ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

新潟市ジュニアオーケストラ教室 定期演奏会 無事終了しましたぁー!!

2020年08月31日 01時43分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!!

本日のお宿はこちら!


やたら広いです(笑)1人ですけどねッ。


いやー、本日、皆様のお陰様をもちまして、、何とか無事に、、、いやむしろかなりの良い感じで、新潟市ジュニアオーケストラ教室の定期演奏会を終えることができました。


昨日、いろいろボヤいてもがいてましたけど、結局は子どもたちのナイスファイトでいい本番になりました。

スイッチ(やる気スイッチ)は本当に直前まで入ったり切れたりで、おそらく私に何か子どものテンションをあげたり下げたりする要因があるに違いない…とは思えども、、、

そーは言っても、結局さー、

自分のことすらコントロールできないんだから、人のことなんぞコントロールできるわけがないッ(笑)

本当、そういうことですよねー。

「本気で弾きなさい」


なんて言うのは簡単だし、イメージ上は元気に弾けば良いだけじゃん?って感じだけど、

じゃーお前できるのかー???って言ったら、

元気いっぱいに弾く(吹く)のって、簡単なようで、そうでもないんだよねー。

子どもの頃は確かに思いっきりとか吹けた気はするんだけど、さりとて、思いっきり吹けるってそれはそれで、結構ワザだよね。
どこかに心配があれば思いっきりとかできないからね。

って分かってるなら、無理言うなよ〜(笑)ってところだけど、

結局は元気な心と体ってヤツ。


で、直前まで何かしら楽しくなるような例えを出したりして、

「ジャイアンの気分で演奏するとさー」とか(笑)

そしたら、びっくりするくらい、良い音がしたりして。

でも、そういうのってピンと来た時にしか使えないワードで、応用とか効きそうで効かない。

細かい練習はこれまで繰り返しやっちゃったから、直前にそこへ戻したくないってのもあって、、、

いつもなら、直前まで重箱の隅をつつく練習をするんだけど、

なんだか、「音楽ってそういうことするモノなのか???」みたいな、一周回りすぎて、考えがまた一段とアバウトになったような。。。


ギリギリまで細かくブラッシュアップするってのは、大事な作業だって思うし、そういうことも今までやってきたんだけど、

どうしちゃったのか、そういうことが音楽の本当の価値なんだろうか??みたいな考えがモヤモヤ出てきて、まずは「自分はここにいるよー!!!」「私(僕)という人間はこうやって生きてますよー!!」と高らかに宣言する…そういうモノなんじゃないか??みたいな気持ちがしてきて、

細かな技術とかテクニックとか、そういう方から入っていって、うまくなることよりも、「大きな音を身体をいっぱいに使って出す!!」ってのができてから、次第に細かくまわりとの協調とか表現とか…そういうのができるようになっていくのが良いんじゃないかって思ったりして。。。


でも、もしかしたら小さい子の方が音も小さいだろうから、段々とスケールが大きくなるって考えて、最初は細かく繊細に小さい音からだんだんと大きくしていく、って方向も、もしかしてそっちの方が推奨されてるのかもしれない。。。


でも、小さい子って、基本的にはそういう感情の機微とかってよりは、もっとシンプルなんじゃないか???


いや、、、子どもの方が繊細だから、そうじゃないでしょー。。。


結局、自分で書いててもどっちから行くのが良いのか分からないんだけど、個人的には元気いっぱいで音を出すのが先って方がいいなーとは思う(ようになってきた)。

だから、何も制約なしに、音を出すことを楽しんで欲しいなー。

で、その楽しんでるモノが徐々にシンクロして、大勢の「楽しいぞー」が大きな塊になったら、すごい素敵だなーって。


だから、あんまりあれこれ制限を設けたくないな…なんてね。


注意事項が増えれば増えるほど、子どもは頭で考えちゃうだろうから、それがなんかヤダなみたいな。


体で覚えさせるのは良さそう。

言って聞かせるってよりは、何回もやって体に入るようにする。で、自分で気がつくといいなー。。。


まぁ、そんな風に思ってたんだろうな?

ああ、眠くなってきて、そんなことを書いてしまってるけど、


そう結局、本番でスイッチが入った子どもたちは、ちゃんとこっちを見てるし、一生懸命1つの音楽の流れを繋いで行ってくれた。

人任せにしてどんどんテンポがだれたりすることなく、ぐいぐい自分たちの音楽を出してくれて。音もしっかりといい音をたくさん弾いてくれてましたぁー。

なんだなんだー???こういう演奏できるんじゃないかー!!すげーなー。

子どもたちのおかげで、最高に楽しい時間を共有させてもらってます。

可愛い子たちよ、ありがとう!

次はクリスマス会に向けて頑張ろうー!!


そして、B合奏!なかなかの力のこもった演奏でした。。。ちょーブラボー!!

トランペットも2人であれだけの曲をこなすのはなかなか辛いに決まってるのに、先生(え?私ですか・??)がトラを読んでくれないから、もー2人でめっちゃ頑張りました。これからさらに楽しくトランペットが吹けるように、育ててやらねばのーぉ。

うんうん。。

あー、いかん書きながら時々寝てます(笑)

それにしてもスプリングコンサートがなくなって、首都圏からの来県ってのにいろいろ注文が付いた時期もあったりして、そんな日々を乗り越えて、今日に漕ぎ着けました。

りゅーとぴあからの電話が鳴ると、

ん?ひょっとして、県の基準が変わって、県外はダメとかになってやしないか??とドキッとしたりしましたが、毎回ちゃんと定期の準備のための電話で、そのたびホッとする。

今回は、子どもたちとここまで頑張ってきたから、なんとしてもやりたいなと思ってたので、できて本当によかった。

で、コンサートは自分としてはときどきあるわけだけど、今日久しぶりにりゅーとぴあでのコンサートって時に、

物凄い人数の人の活動&サポートがあって、初めてコンサートができるってことが、めちゃくちゃよく見えました。それはメンバーの中の係とかであってもそうだし、事務局もそうだし、またステージの担当やレセプショニスト(客席のドアの管理と、お客さんの誘導)さんもそうだし。

OBやOGにも助けてもらいました。ありがとうー!!



☆最後に撮った、ジュニオケみんなの写真💕を追加で入れときまーす。9/1


あー、いろいろ書きたいけど、もう脳みそが、、、笑


こんな時にも、聞きにきてくださったお客様、メンバー、そして裏を守ってくださった方々、B合奏の永峰先生、また単科や分奏の先生方、そして事務局、保護者会、、、みなさんありがとうございました。ホントにありがとうー!!!

さー、もう限界なので寝るもんね。また頭がしっかりしてるときに思いついたら書きますねー。


あ、生徒がくれたお菓子。よーく見たら、、、、

なんか嬉しいねー。



それではみなさん、また明日ー!!

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いやー、、、手強かった、、、汗

2020年08月29日 22時34分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!!

いやー、、もう1時間昼寝しました、夜だけど。

なんか魂が抜けたので、6時にホテルについてから、1時間寝て、むっくりと復活して、ご飯を探して彷徨うこと30分、、、

なかなか素晴らしく美味しいお弁当に巡り合うことができ、都度調理らしく15分待ってゲット。ホテルに戻ってひきわり納豆汁と共に頂きました。めっちゃ美味しかったよ、表紙の写真のヤツね。


いやー、、、、ホント。今回は、上手くいかないという可能性はあれども、本気を出さないという選択肢はないと勝手に思ってたので、なかなかなパンチ力でした。


って、何がって???

子どものやる気スイッチ、、、笑

子どもたちにとって初めてのりゅーとぴあでのホール練習なので、ある程度テンパることは折り込み済みでしたが、ずーっと魂を抜き続けるとは思わなかったので、自分にやや自信がなくなっております。


がー!!!

いつもの感じで行くと、リハがうまく行きすぎると、それはそれでダメなので、これはある意味良い兆候かもしれない、、、とも思ったりする。。。。


なんか下手に、いろいろ勉強しすぎて、あれこれ伝えたいことはあれども、まずは体のエネルギーを楽器に乗せられる状態になっていないと、なかなか何も始まらないってわけだったりして、、、


同時に、あまり「ああしろ、こうしろ」とか言った結果できるのとか、面白くないな、、、と思ったりして、何かが芽生えるのを待ってみたりもしたけど、普段そこそこやれてる子でも、少しホールに萎縮してる感じだし、普段こっそり弾いてる子は、完全に泳いでるし。

私としてはさー、

ちょっとくらいめっちゃくちゃでも良いから思い切って弾いて欲しいんだよね。。。


と書いて、おおお、この言葉には2つ解釈しようがあるな、、、と気がついた。


本当にお構いなく周りのタイミングと関係なく雑に弾く子がいるなーっと思ってたんだけど、

もしや??

私のイメージとしては、自分の音聞いてくれー!!!みたいな熱い感じという意味でちゃくちゃでも良いと思ってるんだけど、本当はちゃんと弾けるんだけど、ガサツに弾くってことだと思ってたりするのかな???

そうだとしたら、言葉が足らずだぁ、、、


まぁ、その辺の感じとか、まだノリでできることがあるっていうレベルなんだよね、、、これからだ。

それにしても、自分が子どもの頃なんか、周りに聞かれようがなんだろうが、関係なく、ホールで音出せるー!!わーい!!みたいな気持ちの方が大きくかったけど、今の子たちは、そこにすでにロックが掛かってるって感じがする。

音と自分と声って多分、一緒なんだよね。

自己肯定感があれば、オリャーっと音を出して、わーい!!!楽しい!!ってなるんだろうけど、

難しいフレーズとかじゃなくて、単に1音バンっと弾いてみてーっていうのでも躊躇するって感じだから、なかなか根が深い。。。


あっちこっちで音出してきて良いよーって言われたら、ちょっとくらい悪ふざけしてくりゃーいいのになー。。。。


まぁ、そんなことを言っててもしかない。

はてさて、どうしようかなー。明日は踊ったりしてみるか???

