バラの季節。本当に久々に猫以外の写真をとった。
いつも朝起きるのがつらいから、土日ぐらいゆっくり寝ていたいのに、アメ太がミミにちょっかい出すので、ミミのギャーッという声を何度か聞かされて、やむなく起きるはめに。ほかに3匹いるのだから、そっちにちょっかい出せばいいのに、なぜかミミを追いかける。ミミに強烈な悲鳴を浴びせられ、それで私に怒られるのにもめげず、やっと私が追いかけて初めてミミの元を離れ逃げていく。この繰り返しが一日に何度も続く。
アメ太は私の声はまったく無視、私が追い払うという行為をしなければ、絶対離れない。で、、そのすばやく逃げるアメ太がまたなんともかわいい。一応逃げるけど、その後平気の平左でまた繰り返すのだ。これをあきらめないという言葉に言い換えれると、人間ならものすごいものができあがっていると思う。アメ太のミミを追いかけるという行為はなんの足しにもなっていないけどミミのダイエットにはなっているかな。だいぶやせたから。ミミにもストレスになっていそうだけど、なぜかミミは意外とのんびりして見える。
朝起きたとき昨日新聞で読んだ福島智さんのことを考えた。9才で失明し、18才で聴覚を失った。何もしなくていいから、生涯面倒を見てあげるからと言ったお父さんの言葉に、「僕は人形ではない」生きたいんだと言って、大学に入学し、今は東大の教授になっておられる。福島智さんも信じられないくらいものすごいけど、お母さんもサリバン先生以上に偉大だと思った。サリバン先生は少なくとも自分の子供ではないから客観的に接することができたかもしれないが、お母さんはまず、自分の子供の苦しみに身を削られるような苦しみを感じたに違いない。
そのつらさに打ち勝って、指でコミュニケーションをとる方法を生み出したというからお母さんなしにはこれだけの成功はありえなかったかもしれない。
よく、神は耐えられない試練を与えない(God will never give you more than you can handle )とよく言うけど、きっとそんな単純なことではないのだろう。なぜなら、耐えられなくて命を絶つ人もいるのだから。試練に立ったとき人は自分の力でなんとかしようと試みる。そこがまず大前提に必要なのである。そしてその試練があまりに巨大なとき神(または偉大なる何か)に力を貸してくれと祈る気持ちが生じる。神は自らたすくるものを助く(God helps those who help themselves.)ともいうしね。私にとっては逆境をたくましく生き抜いている人が何にもまして人生の手本であり、勇気をもらう対象である。
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