれば、憎しみから、離れられる。


これ、今の龍馬とちょうど逆なんですよね。おもしろいことに。


まあ、愛されることって、憎しみの逆ですから、当たり前なんですけど。


だから、龍馬のようになっちゃいけないってことじゃないですか。一部の人間のみ有効な正義なんてのを押し通すようなことはしちゃいけないってことでしょ?



時代にあった正義、その時代の人間の多くが共感する正義を、実行せよ!



そういうことになるんだな。いわゆる、時代にあった、最大多数の最大幸福を正義とせよ!ということになるわけで、はー、マイケル・サンデルさんの講義みたいだなあ(笑)。



時代にあった、最大多数の最大幸福を読み取り、それを正義として実行すれば、皆から愛されるし、憎しみから離れられる・・・か、と言うと、そうでもないんだよね。



正義を実行してしまうと、必ず、その正義とは違う正義を信条とする人間に憎まれるからね。



だと言って、手を拱いているのも、どうもねー、というわけで、このあたりは、



「自分の信じる、最大多数の最大幸福を与える正義を実行する」


か、


「何もせず、傍観者になり、憎しみからの回避をひたすら願う」


か、どっちをとるかだね。


正義を実行して、世の中に認められるか、傍観者になり、一般のひとのままで、いるか。


これについて、どういう結論をだすのかは、その人間の強さや性格に依存することになるでしょうね。


いずれにしろ、そのあたりが、偉人になる人間と、一般のままの人間との差になるんでしょうね。



「出る杭は、打たれる」


という言葉がありますが、僕はこれをこう解釈します。


「出ないと杭は打たれない。打たれないと進化、成長しない。進化、成長したければ、ガンガン出るべき。その後には、大きくなった自分がいる」


だから、成長を志向することこそ、善だと、僕は思っているんですけど、それだって、怪しいもんです。


何が正義なのか・・・完全無欠な正義なんて、ありはしません。


大事なのは、今の時代にあった共感をもたれる正義とは、何なのか、それを考え続けることだと、思います。


そして、自分がその正義を行使しなければ、ならない立場に立ったとき、粛々と、感情的にならずに、実行できるよう、準備しておくことだと思います。


そのためには、日々考えることですね。



現実に目を移してみれば・・・少なくとも、今の政権が、日本人に共感を持たれていないことは、確かですね。


つまり、彼らは愚者だ、という結論になってしまうわけです。そして、民衆に共感を持たれない正義を実行しているものは、その先、どうなるか。


一部の人間のための正義ばかり実行していると、どうなるのか。


坂本龍馬の人生の結果が、それを教えてくれているのだと、思いますね。




長くなりました。


ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう。


ではでは。



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