Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

今年は5年分生きた気がする

2009-10-01 00:51:36 | 日記

山歩きが好きな父は死ぬとしたら山でだろうなんて漠然と考えたことがある。

「大変なことになった」という兄の真夜中の電話に恐怖で息をのみ、「父さんが山で遭難した」という言葉に頭が真っ白になった。 それも、一緒に行った友人に置き去りにされたということだ。父の車で行ったのに置き去りにされたとはどういうことだ。信じられない。ライフラインである自分の車を乗り去られたらどこに帰れるのだ。あの道なき山に置き去りにされたらどうなるのかまともな神経な持ち主なら簡単に想像がつくだろうに。 それも母が電話して夜7時半にその事実を知ったということだ。父の車が父の家にももどらず、心配した母が友人宅に電話してはじめて父が山にいることを知らされたという。 兄はさっきさがしに行ったけど、だめだったという。警察には朝まで待つように指示された。しかし、私は車をおいたその場所で夜中ずっと待て、何もしないでいいからただその場所で待てと兄に叫んだ。一生のうちの8時間、ただ8 時間それができないで帰ってくることがどうしてできると叫んだ。一生後悔するよと。

義理の妹があの山はとても夜人がいけるようなものではなく二次災害を引き起こすから無理だと私をなだめる。友人が山を出たのは3時半ときいた。それから7時半までの行動をどう説明されても納得できない。

私は喪服をもって翌朝一番で新幹線で実家に帰ろうと思った。縁起でもないと思うかもしれないが、田舎の夜は寒い。こたつとヒーターをすでに使っているくらいだ。ましてや山で軽装ででかけた父が、山歩きに慣れている父が行方不明となったら私には恐ろしい結末もありうると思った。

もし、何か事故で死んだとしたら、短い苦しみでおわってますように。さんざん一人で夜中中恐怖と不安に襲われて、挙句の果ての結末ではないようにと祈った。

そう思いながらも一方では、今まで救急車で何度か病院のお世話になった数々の病気もちの父親がそう簡単に死にはしないような気もした。でも、暗い寒い山に一人取り残されていることを想像しただけで、かわいそうだった。

新幹線で一番乗りはやめようと思った。生存を確認してからでもいいと。

よくニュースで行方不明になった人のことを「○○は生きていると信じています」なんて言葉を聞くけど私だったらすぐ最悪を想像してしまいそういう言葉はでてこないと思う。

疲れたので続きはまた後日。


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