今日、もうこれ以上やってもしょうがないなと思って、みんなで、アフリカンコンセプトやって遊びました笑

そしたら、それはめっちゃ面白いらしくて、わーわーやってた。

で、なるほど、タイム感をゲームにして練習しよう!と、

私が先に叩いた、めっちゃ簡単なリズムを次の人にパスしていく、、というのをチーム対抗でやったんだけど、

オーノー!!

なーるほど、、、


ただの8分音符4つでもずーっと繋がるってのが、できないもんだねー。

タイミングがズレたり、テンポ速くなったり遅くなったり、テンポが途中で走ったり。。。

それをやってて、むしろ、今までどうやって楽器やってたんだろ??というのが不思議になってきた(笑)

というか、楽器を習っちゃったから、リズム音痴みたいになってるのかなー???


スキップも何割かの子しかやったことないし、バスケットボールはやらないっていうし、遊びが「おしゃべり」とか「ゲーム」とかなんだよねー。もっと遊べばいいのになー。


まぁほんと、めっちゃいい音で、めっちゃいい感じで演奏できる時もあるのでそれを本番にどう引き出せるか、が勝負だなー。

どれだけ、自分が「自分」(頭じゃなくて)にいられるか、子どもと一緒にやれるか、やらせようとしすぎないか、、、だな。。。

頑張ろー、オー!!

よし、もう寝よう!それでは皆さん、また明日ー!
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先輩ミュージシャンからのお言葉、、、←さっきタイトルつけ忘れたので再投稿(笑)

2020年08月28日 18時46分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
人生の先輩で、仕事仲間でもあるある某ドラマーに3年前に言われた言葉がメモから出てきて、

久々にもう1回頭をぶん殴られたので、シェアします(前回間違って『シャア』しちゃったので、今日はちゃんと『シェア』するもんね(笑))


☆☆☆☆☆



太鼓はただリズムがちゃんとしてればいいんじゃない。レッスンならそれでもいいが、人を鼓舞しなくては意味がない。

音楽は2人称。相手があって何かを伝えて初めて成立する。楽器が好きで1人でやってるのは、アマチュア。

アメリカはヘッドを鳴らす。タッチで変える。マレットは3種類。
ドイツはおカマを鳴らす。叩き方の基本は同じ。マレットを変える。

1音ずつメロディのように、喋るように。

頭の中にハッキリ音があって、あとは叩いてみて、その音にする。細かなセオリーに振り回されない。

思った音がどうすれば出るのか探すのが練習。


以上でーす。
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楽器のレッスン、、、なーるほどぉ、、、

2020年08月28日 11時56分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
おはようございます。本日の表紙は昨日書いた絵手紙(笑)
20年近くぶりに描き始めるのだーぁ。


ところでー!!

楽器のレッスンってところで、いろいろモヤモヤしてたことを自問自答してみたので、よかったらお付き合いくださいー。

昨日のレッスンの振り返りをしてて、何かレッスンが楽しみで知らんけど練習してしまうなー、、、みたいにならんもんかね?とか、

ついつい「ここを直したらもっと良くなるだろうよ!」というところを注意してしまうので、何だかダメ出しばかりみたいになっちゃうなぁとか、

せっかく何かしらその生徒の基準で前回から頑張ってきた何かがあるだろうけど、そこはさておき良くなってないところを注意されるんじゃー、テンション下がるかなぁ、、、とか、

やっぱり「楽しく演奏する」ってのが一番お客さんにも伝わるだろうし、そこは大事でしょー??でも、じゃあ楽しさを追求すると、レッスンではどうするのが良いの?とか、

そんなことをいろいろ考える訳ですけど、


うーん、もちろんレッスンで生徒がチャレンジしてみたくなるような課題を出し続けるってのが、理想的ですし、進歩が認められる部分(それが課題として出したところじゃなくても)は、大いに褒めるのが良いと思いますし、


そう思いつつ、例えば技術というよりは「ニュアンス」であったり、リズムの「キャラクター」であったり、「音色」「音程」「役割」など、

そう簡単に出来るようにはならないんだけど、大事なところ、、、ってのがめっちゃあって、

そこが結局何度も何度も繰り返しダメ出しポイントになってしまう…

でも生徒はそう簡単には理解できないから、???がいっぱい出たり、分からなくなって不機嫌になったり、無力感を感じたり、、、、


まぁ、そういうことになったりする。

で、分かりやすく取り組みやすい、としたら、テンポとか音域とか、そういうのは分かりやすい。ちょっと難しめなフレーズとかパターンとかも分かりやすい。


まぁ、そうすると達成感は得られるし、分かりやすいから良いね、、、と思うけど、

音楽ってそういうヤツだったっけ??みたいな気持ちにもなってくる。


楽器の扱いを教えるのが実技のレッスンじゃないですか?!という風に考えちゃえば、そーですね。。。じゃあ、楽器が思い通りに操れるってところが主体か、、、って思ったりもするけど、


逆に、本当は「音楽」ってモノが主導権を握ってて、「これを演奏したい!!」とか「この気持ち聞いてくれー!!」って方が本来的じゃないかな?と考えると、楽器の操り方から教えるってのも、、、



というところで、


ははーーーーん。。

楽器を演奏するって時に、何で演奏するの???ってところ。。。


単純に、「音が出ると楽しい!」「大きい音が出てスッキリする」


みたいなパターンと、


「この曲をやってみたい」「こんな音を出してみたい」「この気持ちを届けたい」「あんな風に演奏したい」


みたいな場合があって、、、


そこをまず大事にしたい。

それで、じゃあレッスンって何ですか?ってなった時に、


朝浮かんだビジョンとしては、

教えてるこちらが気付く「大事なポイント」と、生徒に見える「ポイント」はズレがある。というか、その段階(レベル)ごとに見えるモノ(深さ)が違うから、認識できないレベルのものをいくら言われても、認識できないからどうにもできない。

でも、何かを教えて伸ばそうと思ったら、その「大事なポイント」は見過ごせない、、、


うーーーーん!!!難しいじゃないかぁー。。。


あ!!!そうか、

楽器を技術の方からだけ伸ばそうとすること、
それに音楽の周辺についての理解のレベル(深度)

人間の脳って、そこに物理的にはバッチリ存在するものであっても、自分の理解のフィルターにかからないものは「見えない」って、そういう機能なのよね。

これって、本当になかなか信じてもらえないけど、本当だから。

目の前に張り紙してあっても、見落とすとかあるでしょ??目の前にガラスがあっても、無いと思って進んでぶつかったことあるでしょ?「オーケストラの中から、チェロの音を聞き取ってごらん」ってチェロをよく知ってる人なら簡単でも、知らない人には絶対できないよね。そこにその音はあるのにだよ。


そんなわけでわからんものは出来ない。

それに、奏法を教えようとすると、どんどん尖った技術を教えようとしちゃうんだけど、それがなんの役に立つのか分からない人にとっては、どーなのかなぁ、、楽しいか、、楽しい人もいるか、、、楽器が上手く吹けることが楽しい人には楽しいか。。。うむむ。


そう思うと、日本って、「うまい」ってことに重きを置いてる人が多いかもなー。

いや、うまいのは良いんだけど、「それで??」ってこと、なーい???

私は「それで??」ってところがめーっちゃ気になる派。

そんなに(楽器が)上手いのに、なぜそれで曲や表現や内面に進んでいかないの?って思っちゃうんだよねー。

つか、音楽ってそっちでしょー?!


って思いながらも、楽器が上手い人をみると、おおおおおお!!!と思っちゃったりするから(笑)


あ、論点が逸れてごめんなさい。

そうそうそれで



楽器の技術を教えるってのも、レッスンでは大事だとは思うんだけど、

「音楽」や「その周辺のいろんなこと」ってのを並行してたくさん感じたり勉強したりしてもらって、

そうするとその子(大人でも)自体の「求める基準そのもの」が上がるから、

そしたら、そのレベルに合った演奏をしたくなるだろう。

その時点で、それが出来るための表現とその表現をするための技術をトレーニングするって方が、良いのかなって。


今は、楽器はうまいけど、そういうことはぜーんぜん知りませーん(必要ありませーん、知りたくもありませーん、面倒くさいし、勉強は嫌いでーす)的な、学生が多いのかなー。。。


それに、そういうことって、全然即効性が無いし、周りくどいし、そんなことより、もっと技術教えろよ!的な、

楽器が吹けるようになりたいんだよ!!

ってところに、尽きるような。

部活動のレッスンなんかだと、さらに顕著かもしれないねー。

「高い音が出ないんですけど」「ここが吹けないんですけど」「基礎を見てください」

レッスンは「医者」じゃない。

いや、医者もそんなこと言われると、「医者だって患者がちゃんとしないと何も治せん!!」って怒られそうだけど、

そうだなぁ、レッスンの先生ってのは、どっちかっていうと、医者というよりは親とか、場合によってはヒーロー(目標)だったりするのかなー。


そんな、チョチョイのちょいって簡単に直したり育てたりできるわけじゃなくて、

めちゃくちゃ分化してて、レッスンは技術だけ、ってんでもなくて、


一見無駄な時間もいろいろ使って、音楽やその周辺についても学びながら、そのレベルをひとつづつ上げながら、それに必要な技術を本人が持ちたくなるように仕向ける(笑)みたいな。

まあ、そうは言ってもまずは楽器が吹けるようになりたいですよね(笑)

そりゃそーだ。

今の話はもっと先の話ですね。

あーー、、、なんかずーっと楽しく目標持てるようにしてやりたーい!!

