ある夏の夕方、雨が降るにも関わらず公園で本を読み続ける少女に傘を差しだす青年。「家に来る?」という青年の言葉に従い、彼の家に行き、自然な笑顔を見せる少女。身を寄せる伯母の家に「自分の居場所がない」という少女の言葉を聞き、彼女を自分の家に居続けさせる青年。その時、少女10歳、青年は19歳だ。
その夏、少女は誘拐事件の被害者となり、青年は誘拐犯となった。
自分の秘密を話すには少女は幼く、青年は死んでも隠したい秘密を心に抱えているのだ。秘密を抱えたままの二人の心を、周りの第三者は受け入れられない。二人にしか分からない感情を説明する術を持たない二人を、周りが理解するにはたくさんのフィルターがかかりすぎているのだ。
それは15年後、二人が偶然に再会してからも一緒だった。恋人から、可哀そうと思われる彼女と、こだわりのカフェをひっそりと営む青年。
加害者にされてしまった青年が幸せそうに過ごしていることを喜ぶ彼女だが、彼女の恋人がそんな彼女の変化を敏感に感じ取った事から少しずつ二人の周りは騒がしくなる。
自分たちの感情はどこまで説明すべきものなのか、第三者は果たしてそれを理解しようとするのか、そして、そもそも自分たちも自分たちの感情をどこまで理解しているのか。
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二人の感情を理解するには、やや情報量が足りないようにも思う。しかし全てを言葉やエピソードで説明するには無理があるのだろう。そこは景色や二人を映すアングルやセリフの間合いで想像するしかない。それらを最終的にどのように咀嚼するのかを考えながら映画館を後にする。
広瀬すず演じる女性の、時々見せる諦めたかのような表情と、はっとするようなストレートな物言い。松坂桃李演じる青年のやさしさを見せながらもまだ心の中に何か隠している様子。そんな重苦しい表情と様子が続く中で、二人が暮らす街の風景はどこかとても透明だ。
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追記
李相日監督のインタビュー記事を新聞で読む。
「渦中にいる人とそうでない人の間には壁がある。事実と真実の壁はインターネットで高くなり、壁は高いが垣根がない世界は自分がどちら側になるか分からない不安がある」という事が語られていた。「他者を拒絶する壁は高く、短絡的に白黒をつけるが、世の中の大半はグレーではないか・・・」と話しは続く。