こんにちはー!!
Canvaを使って、プログラムを作ってるとこなんですけど、どうしたことだか、、、通信状況が悪いみたいな警告がやたら出る…今までこんなことなかったんですけど、なんだろう??通信が上手くできてないから、編集内容が保存されてない可能性があります、みたいな💦
そんなわけで、オリャーっと進めようと思ったのに、行ったり来たりしています(笑)
夕方から、レッスンに出かけるので、行くのを忘れないようにしなきゃねw
さてさて、
そう言えば「あー、そうなんですねー」って聞いてたけど、よく考えたらはたして???と思うことについて、備忘録的に書いておこうかな!
学校にレッスンに行くことも多いわけですけど、そうするとよーく聞くのが、
「あの子は能力が高いので」
「あの子は成績も下の方だから、能力もあまり」
「お勉強もちょっと出来ないので」
「成績がトップだから」
みたいな、
何かの理由を言う時に「能力」って言うか、「成績」というか、それで推し量るという、そういう風習?クセ?常識???
それって、なんか結構説得力あるときもあるから、「あー、なるほど!!それでか」と思ったりもするんですけど、
んー、、、
ホントにそうなのかなー??と思い始める。
「この子は能力があるから」
って場合の「能力」は、学校の先生が使う場合はどうも「成績」なんだと思うけど、確かにいい成績を取れるような子は、理解力が高いってことはあると思う。
そして、みんながそういう目で見ているということもある。
だから、自然とそういう期待値に合わせた生き方になるというか。
まぁ、能力があって、それを生かす場合と、能力があって、それで手を抜く場合ってのもあるだろうけど、
なにかしら、そういう見方をされることで、より良くなったり、あるいはできてるからもういいやと努力をしなくなったりはするのかなと。
逆に、
「この子は能力がないので」
って言う評価の場合、
能力がないから、言っても無駄。出来ないのは、能力のせいだから仕方ない。みたいな、なんだろう?責任放棄っていう言い方もないけど、何かしらの「あきらめモード」みたいな。
または、能力がないのにこれくらいできてるんだから、まー良いんじゃないか?という、それ以上はもう望まない的な。
能力とか成績って、確かにその人を見極めるのには、ちょっと便利な測定法だと思うけど、
なんでもそのフィルターで見てたら、ミスリードしちゃうってことはないのかな??
そのフィルターを「かけた」から、そういう人になっちゃってるっての。
いわゆる能力低いって見られてた子が、爆発的に凄い才能があるんだけど、それがまだ常人の目には見えてないだけ、、、って場合、
あるいは凄すぎて、一般人には理解できないだけ、って場合に、
世の中の人は全然評価してないけど、
見る人が見たら、「わー!!!!これは!!!!!!素晴らしいー!!!!!!」ってこともあるかもしんないじゃん??
それに、能力って全部に対して有効かどうかも分からん。例えば、絵画を見る目は凄いけど、書くのはヘタとか、数学は凄いけど、英語はカラキシ…とか、料理の才能は凄いけど、国語がめちゃくちゃとか、、、何かしら、そうやって人って偏ってるもんじゃない??
テストの点が高いってのは、いわゆる暗記モノとかの要領が良い人ってことはないのかな??
それですべてを推し量って、「この子は能力が低い、ちょっと支援学級のレベルだ」などと見てしまって、実は素晴らしい芸術家になったりする…っていう目を摘んでたりなんてしないのかしら??
その分野を研ぎ澄ましたりしたら、凄いかもしれないし。
もちろん、そんなことが全然できないとしても良いのだ。
成績はパッとしないけど、人の心をよく掴める子もいるし、
自分の心に正直で、人とのコミュニケーションがとっても上手い子もいる。
それは成績関係ない。
人としてなら、心が良い方が、ずっと素晴らしい。人の役に立ちたいと思うような人はとっても素晴らしい。
で、そういう心を持っていると、成績は知らんけど、人の話をよく聞けたり、努力ができたり諦めなかったりするってことも、結構ある。
そう言う面も総合した上での「能力」なんだろうか???
そして、大人になってから(世の中の)為になる能力なんだろうか??
そうじゃない能力って、あっても結局自分のためにしか使えないとなると、あんまり生きてて楽しくはならないかもね。
でも、その「能力」という物差しで「推し量られる」ということが当たり前になってしまうと、なんか変なことになる気もするんだよね。
いや、表面的には、先生方の言ってることは分かるんだよ。
やっぱり「成績が良い」=「頭が良い」ってのは、限りなく近いだろうし、頭が良ければ、モノの道理が理解しやすいから、説明で理解できるという可能性もとっても高いからね。
でも世の中、理屈じゃないんだよ!!見て覚えなとか、身体で覚えな、良いから100回やってみな、掃除だけやってなさい、みたいな、、、そういうこともあるわけで、それを愚直にやってみれるってのも、実は凄い才能で、そういう人が立派な職人気質になったりもするわけで、、、
だから、安易にフィルターをかけて、能力がないからこの程度…と見切ってしまうのは、非常にイケないって気がします。
その子ができないのを、その子の能力のせいにしちゃって、そこで諦めちゃう。でもそれでもできるには?ってのも、大事な気がする。
他方、
変にお膳立てしすぎ…ってのも思う。
オトナが「自分の有用性」に気持ち良くなりたくなって、なんでも先回りしちゃう、、、というのもホントに気を付けなきゃいけない。
失敗もたくさんしないといけないから、そういう体験も奪っちゃいけない。
盛大に失敗して、うーん、、、じゃあどうしたら???ってそこから這い上がって来るってのもやっておかないといけない。
そうじゃないと、
オトナが正解をくれる、
と思っちゃう。だーれも正解なんか知らねー!!ってことも世の中にはいっぱいあるんだよ。というか、きっとほとんどがそう。なのに、分かってるように見せかけてるだけ。そんなの分かるわけねーw
という私も、自分で考えるようにって思ってはいるけど、どこかでちょっと失敗すると、めっちゃ直しを入れちゃったりするから、そこはもっとどっしり構えてなきゃいかん!!!!
おっと、気が付いたら真昼間なのに気絶してるww
そんなことを思ったわけです。
ということで、さーて練習にもどるか、ご飯食べるか・・・ご飯作りながら練習するかー。
それではみなさん、またねー(^▽^)/