ん?つか、そんなにしないとやりたくないなら、無理してやらんでヨロシイ!!でもいいのか(笑)

いやはや、今日は書き始めは、めっちゃビジョンがハッキリしてたはずなんですけど、書いていくうちにさらにいろいろ出てきちゃって、そしたらかえってカオスになりました。。

今日も皆さんお付き合いありがとうございましたー。

わ!!昼だ!昼!!!

朝ごはんまだでした。それではまたねー!!

あ、宣伝。



明後日です。明日は3時半に出発しますよー。

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いやー、、、、ホントにこりゃー、、、あはは。。。

2020年08月27日 17時10分00秒 | 日記
こんにちはー!!!

いやはや、先ほど高校のレッスンをzoom(正確にいうと、先方のズームが不調だったので急遽FaceTime)でやりました。

ウチにいてレッスンができるから、そういう意味でだけ言えばめっちゃ楽ちんですけど、いろいろもどかしいことの方が多くて、あーもー!!リアルで会えば、もっと伝わるのにぃぃぃ!!という気持ちの方がやたら強いですね。

今までは1人2時間のレッスンを2週に1回でしたが、zoomにしてからは毎週1回1時間、という形にしてみてますが、その分頻度が高くて良いと言えそうではあったけど、うーん、、、、やってみるとそうとばかりは言えないなー。


直に会ってないと、どうも相手がどうせバレないみたいな感じになってやせんか???と思う。。。

曲の練習してても、間の間奏をうたったり弾いたりもしてあげられないしねー(タイムラグがあるから)。

やっぱり伝わる情報量が数百分の1とかになってるんだろうなーと思います。


と、そんなかんななオンラインレッスンを終わって、お昼を食べよう、、、となったところで、


まぁ朝からではあるんだけど、身体中のくたびれ感が半端ない(笑)

もう面白いレベルだーイエーイ!!

ついに気がついたかーっと言っても良い気もするし、これが運動不足の賜物なのか、それとも俄かに奥多摩でハッスルしたせいなのか、あるいは布団をエアウィーブのパッチもんの何だったかな、、、一応ちゃんとした繊維メーカーのヤツなんだけど、エアウィーブより値段が数分の1なヤツにしてるんだけど、そいつがヘタって来たのか、、、


もう起きた時点で、全身疲労(笑)

お昼を食べた時点で、グダーっと疲れたぁーみたいな顔をしてたら、旦那に、

「ご飯を食べたら寝るって聖書に書いてあるよ」

と謎な戒律を教えられ、、、ちょっとダラーっとしてみましたが、そんな問題じゃないな(笑)


あー、サプリでもドーンと飲んでみましょーかね?

気分は案外イェーイって感じなんだけど、内臓が草臥れてるねー。

夏バテか???


まー、そんなカンナで、本日はなんの役にも立たない情報でした(笑)

みなさんも草臥れたら休みましょうッ!!

それでは、またねー。
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旦那の「アートにエールを」の動画撮りにー!

2020年08月26日 19時07分00秒 | 旅&温泉&おでかけ
ハーイ、みんな大好き奥多摩でーす。

夕陽をバックにシルエットで動画撮る!!というので、面白そうだから付いて来ました😆


ハー、、、奥多摩☺️


小河内神社⛩からの眺め。

麦山浮橋付近。

これが、その麦山浮橋。今、ちょっと壊れちゃったらしく渡れません。奥多摩湖に浮いてるんだよー。


何テイクくらい撮ったでしょう??いやー、やっば私も行って良かったわー。ナイスカメラマン(笑)

やっぱ、三脚で自撮りってムズイもんね!

結構な数撮って、なかなか良さげな動画が撮れたから、撤退。


で、私も楽器持って来たから、トンネル手前で2人でほんの10分くらいだけど、あれこれ高らかに拭き散らかしてきました(笑)

おサルさんがビックリしたらしく、キュエーキュエー‼️🐒

と泣き散らかして去って行きました。あはは。

というわけで、帰りに夕飯食べて帰りまーす。

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腸vs脳 ピンチになると喋りだす「脳」 現在・過去・未来

2020年08月26日 13時17分00秒 | こころ、メンタル、身体
こんにちはー!!!

今、だーい好きなTBSのドラマ【MIU404】。

何もかも楽しすぎる!!音楽も俳優もストーリーも何もかも好きだぁー!!

で今朝、その主題曲「感電」の入ったアルバム『stray sheep』と、ドラマのオリジナルサントラをApple Musicでゲットして、もう幸福の極み。そして米津玄師と得田真裕の才能に、もーホントすげーとしか言えない(笑)そして、こんな曲たちを作ってくれてありがとう、と言いたい。

というわけで、ただいま喜びながらサントラをかけながら書いております。



ところでー、、、


腸を中心とした、自分の本体を大事に意識しながらここ数日生きてるわけですけど、するってーと、面白いことに気がつきました。


楽器を吹くときも、やはり消化器を中心とした、まぁ言ってみれば身体本体全部(呼吸器とかアンブシュアとかそういう細かな感じじゃなくて、ってこと)を使って、、いや、使ってとか書くとまたちょっと変な感じに伝わるかもだけど、まあフルパッケージとしての身体を使って音を出すってことにすると、大変いい感じなわけだけど、

例えば、ちょーっと、「あ、、、このパターン、行けるかな?」とか「ありゃ?吹けるかな」などと思ったとしましょう。

そうすると、途端にちょっと消化器くんたちが若干の緊張状態(メンタル的な意味というよりは物理的に力が入るという意味)になって、


そうすると今度は、それまでほんのちょいバックグラウンドでちょいちょい喋ってただけの「脳」が、へーーーーーい!!と飛び出してきて、

「こういうときにはこうした方がいいよ」
「ここの力を抜いて」
「あー、、そうなっちゃうとほらほら」
「前もそうだったじゃん」

などと、いろんなことをご親切にもババババーっと話し出す。

で、凄く先の話まで出してきたり、もう終わった日のことを話したり、


そういう、冷静に考えたら「しても仕方のない心配」ってヤツを次々に生み出して、ダメ出しやら、指示やらを出してくる。

それは、「確かにそうだね!!」と言える内容(に思える)だから、争い難いのだけれど、

そこでふと冷静になってみた。


なるほど!!!!


脳というのは、「今」の瞬間ではなく、「未来」や「過去」などの「今ここに無いもの」を「想像」することが得意で、

ピンチと感じたときってのは、結局未来の危険を感じているときだから、

脳が「よーし!!オレに任しとけー!!!」と言わんばかりに、あれこれ指示を出し始めるのだけれど、

実際には「今」にしか何かをすることはできないわけで、

その今を担当してるのは、「腸」と思ってもいいし、身体と思ってもいいだろうけど、とにかく自分本体なわけで、


脳が働いてるときには「未来」や「過去」に意識が行ってるため、「今」担当の「身体」は身動き取れず、結局、脳が予見した未来に引き摺り込まれ、「ほらー、だから言ったじゃん!」と脳にダメ出しされる、、、、


という、全く困ったスパイラルにハマることになってるのだなー。


ということを発見しましたー!!!!


普通に楽しく吹いているときには、脳はせいぜい相槌とか、合いの手くらいしいか入れてないのよ。

でも、ちょっと「あ!!!」と思った途端に、めーーーーーっちゃ喋ってきた。

なーるほどなーるほど、、、、


腸は【今】担当、脳は【過去と未来】ってこの前ブログに書いたけど、それともぴったり当てはまるなー。。。と気づいて、めっちゃびっくりしている。


で、だとするとさらに先日書いた「コトダマ」とか「日本語にする」「モヤモヤを言語化する」ということこそ、脳にやらせることであって、それってダメじゃね???という考えもふと頭をよぎったけど、

そこでさらに考えてみたら、


「言語化する」という作業によって、

過去をハッキリと認識できる形に保存できる

未来に対しての行動指針を明確にすることができる

ってことかなーと。

なんでも過ぎてしまうと、人って忘れちゃうじゃん??私だけか(笑)

でもそういう時の感情であったり様子であったりを「言葉」にしておくと、「今」しか担当できない身体にはできない「保存しておいて後で取り出せるようにしておく」という、凄いことができるツールとなりうる。

本とか、資料とか、建造物とかって、そういう物じゃん?

過去が残してくれたモノ。

そこから学ぶことはいっぱいある。

それが本にもなってない、言葉になってないとしたら口頭伝承もできない、、、

そんな状態だったら、今の人間の生活って絶対無いよね。

言葉にできたから、形にできたから、未来に残せた。過去が伝えられた。。。。


それって、大事なこと!素晴らしいこと!!!


だから、脳がいろんなことを言語化して、過去や未来を考えるってのは、決して悪くない。

だけど、それが今を凌駕してしまうと、「今を生きてる」ことにならない。


そーいうことじゃないかぁああーーーーーーーー!!!!!!


今回のブログは結構良いところついてるーッって思うんですけどーぉ!!!

読んでくれてありがとう!

それでは、またねー!!
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体を無視するのをやめてみたら、めっちゃ楽器が吹きやすい&めっちゃ体が疲れてるのが分かった話

2020年08月25日 14時45分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんにちはー!!!

今日は羽生さんが竜王戦の挑戦権を賭けて、丸山さんと戦ってますねー。いやー、将棋ってこんなにいろんな定石とか「変化」とかあるんだ、、、とビックリします。丸山さんも頑張ってはほしいけど、個人的には羽生さんのタイトル100期が見たいので、ここは何とか挑戦権取れるように1勝してほしいですねー。


ところで、

身体を腸から考えてみたり、トランペットを吹くのを呼吸器だけじゃなく、消化器から見たり、脳にいろいろコントロールさせるのをやめて、腸(身体)を中心に生きてみようかなーと思ってみたりした結果、いろんなことが起きたので、書こうと思います。

まずはーーーーー、、、

楽器が吹きやすいです。何がどうしたか分からないけど、ホントに身体から吹ける感じがして、だからってそりゃーそもそも私の実力で吹けないモノは吹けませんけど、吹けてもいいはずなのに、物凄く頭の中でぐるぐるしちゃう、、、ってモノは、そういうことしなくて良くなりましたから、精神衛生的にとっても良いですぞー😁


それと、何か変な歌とか突然歌いたくなったりします(笑)

それもウケるけど、あとは謎の「うぉー」とか「ハーーーーー」とか「グオーーーーーーー」とか、変な感嘆詞的な変な声がいっぱい出ます(笑)

なにか「止めてたモノ」が解放されちゃって、グオーーーーーっと流れ出してるんでしょうね、、、って感じです。

あー好きなだけ出すがいい(笑)←自分に向かって😆

そしてねーーーーー、、、




本当に本当にビックリするのは、


もーーーーーおおおおおーーーのすごおおおおおおおおおおおーく(→物凄く)、


くたびれてたーーーーーーー!!!!!ってこと。


私って、ホント疲れないなーって思ってましたし、

これも斎藤一人さんの教えですけど、「疲れた」って言葉が一番良くないって言うもんで、「疲れた」は極力言わないようにして、うっかり口から出ちまった時には、「疲れたーぁ、、、いやッ疲れてない!!!全然疲れてないッ!!!」と言うようにしてたりして、


だから、旦那がよく仕事から帰ってきて「疲れたーーーー」って言うのを聞くと、若干不愉快(ひどい笑)で、仕事も気功みたいに相手とエネルギーうまく回せてれば疲れますまいッ。疲れるなんて、そりゃー良くないッ!!


なーーーーーんて、思ったりしてましたけど、

旦那は本当に身体にも心にも正直に、人としてちゃんと生きてる人なんで、

単に正直な感想であって、きっと自分なりにやり切ったから、疲れたんでしょう。。。よしよしウンウン。


ということもあったりでしたけど、

自分の体にも聞いてみましたら、もー本当にくたびれていらっしゃるご様子(笑)

おそらく脳は疲れてなかったんだけど、内臓は疲れてるんですね。

ただ、血行不良ってこともタンマリあると思うので、本当は運動してあげて、老廃物がもっと流れるように、それに最近ものっすごく太ももとか背中の筋肉が落ちたなーって思うので、そういう実はいろんな体の調節をやってる筋肉が衰えることで、体の代謝がうまくいかなくてくたびれてるって面もタンマリあるって思います。


何と言っても、めっちゃ慣性の法則に則ってしまう人間なので、

一旦家から出たら、できるだけ帰りたくないし、

家にいるなら、できるだけ外に出たくない、

というなかなかの性格なので、ウチにいるとなったら外に歩きに行こう!とかってのが結構なエネルギーがいるんですけど、

まあ、できることからちょいちょいやって、気分的に「あー、そんなに大変じゃないな」と気がつくようにしていけばいいかな。


そんなわけで、

楽器の調子が今ひとつとかって人がいたら、一度内臓の声を聞いてみるってのも、ちょっとした突破口になるかもしれませんな!って思うので、書いてみましたー。


この時間にブログを書くと、今までなら練習できる時間帯にこういうことやってるなんて、なんて無駄遣い!!!って思っちゃって、なかなかできなかったけど、でもどうせ練習しながらすぐくたびれたりして気が散るくらいなら、この時間にやれることやっちゃった方が、何と言っても、夜好きな時間に寝られるってのが、もう天国的で(笑)

いやー、夜になると、ブログは書きたいけど、何書こうかな〜から始まって、それが瞬時に思いつくときはいいけど、眠くて頭が回らないから全然進まないけど、書かないと寝られない、、、、のループになっちゃうから、結局物凄い時間に寝ることになっちゃうんだけど、


いやー、それがなくて済めば、ブログは書いてるのに、夜も自由という!!!一挙両得😍最高だぜー!!


というわけで、あとでチョーカーを作ろうかな、と思っております。うまくできたらTwitterかこちらにアップしまーす。それではまたねー!!!
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子どもの指導&教育。「もー!!!ちゃんとしなさい!!!」って腹立つことありませんかー?!ってときに読んでみてー

2020年08月24日 13時35分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
ぬおー!!ブログに書いたか自分のノートに書いたか忘れたけど、急に頭の中に降ってきた!!!最初はツイッターに載せようと思ったんですけど、短く書くと誤解を招きそうだったから、ブログに書きまーす。


そう、指導や教育の話!!!

「頑張って!」ちゃんとやりなさい」「指揮見て」「周り見て」


いろいろ子どもにかける言葉はあって、うまくいくときと、全くうまくいかなくて「ちゃんとやりなさいって言ってるでしょ?」ってなるじゃないですかー!!


ウチには自分の子どもはいないんで、言うとしたらレッスンのときですけど、きっと子育てしててもそういうことって、いっぱいあると思うんです。


「もー、どうして言ってるのに聞かないの?」
「ホントダメな子ね!!」

みたいな!!!



そういうことは自分としては言わないようにしてるんですけど、言わないようにしてたって、きっと言ってます😅


だけど、これ!!!ちょー今はっきり見えました!!!!




子どもには「何を」頑張ったら良いのか?「何をどう」ちゃんとやればいいのか、「指揮を見て」どうするのがいいのか、見るとどういう効果があるのか、「周りを見て」何をすればいいのか????



などなどが、まーーーーーーーったくわかってないんです、きっと!!!



我ら大人が常識だと思ってること、分かってて当然だと思ってること、

というか当たり前すぎて、そんなのが分かってるかどうかすら考えもしないこと、、、


それが「分からない」です、きっと!!!

というか、「知らない」んです。


だから、我々オトナは、その「目的」…【何をどうするのか】【何がどうなっていることが良いのか】それを説明に加えてないといけない!!

省いちゃってるから、伝わってない。


伝わってないから、言われた事くらいはやろうとするけど、、、


例えば、「指揮を見る」、、、、じーっと見る、見てひたすらそれに合わせようとする、、、、


「コラー!!!!!!!そういうこと言ってんじゃなーーーーーい!!!」

「見てればいいってんじゃないぞーーーーーー!!!!」



って、なるじゃないですか。

ちゃんと言われた通りにやったのに怒られる。

こりゃー理不尽だ。。。とても理不尽だ。

でも、子どもだからその理不尽に耐えます。


で、適度に折衷的になっていきます。


「あー、、、もー!!!言っても聞かないんだからー!!!!」

ハイ、こうなります。



でも、よく考えれば、これはオトナの方にもかなり責任がある。

だって、目的語がないんだもん。


もっと言えば、実はオトナの方も、ハッキリと言語化できるほどには分かってない場合が多いかもしれないよ。


言語化できないことって、物凄くイライラしたりモヤモヤするでしょ??「あー、なんかモヤモヤするー!!」みたいな。

モヤモヤの内容は一切言語化されてないし、自分でもハッキリと言語化できるほどには分かってない。


で、その自分の中のモヤモヤを、ついつい偉そうに、「ちゃんとやって!!!」みたいな一言で、子どもにぶつけちまう。

そうすると、、、悪いのは子どもってことになって、自分の身は助かるけど、まー結局いい結果にはならないので、もっとイライラモヤモヤする羽目になる、、、



みたいなー!!!!!!!!

そういうことみたいなー!!!!!!!!


そんなことが急に頭に浮かんで来たのですよー!!!!


私個人として、子どもに対してイライラするってことはほとんどないんですけど、モヤモヤはしますねー。

一生懸命説明しても、なんか腑に落ちないな、みたいな表情でこっちを見てたりすると、なんだか不安になりますし。

そのうち、ついに相手も理解して、ははーんそういうことか−!!!となったときには、双方あとは本当の意味で頑張ればいいわけでスッキリします。

多くの場合の「頑張ってね」ってのは、「何を」「どうすれば」「どうなったらいいのか」「どうして?」などが抜け落ちていて、漠然としすぎている。


その漠然とした感じがいい、という考えもあるかもしれないけど、場合によってはそれが相手に対して「非難」とか「注意」とかの観点が入っている言葉であるとしたら、それはもっと具体的であるべきなんだろうと思う。


「応援」とかの「頑張って」ならいいだろうけどね!

でも大抵のオトナが子どもにかける「頑張って」って、なんかプレッシャーを伴うモノだよね。

何をどう頑張ってと言ってるのかを、明確に言ってあげるとか、一緒に考えてあげるとかして、

「おお!頑張れた!!」「やれた!!」と思えるようにしといてあげないと、ゴールがない感じで辛かろう。


あー、これはまた別に書こうと思ってたことだけど、

期限とかゴールがあるってことは、本当に神さまからのギフトだなって、最近思うんだ。


「ずーっと死ななかったら良いのに!」っていう人いるけど、あたしゃ〜そんな人生はイヤだね。拷問だよ。

いつか終わってしまうから、美しい。素晴らしい。一瞬が大切、、、、ってことに気づかせてもらえるじゃん??

いろんな物事も「期限」があれば、それまでに「頑張る」こともできるし、それが終われば一定の満足を得ることもできる。

これがさー、無期限で無限だったらどーよ???


いろんな芸術とか芸事とか、ある意味終わりがなくて無限なわけだけど、そうみえて、実は、「本番の日」とか「作品が完成した日」とか、一応の区切りはちょいちょいあるわけで、だからこそ「次は!!!」ってやれるワケだ。

だから、ちょっとのことであろうと、期限とか目標とかゴールとかあるのは、神さまのギフトだよねって思う。


子どもにも、何がどうなったら良いのか、あるいはあなたはどういう目標なの?とか、どうしようかー???って一緒に考えてあげるとか、

何かしら、どうしっろっての???ってのを示してあげる、、、というギフトをしてあげよう。

「そんなの、自分で考えなさい!!!」
「そのくらい分かるでしょ?」
「そんなこと、いちいち考えて教えらんない!!」


そりゃー、オトナの手抜きだ(笑)

そんなんで、子どもに文句言えないわ(笑)


もちろん、オトナだってさー、いろいろあるわよ。オトナになったら「完ぺき」になるなんて、まーーーーったくないってことはよーく知ってる(自覚w)。

だから、それこそお互い良い意味で楽しく成長していけるように、そういう無益な否定感を与えなくて良いように、そういう仕組みを「知って」やっていきたいなー!!


て思いましたー。


というのを、本日はシャアしたいなーと思います。
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腸が実は自分の本体なんじゃないか?という話と、脳が自分をディスって内臓の話を聞いてないのを発見した!!!って話

2020年08月24日 03時52分00秒 | こころ、メンタル、身体
こんばんはー!!!

いやはやー!!お陰さまで2時過ぎに東京に戻ってまいりましたー。田畑屋さんでカレーうどんをたらふく食べちまったので、眠くなること必至、、、何時に着くか分からん、、、と思ったけど、猿ヶ京で45分寝ただけでなんとか帰って来れました。よかったぁー。


ところで、、、


いやー、めーーーーーっちゃ長いタイトル付けてみました(笑)

いつもブログはまずタイトルを書いてから中身を書くんですけど、今日も長ーーーーーいタイトルを書いてからスタートします。


いやはや、なんで、急に「腸が自分の本体だ」なんて言い出したかっていうと、これもモーニング・ページを書いてたら何か降ってきたんですよ、、、、

んなもんだから、なんでそう思ったかっていう経路は思い出さないけど、でもなんかものすごく腑に落ちました。

ほらほら、斎藤一人さんなんかも腸はめちゃくちゃ大事で、腸の良し悪しが決断力とか決めるって言ってるじゃないですか。

腸で血液が作られるとか、

いろんな話はもちろん知ってたんですけど、

それって、単に「内臓は大事だよー!!!」ってことだなーって思ってたんです。

栄養を吸収するところだし、出口でもあるし。

だから、大事ってのはわかってるつもりだったんだけど、

今日気づいたのは、そういう話よりももっと理解が進んだって感じで、

自分というモノを、ものーーーーすごく単純に考えた場合、

口っていう入り口があって、途中ヌーッと管になってて、お尻っていう出口がある


以上。。。。


ってことになるな、と突然思ったんです。

複雑に考えれば、そこに脳が!血管が!肺が!!腎臓が!!筋肉が、、、とかいろいろあるわけだけど、

そういうのはまあ大雑把に見るとすると、生物の本質ってのは、まあ「お口から肛門まで」ってことになるおかなーて。。

むむ!!急に暑い!!と思ったら、旦那が寝ながら無意識に足で扇風機を切ったらしい!!私にはクーラーだけでなく扇風機が必要だぁーーーー!!(笑)

スイッチオン!!よしッ!


話を戻して、、、


とそんな風に考えることもできるなって。


それは、きっとナマコやウニとか、、、そんな感じ(笑)

と、ここでナマコの構造図みたいなのを貼ろうと思ったけど、思いがけずリアルすぎるか、ちょっとエグいので、止めとこう。。。。(笑)


心臓とか脳味噌とかないけど、バッチリ生きてる。スゴイや。


ということはさー、生きるのに脳味噌も心臓も「マスト」じゃないってことかなーって。

もちろん、今の人間から脳味噌や心臓を取るとすぐにお亡くなりになるわけだけど、本質的な部分でいうと、きっと消化器系の方が重要なのかって。


で、ふと、、、

心はどこにあるのか???


っていう議論を思い出した。

今なら、脳と答える人が多いって気がしちゃうんだけど、昔の科学者はそうは思ってなかったらしい。

さりとてどこだったか思い出せないんだけど、心がどこにあるのか?って思って解剖して探したって話を、コンピュータとかAIとかの話で聞いたことがある。

その時に、じゃあ「自分」って感じてる部分はどこなのか?みたいな議論もあったんだよね。

おそらくこれには答えはないと思うんだけど、

例えば「脳」だけ自分で体は他の人だと、それは誰なのか?みたいな。


そういう風に言うと、なんか「脳」が自分じゃないか?って思えて、頭で考えることこそ最強!!みたいに思っちゃうし、実際そうかなー??って思っちゃうところもある。

でも、それを「腸」なんじゃないか??ってことにすると、

ここから急に話の次元が変わりますけど、


「腸」ってことにするとだよ、


過去とか未来とかが無くなって、「今」だけになるって気がした!!!


そして、「自分の体を操ろう」とするのではなくて、ただ「やる」ってことになる感じがする。

んー、、、セルフトーク不要状態ってのかなー。


よく腹からとか、肚が据わってるとか言うじゃない???あれって、そういうこととも関係あるかもなーとか思ったり。


ふむふむ、、、すると、めちゃくちゃ「生きてる」って感じになるよね!こりゃーいいぞー!!!


で、そういう感じで脳味噌を使って、身体をコントロールしてトランペットを吹こうとしてたのを止めて、腹から、ただただ吹きたいものを吹く(吹けるようになるまでやる)ってことにすると、めっちゃくちゃいい感じで吹ける。

その時には、あああああ!!口とか呼吸とか考えてたけど、口も腸の延長部分じゃないかー!!!と気がついたわけよー。

うぉー!!

口も内臓(消化器の仲間)だとすると、メンタルが出るのはすごく分かる。

ただの筋肉ならそうはなりますまい(笑)


そういう意味でいうと、腸もすごく自分自身だから、気持ちによって硬くなってたり、動きが悪かったり、いい感じで柔らかかったり、いろんな状態があるよな。。。


すっかり呼吸だと思ってたから、横隔膜あたりまではもちろんイメージしてたけど、腸とかは無視してたな。。。


んで、


ちょっと苦手なシチュエーションになった時に、

急に動きが悪くなっって、なんか悪いクセの方が出始めた時に、


「あー、やっぱダメじゃん。それじゃーダメなんだよねー。もっとこーしなよ、あーあー」


みたいに私に言ってくるヤツがいることに気がついた!!!!


誰だ???!!!



ああああああああああああー!!!!


そう、それは私の「脳味噌」でしたw

なーるほどー!!!!

そうか、、、こうやって脳は手助けしてくれてるかと思いきや、こうやって私に常識的な注意と見せかけたディスりを日々浴びせかけて、腸をビビらせてるんだなー。。。


静かに、今やってることを感じて受け止めたらいいのに、

未来や過去を引っ張り出してきて、あれこれ言うもんだから、「今」にいることができなくなってる。


へーーーー!!!


なんか、めっちゃ面白いなー。

なんか大発見だなーっと思った。

てっきり「脳」が演奏してくれてると思ってたから、そういう結果的なディスり&今じゃない過去や未来の心配ってのも、ある意味正当化して感じていたけど、

もし腸が私の本体だとしたら、脳味噌のそのゴチャゴチャ言ってくるヤツは、正直邪魔だ。余計なお世話だ(笑)


つか、やってる最中には静かにしとけやw


あとで、傾向と対策とかを考えるときに、ちゃんと話聞くから、今は出番じゃありませーん!!ってことだなー。。。


と思ったわけよー。

いや、脳味噌もいろいろ事情があるのよ。転ばぬ先の杖とか、いろいろ考えてくれてるんだけど、いうのは今じゃないんだよねー。なにしろ結局同一人物だから、一度にあっちもこっちもやるととっ散らかっちゃうんだよぉー。


なるほどなー。。。


そうすると、腸に「いい食べ物」あげないと!!変なモノばっか食べさせてると、変な腸になるわな、、、そりゃー。。。


そんな気付きがあったのですよ。

考えてみたら、文章もうまく書けるときは頭使ってないかも。。。勝手に出てくるんだよね。


いやはや、、、とっても勝手にいい気づきでした。


わ!!もう1時間も経ってるー。もう寝まーす。


それではみなさん、また明日ねー😊
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どんなコンサートにしたいか、子どもたち自身に聞いてみた!

2020年08月22日 23時58分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!!

今日は、アパホテルにいるんだけど、フロントの奥の段ボールにいっぱいゼリー飲料が入ってて、チェックインの時、あー、、ちょっとくれたら嬉しいのになー、、、


なんて、チラリ思ってたら、なーんと!!

大塚製薬からのプレゼントだからって、1つくれたー😆リポビタンJerry!!

風呂上りに我慢できず、ただいまチューチューいただいてます(笑)

そーいえば、お風呂もザーッとお湯入れて、バブもどき入れて、さーて、、、


と片足入れたら、


あーーーーーーーっちちちちちちちちー!!!!!


温度見てなかった(笑)

そんなわけだから、喉も渇くよ😆


さーてと、

本日のお題ですけど、

来週は新潟市ジュニアオーケストラ教室の定期演奏会でございます。




これさー、このチラシ!!!なかなかいい感じに作ってくれてると思うんだけど、みなさん、左側の人、誰だかわかってますかー?!

これ、私ですよー、私ねー笑

まさかの弟子ですら全く気付かないヤツが何人もいるから、一応言っとく❗️

これ、何回か前のジュニオケの演奏会の最中の写真だから、完全に素で私だからねッ。

というわけで、それはどうでもいいんだけど、そうそう!!ついに来週なんです。

3月末にやるはずだったスプリングコンサートは残念ながら吹っ飛んでしまったので、来週はみんなで頑張りたいなーと。

で私としては、子どもたちが生き生きとやりがいを感じて元気いっぱいやってくれたらいいなーって思うし、昨日の鼓童によるアースセレブレーションの生配信のオープニングで溢れてくるエネルギーが電波に乗ってすら伝わってきたから、生演奏をわざわざ聞きにきてくれる人たちには尚更それが伝われば、いいなーみたいな。


とかって自分は思ってて、で、根拠はないのに、みんなも何かしら目標あるだろうな?とか、あるいは逆に指導する側が明確に目標感じてれば自ずと分かるだろう?みたいな、

それでいて、子どもたちに自主的にやってほしいとか、自分のこととして考えて欲しい、、、みたいな思いもあったりして、


そんなことを勝手に思ってはいたけど、よーく考えたら、子どもたちはどう思ってるのかって、全然聞いたことなかったじゃんか???


と気がついた。


あるいは、どこかしらで「こう思うべきだ!!」例えば、「コンサートなんだから、ちゃんと演奏すべきだ」「お金を払って聞きにきてくれる人たちに満足のいく演奏を聞かせる義務がある」「活動の結果を見せるのだから、ちゃんとやらなきゃいけない」などなど、本当に思ってるかとか、そんなことはお構いなく、「こうあるべき」っていう考え(それが常識だからそれ以外なんかありえない、みたいな考え)を強要してるんじゃないか、、、


それで「もっと自主的に」とかなんかおかしいな。

コンサートに対してどんな風に思っているのか、全然子どもたちに聞いたことなかったから、


そーだ!!聞いてみよう!!

と、

なーんと、この考えがね「モーニング・ページ」を書いてて、勝手に出てきたのよ。

これには自分でも驚いたーぁ。
へー、これは凄いな。

たまには答えが1つとか、正解があるとか、求められてる答えがある、とかじゃなくて、正解のない質問ってのも良いじゃないか?人それぞれ違っていいヤツ。

確かに、そうだ!!聞いてみよう。ちょっとくらい時間を取ってもこれは無駄じゃない。


で、今日の練習の中で試しに全員に聞いてみた。

基本、子どもに意見を言ってもらう時は、否定したりましてやバカにしたりはしないようにする。
中にはオトナが喜びそうな答えを出してくる子もいるわけだけど、出来るだけ、「あー、なるほど!!!それは良いね。で、それはどうすると出来るだろうねー?」などと聞いてみることにしている。

そんなの、すぐになんて答えは出ないし、もっと言ったら、正解もないし。


で、順番に1人ずつ話してもらったら、


いやー、、、たまげた!!!


みんな、お客さんのこと考えたり、みんなでのこと考えたり、自分の目標だったり、、、


いろんないい観点を持っていて、それぞれに良い答えを出してくれた。

へー!!!そんなこと考えてるんだねー。


全員から言ってもらったし、似てる考えでもそれぞれ微妙に違ったり、全く逆の観点だったりしてたから、子どもたち同士も、いろんな考えに触れることができて良かったと思う。

実際には、こういう風に全体に向かって自分の考えをいうとなると、今までに思ってたこととかじゃなくて、こういうのが良い答えかなー??ってのを考えて言っちゃうってこともあると思うんだよね。


実際、そういうこたえをした子も案外多いとは思う。

でも、私は今はそれでも良いって思う。

なにかしら、自分の中から考えを日本語にして外に出してみることによって、

え?自分ってこんなこと考えてたんだ?!

と、自分自身に気がつくってことも大いにあり得るし、


また、言霊(コトダマ)ってこともあるから、口から出すと、その言葉に魂が宿って現実化する的なさ、

良いことを口から出して言うことによって、自分自身がそういう風になっていく、、、


そういう効果も絶対にあるんだよね、特に日本語の場合は。


聞きにきてよかったって思ってもらえるようにしたい

それぞれの楽器の魅力が伝わって、興味を持ってくれるひとがいたらいい

演奏を聞いて、入団したいと思う人がいるといい

演奏することを楽しむ

自分も楽しんで、聞いてる人にも楽しんでもらいたい

B合奏は上手だ、といわれるだけじゃなくA合奏も注目してもらって、良いって言われるようにしたい

また次も来たいなと思ってもらえる演奏をする

みんなで1つになりたい

オーケストラとして1つになりたい

今まで頑張ってきた成果を出すところだから、一生懸命練習する

笑顔で演奏する

聞きに来た人のテンションが上がる演奏をしたい

オイシイところをちゃんと表現したい



などなど、、、、


もっとあったよ。

で、それぞれに「どうするとまた聞きに来たくなるかなー?!そんなのを考えてみると、来週までにやることがちょっとはっきりするね」とか、ちょっとだけ問題提起してみたりしながら。


で、そんなことを言ってもらったあとで、練習を再開すると、


おー!!!!!!


何か、「自分たちのやるべきこと」が少し彼らの中で明確になったのか、エネルギーが明らかに違ってくる。


いやー、考えてみればそうだよなー。。。


「頑張りなさい」「ちゃんとしなさい」

こんなことばはオトナとしては簡単に使っちゃうけど、使われた方としては、何をすることが頑張ったことになるのか、ちゃんとしたことになるのか、、、それが実は明確じゃないような気がするよね。


何したら良いか分からないと、ついグズグズまごまごしちゃうよね。。。

そーすると、さらに「ちゃんとやって」とくるんだとすると、こりゃーたまらん。


何を??え??どうすれば???


そしたらどんどん疑心暗鬼になって、力が出ない、、、そりゃそーだな。。。


私の中では極力、「常識だから」ってのを押し付けて、頑張ることを強要しないようにしたいな、、、と思ってて、

彼らが、やりたいからやって、楽しい(というよりは好きだ、の方が近いかな)からやる、みたいな、


要するに、禁止されても止められてもやっちゃう「ゲーム」とか「漫画」みたいな、そういうモノのようになったら良いなって思っていて、

ゲームなら、めんどくさがらずに攻略本なんか読んじゃったり、繰り返し練習しちゃったり、負けても負けても挫けなかったり、クリアするまで何度もチャレンジしたりするでしょ??

あんな感じになったら、いいなーって思うわけ。

だから、いろいろ考えるんだけど、

それでもやっぱり、どこか「手っ取り早く」教えちゃったり、やらせちゃったりしてるんだよなー、、、きっと(いや、多分絶対だな笑)。



常識を疑ってかかりたい。


常識を否定するってことじゃない。

本当にそうなのか、実際どうなのか、、、それを自分(自分たち)で、ちゃんと検討した上で、「なるほど!!!」と思えば採用だし、「え???おかしいよね、不要だね」なら、別の選択肢を探せばいい。


「常識」みたいなモノって、ヤだけど、便利なんだよね、根拠がなくても、まったく自分で考えなくても、「常識だから」っていう、水戸黄門の「この紋所が目に入らんか!!(印籠をババーンと!)」と同じく、それだけで周りが「ハハー!!」とひれ伏すというさー。


あそこで、「え?それが何か???」って言ってみてもいいじゃない?

「これは徳川家の、、、」とか説明してもらって、なるほど!!水戸光圀さまはそういうお方でしたか!ハハー!!って、今の時代ならそういうのもありじゃないかと。

今は江戸時代じゃないんだからね(笑)


考えてみれば、まだまだ「なーんも考えずに鵜呑みにしてきたこと」っていっぱいあると思うんだよねー。

あー、これからもまだまだちょっとずつでも「子どもが生き生きやれる方向」ってのを模索していこうと思います。


それでは、みなさんまた明日ねー。めっちゃ眠くなってきました(笑)

考えてみれば、今日は21時間営業でした。。。。あははー。またねー!

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モーニング・ページってのをやってみた

2020年08月21日 09時22分00秒 | こころ、メンタル、身体
おはようございまーす!!

今日は明日めっちゃ早く出るから、早く寝るぞー(って今さっき起きたのに笑)それに備えて、先にブログを書くことにしまーす。

いやー、それにしても一晩明けて、藤井2冠のニュースで持ちきりですねー☺️

やたら嬉しいぜー🙌🙌🙌


そうそう、表紙の写真、

「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」
The Artist’s Way ジュリア・キャメロン


これ、先日アカシックリーディングを見てくださった方がTwitterだったかな?ブログかな?それに載せて、他の方に一緒にやりましょうって促してらしてね。


へー、それなんだ???どんなの???


さっぱり内容も何するんだかも分からなかったけど、そんなに人に勧めるものってきっと良いヤツだろうから、私も買ってみよー。

というわけで、先日ポチッとやったわけ。


そして、ちょいと読み始めて、さっそく最初の「モーニング・ページ」を付ける、ってのをやってみることに。


朝ね、内容はなんでも良いし、どんな書き方でも良いんだって。「あー、なんも思い浮かばねー」と書いても良いらしい(笑)

とにかくノート3ページを書くってこと。

ほー。


それで、書いてたら段々、毎日なんでいっぱいやりたいことがあるのにできないのかなー?!って思ったから、ちょっと時間配分を書いてみた。


そしたらさー!!!


1日の中って、睡眠時間をたーっぷり8時間取ったとして、あと16時間でしょー。

16時間か、、残りが少ないな、、、って思った。

んで、じゃー練習に何時間とか、現実的な時間を考えてやっていったら、

ん?すっげー時間残るな。。。。(笑)


練習、時間があったらあっただけやろう!!!って思ってやってきたけど、

冷静に考えたら、だらだら何時間もやっても、内容的にビッチリ3時間もやればお腹いっぱいな気もしてきて、そしたら9時間くらい時間が余るw


うっほー!!!


まぁ、それはやりすぎとしても、じゃー少なめに見積もって6時間くらいはその他のやりたいことに当てられるの???


それってめっちゃすげーな。


という世紀の大発見(笑)


というわけで、今日からさっそくやってみよー!!


久しぶりに「絵手紙」も再開したいんだよねー。


紙買ってくるか、、、?!


というわけで、朝ごはん旦那が持って来てくれたので、食べまーすwww


それでは、またねー!!!
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9月の末の2週間、上越の海辺の民宿に、、、籠る予定

2020年08月21日 01時06分00秒 | 雑感
こんばんはー!!!!


おおおおおおおおお!!!第61期王位戦7番勝負、藤井聡太棋聖が獲っちゃいましたねー!!!

というわけで、最年少2冠(棋聖と王位)と八段昇段が決定しました。

凄いぞー!!すごーい!!

将棋の棋士ファンであり、将棋中継がめっちゃ大好きで、そして何より藤井聡太くんを応援する私としては、もー、めっちゃ嬉しいわけですが、


いやはや、木村一基九段のことも大好きなんですよ。。。

なもんだから、めっちゃむむむ、、、と複雑な気持ちにもなりました。

藤井猛九段も大好きなんですが、今日の解説の中で、「いやー勝負というのは厳しいねー」と言ってましたが、ホントに。。。


そこで、グッと来るわけですけど、

でもでも、藤井聡太ファンなので、何はともあれ、この偉業を喜ぶことにします☺️



はいはい、ところで、


10月の頭から、新潟アルスノーヴァの東北電力スクールコンサートが決定しまして、こんな時期ながら、学校公演ができることは本当に嬉しいんですけど、


学校からの要望ということで、関東在住の人は、2週間のコロナ抜きをしてくること、、、という条件が出されまして、


まぁ、なんというか複雑な心境なわけですけど、「条件」っていうから仕方ない。


9月末の2週間、新潟県内にいるってことになりまして、

前からときどき書いてるかもだけど、実家に行けないもんだから、どうしたものか、、、


てなって、ずーっといい宿泊先ないかなーって探してたんだけど、昨日ついに良さそうなところがあったので、決めました。


上越地域にある、おそらく釣りをする人に人気の、毎日お刺身とか焼き魚出してくれるお宿💕


そこに滞在することにしましたー。

喫煙のお部屋しかないって部分だけが、心配ではあるけど、まぁさもありなん。


ちょっとした転地療養くらいに思って、のんびり過ごそうかなーと腹を括っております。

海がめっちゃ近いみたいだから、海辺でボサーっとしたり、

車があるから、どこかひと気のないところに行って、楽器吹いたり、、、


そんな風にして過ごそうかなーっと思っております。

別件では新潟へしょっちゅう仕事に行ってるわけで、なんとも複雑な心境ではあるけど、まーいいさー。

期間中、藤井はきっとヒマしてますので、レッスンなどご要望ございましたら、お声掛けください(笑)

新潟市くらいまではヨユーでビューンといけますのでッ。

それにしても、2週間ってどんな根拠があるのかなー。

それに、新潟にいても偶然コロナにかかる可能性はゼロではないし、東京にいるからってコロナに罹りやすいってこともない。

毎日新宿で遊んでてもかからない人もいれば、ずーっとウチに引きこもってるのに、スーパーに行って罹っちゃうって人だっているかもしれないのだよ。


もう、そういう場合は宝くじみたいなモノだから、罹ってしまった人すべてを「悪者」扱いするのは間違ってるだろうし、そんな風に悪者扱いしてる人が、実は罹ってるって可能性も否定はできない。

もう、今日本においてコロナが怖いってのは、「コロナに感染して健康を害する恐怖」そのものよりも、「コロナに罹ったことによる社会的制裁」の方が圧倒的に怖いと感じてる人の方が多いんじゃないかな?

あるいは、コロナ対策をしていないと思われることによる社会的制裁ってのも同じく恐怖になってるかと思う。


その辺、もっと冷静になれると良いんだけど、

軍国主義とか戦争とかをヘイトする人の中には、なにげに自分が「自粛警察」という、昔の「憲兵」のようになってる人もいると思うから、その辺は日本中で気をつけたいことだよね。

冷静に、冷静に。事実を見つめることから始めないとね。


ま、そんなこともあるわけだけど、

なにしろ海辺の民宿で2週間過ごしますので、どうぞよろしくお願いします(笑)

ま、まだ先のことねッ。


それでは、みなさんまた明日ねー。
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「普通」を目指してダメにするパターンって本末転倒だね。全力出すことの大切さ

2020年08月20日 01時10分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!!!


ここのところ、トランペットを練習するのが楽しくなっております。

というか、本当にトランペットを始めたばっかりの頃の楽しさに近いっていうか、「鍛えてるー!!」って感覚と、それに合わせて出来るようになっていく感じが、とても楽しいのです。


あははー!!!!


というかね、本当に当たり前のことでした。


ひと昔前のトランペットの練習って、


大きな音で
よく響くように
遠くまで届く音で


これに尽きるって感じじゃありませんでした???

ひと昔、、じゃないかもしれない、、、もっと昔かもしれないけど、

よーく、外に向かって、どこまで届くかとか、誰にも負けない大きな音を出そうとか、もうそういうことを平気でやってたし、それが出来れば、おおおー!!みたいなさー。


だから、トランペット吹いてて「聴こえません」とか、そんなの論外みたいな感じがあったじゃないですか。

音が小さいのが悩みとかって。


でも、いつの頃からか、


脱力
リラックス
無駄な力は抜いて
美しく
丁寧に
PPで


そうなってくると、女子の方がその辺は上手いので、音大には女子がいっぱいになりました。


実際、ものすごく上手で素晴らしい人も大勢いらっしゃるので、それはそれでもちろん良いことです。


でも、その「ことば」だけに縛られて、ある意味間違った方へ進んでしまって、訳が分からなくなる…ってのが、私かなーって思ったし、あるいはもしかしたらそうなってる人もいるかもなーと思ったりしています。


そのひと昔前のやり方は、今の世の中では「あれはないよね」っていう空気がある(と私が思い込んでるだけかもしれない)けど、

音楽って、いや、音楽までいかない「音」のことだと思った方がいいかな?

そう自分の出す「音」って、人間で言えば「声」と同じだと思うんだけど、

その「音」をまずは「思いっきり」出せるってこと、

それってとっても根源的で、自分の存在を自分で肯定することでもあるって思うわけ。

自分が「ここにいまーす!!!生きてまーす」と高らかに宣言するようなものだから、

全身を使って、そのエネルギーを音にするって、やっぱり大事だと思うわけ。


世の中で言うところの、力んでてダメな感じってのは、

アクセルとブレーキを両方踏んでいるような、

あるいは、ちょっと半端なエネルギーを、体の局地的な部分の力だけで何とか出す、

みたいなことだと思うわけ。


全身を使う、っていうと身体中力入れる、みたいに思うかもしれないけど、使うってのはそうじゃなくて、

全身の筋肉が動ける状態にある、
力の分散、
力に偏りがない状態、

みたいなことであって、大きな筋肉(背筋やハムストリングス界隈の筋肉)を使うから疲れにくいし、大きな力が出せる、

というようなこと。

それぞれの細胞的にはちょっとずつしか頑張ってないけど、全身の細胞合わせれば凄い数だから、めっちゃパワー出る!!的な。

そういうめっちゃパワーで音を作る。


そして、出来るだけ遠くまで届かせようとすると、自ずと唇のあたりに於ける息のスピードや角度がいい具合になって、舌が無理しなくとも音が立ち上がるようになる。


自分の出す音というものを、出来るだけ広範囲に届けるってのは、自分自身を晒け出すってことでもあるし、自分を肯定するってことでもあるし、

それって、表現するときに大事だよね。

誰にも見られたくない、聴かれたくない、、、というモノを外に出すって、「演奏」するより前にもう恐ろしくなるじゃない??

それじゃー、表現とか人に伝えるとかの前に別の勝負がある感じになっちゃって、辛い。

自分の音は外に出して良いモノだ!!という前提からスタートしないと、もう心理的にやってられない。

もちろん「表現」として「みられたくない、聴かれたくない」という様子を表すのはアリだと思う。でもそれはあくまで表現としてだから、「聴かれたくないという状態を伝えたい」わけで、それは聴かれたくないモノを外に出すのとは全然違うよね。


で、タイトルの話になるわけだけど、


なんとなく、「出る杭は打たれる」ってことわざがあるじゃない??

普通はこうするよね、とかっていうヤツ。

それが単なる「あり方の1つ」であればいいけど、なぜか「そうするのが当たり前」「それ以外は異常」「それ以外はダメ」って感じがないとは言えなくて、


これって、


例えば、今の「自粛警察」みたいなのに近いと思うんだけど、

ほら、

マスクしてない!!!とか、
コロナを持ち込むな!とか、
レジ袋はよくない!とか、
ストローのプラスチックが海を汚すんだ!!とか、


自分たちはちゃんとしてる、っていうのを盾に、それ以外の人を非難する人たちってのがいて、

それが村八分的に働いたり、暗黙のプレッシャーみたいになったり、自由に出来ない空気を作り出したりするわけだけど、


その中には、「自分こそが世の中をよくする」「自分は正しいことをしている」「みんながやってるのに、それをしないなんて何て悪いヤツだ」と言った感覚があって、


いいと思ってやってることでも、ホントにそうですか?と尋ねられたら、ハッキリとは答えられないけど、「だって、そうでしょ?みんなそう言ってるじゃない!!!」的な、「普通」ってことばが、思考停止を生み出して、それに従わないのは悪だ、みたいな暗黙の感覚がどこかにあって、


それに従うことに、疑問を挟まない、、、


そういう状態になってることにも気がつかない、、、



という状態になってた気が、自分でもヒシヒシするわけ!!!


コロナ関連なんかは、比較的自分の頭で考えてるつもりなので、そんなにワイドショーや世間に乗せられてるつもりはないけど(とはいえ、みんながマスクしてたら、なんだかしないと悪いような気がして、息苦しくて死にそうになっても、マスク外せないってこともある笑)、

トランペットのこととなると、

それが、あまりに長きに渡って、あまりに常識って捉えられてしまっていると、全くそれに疑問を挟まなくなってる自分がいて、


その通りにできないなんて、ダメだ、、、

何か、どこかがおかしいからちゃんとできないんだ、、、

普通にならなきゃダメなんだ

飛び抜けるってことは、和を乱す悪いことだ

普通じゃないのは異常だ

そんな自分じゃダメだ


など、どんどん小さな世界の方に自分を合わせていき、

気がついたときには「蚤のサーカス」のように、天井に頭をぶつけないくらいしかジャンプしない、本当の力を出さない人間になって、

それが自分の力だ、と思い込むようになっていく。。。


この「蚤のサーカス」的な状態は、お魚のスズキだったかな?そういうのとか、他にもいろんなモノに当てはまるらしく、


何か壁にぶち当る経験を何度かすると、それにぶつからなくて済む程度にしか力を出さないようになっていき、やがてその壁が取り払われても、壁があったときと同じようにしか力を出さなくなる、、、


というモノ。


これは、とても恐ろしいヤツだ。


壁なんか、もう存在してなくても、壁があるのと同じように行動する。


そしてそれが自分の実力だって、思い込んじゃう。


そしたら、それ以上になるのってとっても難しくなーい?

本当はもっと出来るのに。


全力を出さないようにしながら、もっともっと!!!って思うって、それってどーいうこと???


ってなるじゃん?


まずは自分の力の及ぶ範囲(音が届く範囲と考えても良い)の限界まで鍛えておくってのが、練習とか訓練として普通じゃん?

で、それを高度に洗練していけば良いわけでしょ?


もちろん、真逆の考えがあったって良い。


ミニマムなところに、いろいろ足していくってやり方だって、あって良いし、それが合ってる人も絶対いる。


私が言いたいのは、「いろいろあっていい!!!」ってこと。

「普通」ってことばは、緩いようでいて、結構な拘束力がある気がするのよ。特に日本人にとっては。

普通という、中庸な状態からはみ出してはいけないという、暗黙の束縛。

これは、ホントに「えー?!そんな束縛誰もしてないじゃーん???」と言ったとしても、それがもうとっくに無くなってる壁だとしても、それに酷く頭をぶつけた思い出がある人にとっては、今もまだある壁であることが多いと思うんだ。


だからこそ、あ?!それ、壁か、、、しかも本当は無いのか!!!

と一回気づいて、じゃあどうします???と考えてみるのもいいでしょ?ってことを大きな声で言いたい。


当たり前に見えてたことを、再検討するってことね。


その結果、自分にとっては、「あー、やっぱりこれがいいわ」ならそれでいいし、「えー!!!こっちの方がいいじゃん?!」と発見できれば、それはおめでとう!!ってことだし。


そんなわけで、私の中にあった「普通こそが正義」という何度も頭をぶつけて懲り懲りした壁が、実は取っ払ってやってみた方がチョー良い感じを生むヤツだったってことが分かったのでした。


なので、めっちゃ楽器を「吹いて」ます(笑)

遠くまで響かしてやるぜー!!!がははー!!!


それでは、また明日ー!!

おお、明日は王位戦第4局の2日目ですね!!将棋チャンネルから目が離せない(笑)
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音楽っていろんな側面があるなー 

2020年08月19日 00時34分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんにちはー!!

今日は旦那がお家でレッスンしてるので、その間にブログを書きまーす😊


いやー、毎度お馴染みのオンラインサロンでもいろんなことが話されますけど、今日は演奏する方からみた「音楽」について、ちょっと思う切り口を書いてみようと思います。


オンラインサロンの主催者、Satoshi Kirisawaさんは、

「音楽を演奏するには、歴史も知るべきだ」

という考えを高らかにYouTubeで発信されておりました。

私もそういう考え方だったので、おお!!我が意を得たり!!的な気持ちで聞いておりました。

その一方で、迷うなー、、、ってところもあって。


それは、

そういうことはともかく、演奏することそのものをガンガン楽しんだらいいじゃーん!!

音を出すこと自体がとても楽しいのだー!!!


という、素朴と言っちゃって良いのか分からないけど、とにかく音を出すことを楽しむっていう、「音楽」のあり方。


そして、それと似てるけど、またちょっと違う立場だなと思うのが、

特に器楽に於いてだと思うけど、

まずは「楽器をうまく演奏できる」ってことが大事で、それができればあとは譜面の音を出せばいいから、一義的にはそれでしょー!という考え。

またまた別な側面として、

音楽は演奏者の個性を表すものだ!
てのもあるし、


作曲家の込めた想いをどれくらい汲み取って演奏できるか、が演奏者の使命、、、って考え方もあるし、


そうすると、その音楽が生まれた背景も含めていろいろ知る必要があるって思うし、


こうやれば演奏しやすい、とか、良い感じに聞こえる、という奏者目線の考え方、

逆に、表現するためにどこまでも技術を追究する!!!


などなど、、、、



これらの視点のどれかだけが正解で、どれかは間違いとか、どれかだけやればいいとか、そういう話ではないって思うんだけど、

なんとなく、そういうことがゴチャゴチャになってるっていう気もしているんだよねー。


私としては、



と、ここまで書いたところで、ちょいと伴奏(といっても初見だからちょっと音を足すくらいしかできませんけどー笑)しに行って、ついでに一緒にオケスタ吹いて、ご飯も食べに行っちゃったから、夜になりました、、、あはは。


そう、私としては、、、


楽器が吹けることと、音楽の持ってる内容とか背景をいかに音に乗せるかってこととが音楽をやる上で大事なことかなって思ってるんだけど、

でも音楽を「仕事」って考えた場合には、

楽器を思い通りに操れて、
譜面が読める、


的なところに重きが置かれるのかなー、、、って思う。


とにかく「楽器が自由に操れる」ってことが出来てると、あとはいろんなことを足すだけだから、すごく便利だなって思う。だとすると、ついついこの「楽器が自由に操れる」ってことが出来てるところで、「お−!!!すげー!!」ってなって、その時に、その音楽の背景とかを全く理解してなかったとしても、ちゃんと吹けてるってところで、「なんか文句あるー!?」ってくらいなもんで、吹ければそれでいいって吹く方も、周りも教える方も、思っちゃう部分があるんだけど、、、


でもじゃーそうだとすると、音楽って何なんだろう?

あー、じゃーそこに「自分」のメッセージが乗ってれば、作曲者や曲からのメッセージが乗ってなくても良いんじゃね?という考えも浮かんでくる。


なーんとなくポピュラー音楽はそっちが多いような、気も、、、する、、、


と書いたところで、

そうだ、、


例えば黒人霊歌を歌う時、その音楽にはアメリカ黒人の奴隷としての歴史みたいなものは必ず含まれてるわけで、

それを知らずに、黒人霊歌を演奏するってのは、いかにも片手落ち的な、、、。


言い換えたら、


演劇で、台本を読んでセリフや動きをすごく練習して、いい感じで演技ができるってことと、その役の人間になりきって、その人のそれまでの生き様とか、相手との関係性までも「自分」のこととして感じられるほどに深く読み込んだ上で演技するのと、どっちがどーよ?って話だと思うんだよね。


もちろん、セリフを噛みまくる、、、とか言えないとか、それはちょっとダメなわけだけど、

だからって、お母さん役とかの人が、アナウンサーのような喋りかたでスラスラ台本を読み上げたら、

「いやいや、そりゃー台本通りに読めてるけど、お母さん役なんだからもっと考えてくれる??」ってなるじゃん?

それが、江戸時代の武士の家の母上さまなのか、ヨーロッパの貴族のお母さまなのか、現代の庶民の日本のお母さんなのか、、それでも全然違うだろうし、

相手役が赤ちゃんなのか、大人なのか、実は王女なのか、、、


そんなのでも同じセリフは全く違う読み方になるだろう、、、って想像は付く。


一方、音楽となると、そういう感覚は結構薄くなる。

でも、拘ってる人にとっては、そういうことを考えてない演奏に出会うと、おやおや、、、どうしてそーなるんだい?と思う気持ちもムクムク湧き上がる。


だからって、小学生が楽しく演奏しているのに、

どーして、そのセリフの重みが理解できないんだ!!!とか、もっと子を思う母の心情とか入れ込めよ!!と怒ってみたところで、それはそれでナンセンスってことになるじゃん?


子どもはまずは、その音が出せることをたっぷり楽しんで味わうのが良いじゃないかー!!

でも例えば、役者がそれをやってても良いか?って言ったら、セリフがちゃんと言えただけで止まってるって、ダメでしょ?もっとどういうシチュエーションで吐かれた言葉かとか、考えなされや!!

って、なる。


お???


ということは、、、、


音楽には「段階」とか「程度」ってモノがあるってことか。。。


正解とか、かくあるべきとかじゃなくて、

最初はこれだけでも楽しいけど、少し進んだら、もう一つ深めていく、、それと同時にもっとこれも、、みたいに。


それが、特にクラシックでは、アナウンサー的に台本が読めたから、もうバッチリ!!みたいなところまでしか、教える方とか聞いてる方とかが求めてない、ってところがあるんだろうな。

あー、それってカラオケの得点と似てるのかも。

「正しさ」に目が行っちゃって、「内容」に優っちゃう、いや内容まで届かない。


正確なこと自体の価値もそりゃーあるけど、それでしか音楽を測れないってのも拙いわけで、そういった部分も演奏する側だけでなく、教える側も聴く側も理解できるようになると、もしかして音楽がもっともっと身近で楽しいモノになるのかもしれないなー、、、



と、そんな風に思いました。


そーね、「内容」に目が行かねばならない、行くべきだ、とかじゃなくて、

そちらへも目が向くとこで、

伝わりやすく、共感しやすく、実感しやすくなるのではないか


そうなれば、もっと身近で自分の心を代弁するモノみたいな感じになるのじゃないか?


そこがもしかしたら、1番大事な部分かなって。


わ!結局かれこれ、書き始めから8時間が経過するのであった。。。。(笑)


でも、なんかちょっと自分なりに良い結論に近づいた気がするので、満足して寝ることにします。

みなさんはどう思いますー?
コメント (2)
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